『ダンスウィズミー』は旅とともに多ジャンルを横断 アンチ・ミュージカルの物語が伝えるもの

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2019年08月20日 08:01  リアルサウンド

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『ダンスウィズミー』(c)2019「ダンスウィズミー」製作委員会

 ちいさな子どもを眺めていると、とつぜん歌いだし、とつぜん踊りだす者がある。すると私たちはニンマリと目を細め、同時に「ああ、自分にもあんな頃があったのだ」と感慨深い気持ちが込み上げてくる。もちろん、大人になってから彼らのような行為を演じてみるのもありだが、やはりなかなか、好意的には受け止められないだろう。ときに白い目で見られ、場合によっては病院に行くことを勧められるかもしれない。しかし、歌いたい! 踊りたい!ーーそれならば、『ダンスウィズミー』を観ればよい。


 『ウォーターボーイズ』(2001)や『スウィングガールズ』(2004)など、幅広い世代の観客を射程に収めたエンターテインメント作品を世に放ち続ける矢口史靖監督の最新作である本作は、歌って踊って、まさにお祭りのような、夏にぴったりの映画である。


 開缶後すぐにアップテンポの音楽がスタートし、往年の東宝のスター・宝田明が軽快なステップを踏んで歌いだす。するとたちまち、周囲の者たちも艶やかに踊りだし、スクリーンには多幸感が満ちていく。この宝田演じる胡散臭い催眠術師・マーチン上田の手によって、主人公の鈴木静香(三吉彩花)は、“音楽が流れると、歌って踊らずにいられない”という特異な体質に変えられてしまうのだ。それも、超一流の腕前にである。


 とはいえ、あくまで催眠術である。静香は大手企業に勤め、瀟洒なマンションで暮らしてはいるものの、そこは「COACH」の紙袋と、生ビールではなく某コンビニの専売品である第3のビール(彼女はひじょうに美味しそうに飲むので、この味の良さを分かっているにちがいない!)が転がっている空間だ。玉石混交の中でのごく平凡な生活を送る女性なのであって、そんな彼女がいきなり超人化するというものではないのである。つまり催眠術とは暗示であり、“本当はこうありたい”という、彼女の中に眠る潜在意識を顕在化させるものなのだ。


 とうの静香は、“とつぜん人々が歌って踊る”ミュージカルが、大嫌いらしい。というのも、彼女は歌も踊りもピカイチな腕前だったにもかかわらず、幼い頃に学芸会で大失態を演じてしまった苦い記憶がいまだに尾を引いているのだ。だから現在の彼女は「普通に喋っていた人が急に歌いだしたりして……医者に診てもらえ!」などとまで言ってのけるほどミュージカルというものを嫌悪している。しかし、見ず知らずの人々が周囲にいることを忘れての、まるで“アンチ・ミュージカル”の物語の主人公然とした静香の口ぶりに、翻ってこの時点で、彼女が自身の内なる世界に入り込む素質をもっていることが分かるだろう。


 たしかに、世の中にミュージカルアレルギーをもっている人は多い。対人コミュニケーションにおいてや、いち個人の感情の機微を歌や踊りで表現するというのは、「リアリティ」といった観点から見れば斜に構えてしまってもとうぜんである。だが、「心が躍る」といった慣用句があるように、つい小躍りのひとつでも演じてみたくなることは誰にだってあるだろう。


 “本当は歌いたいし踊りたい”ーーそんな静香の奥底に眠っていた想いを、ひょんなことで出会った催眠術師が引き出してしまうのだ。過去のトラウマ、抑圧からの解放である。しかし静香にとって、こんな特異な体質にされてしまったことはありがた迷惑である。大事な仕事にも支障をきたしてしまうし、デート中に踊り狂えばロマンスもへったくれもない。こうして彼女は、この催眠術を解いてもらうべく、行方をくらましたマーチン上田を探す旅に出る。“派手な踊り”によって高級レストランを滅茶苦茶にしてしまった彼女は多額の借金を背負い一文無しとなり、家財すべてを引き払い、華やかなファッションもTシャツとジーンズに替えざるを得ない。これは元の自分を取り戻すための、文字通りゼロからのスタートである。しかし、彼女が本当に求める“元の自分”とはなんなのか? おそらく彼女がたどり着くのは、“ありのままの自分”だろう。旅の途上、「夢の中へ」「年下の男の子」「タイムマシンにおねがい」といった名曲を歌って踊り、仲間と出会い、別れを経て、物語は大団円へと向かっていくのだ。


 本作が愉快で痛快なのは、ロマンス、友情モノ、ロードムービーといった多ジャンルを、旅とともに横断していくことだ。そもそもミュージカルというのは、独立したジャンルとしては成り立たない。“ミュージカル”というジャンル以前に、なんらかのドラマがなければ物語は駆動しないのだ。つまり、他ジャンルを必ず内包し、それを歌と踊りで展開させていくのがミュージカルなのである。しかしここまで多くのジャンルが交錯するとなると、もはやお祭り騒ぎの態といったところなのだ。


 歩き疲れて靴のかかとをすり減らすよりは、“ありのまま”に踊ってすり減らす方が楽しいに決まっている。しかしそうもいかないところが、人生のままならなさだ。幼少期を懐かしみ、“タイムマシンにおねがい”するよりも、歌えばよい。“夢の中へ”入らずとも、「それより僕と踊りませんか」と手に手を取り合って、踊ればよい。だがそれが難しい世の中であるのは事実であって、それならば、『ダンスウィズミー』を観ればよい。まるでお祭りのような作品でありながら、本作が実際のお祭りと違うのは、祭りのあとのあの寂しさはなく、劇場を出たあとも高揚感が持続することである。(文=折田侑駿)


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  • 昭和歌謡が流れるコメディ映画。都合が合えば、見に行きたいけどね。
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