浜崎あゆみの恋愛告白本『M』であゆ批判は筋違い! エイベックス松浦勝人の自己PRに協力させられただけ

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2019年08月26日 17:50  リテラ

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リテラ

あゆの告発本『M』(幻冬舎刊)

 浜崎あゆみが松浦勝人・エイベックス社長との恋愛について告白した『M 愛すべき人がいて』(小松成美/幻冬舎)をめぐって、浜崎が批判を浴びている。



 この『M』は、ノンフィクションライターの小松成美氏が浜崎あゆみに取材した「事実に基づいた小説」だ。売れないアイドル女優だった浜崎を、エイベックス専務だった松浦氏が見初め、デビュー。当初既婚者だった松浦氏が離婚したことを知ったあゆがFAXで松浦氏へのラブレターを送信。あゆの思いを知った松浦氏は、あゆが母親と同居する自宅を訪れ、いきなり交際宣言。あゆは松浦氏への思いを、歌詞に込める。浜崎あゆみの数々の曲は、松浦氏との恋愛を歌ったものだった……。というようなストーリーが小説仕立てで描かれている。



 浜崎自身は巻末にどの部分が事実でどの部分がフィクションか〈答え合わせなどするつもりは無い〉という言葉を寄せており、松浦氏の離婚と交際開始あたりの時系列はごまかしていそうな気配も漂うが、概ね事実に基づいているのだろう。



 一時代を築いたカリスマ歌手の実名での恋愛告白ということで、発売と同時に、各局ワイドショーが大々的に取り上げ、大きな話題になり、現在14万部のヒットとなっている。



 しかし、浜崎に対する反応は手厳しい。売れなくなった落ち目芸能人の暴露本扱いで、ワイドショーでもコメンテーターたちは「なぜ今頃になって、こんなことを暴露する必要があったのか」「松浦氏の家族はどういう思いをするのか」などと、浜崎に辛辣なコメントをする者も少なくない。



 しかし、この見方は的外れも甚だしい。まるで松浦氏やその家族を浜崎の暴露の“被害者”のように言っているが、この連中はワイドショーのコメンテーターをやりながら、芸能界の構造をわかっているのか(あるいは、わかっていてあえて言っているのか)。



 そもそも、松浦勝人は、芸能界の実力者であるのに加え後ろ盾に芸能界のドンの存在もあり、テレビのワイドショーなど御用メディアにとって、松浦氏の批判やスキャンダルはタブー。 “過去の恋愛暴露”など、松浦氏の了解なしに取り上げるはずがない。



 実際、この本を執筆した小松成美氏は浜崎だけでなく松浦氏にも取材している。カバーに使用されている写真も松浦氏が撮影したもの。そもそも版元である幻冬舎の見城徹社長と松浦氏は菅義偉官房長官も交えて会食するほどの、昵懇の仲だ。



 見城社長は、例の部数晒し問題で止めたはずのツイッターや755を一瞬再開し〈何度も胸が詰まり、何度も堪え切れずに泣いた〉〈歌詞と現実が縒り合わさってこの世あらざるラヴ・ストーリーが展開される〉などと、この本をPRしたほど力を入れている(炎上したため、現在は削除)。さらにこの本、テレビ朝日で来春ドラマ化されることがすでに決まっているのだが、見城社長が放送番組審議会の委員長を務めており多大な影響力を持っていることは本サイトでもなんどもお伝えしているとおりだ。



 この『M』とほぼ同時期に、松浦氏は自伝的ビジネスエッセイ本『破壊者 ハカイモノ』を、やはり同じ幻冬舎から出版している。こちらは『M』とは違って数千部ほどしか売れていないが、併売している書店もある。



 これ、浜崎あゆみの再売り出しというより、むしろ松浦氏のほうのPRへあゆがダシに使われた、というほうが実態に近いのではないか。



●『M』出版で浜崎あゆみにメリットなし、非難に晒されただけ



 だいたい「なぜ今頃?」などと非難されているが、浜崎がいまこの本を出す理由もメリットもまったくない。たとえば、昨年は歌手デビュー20周年のアニバーサリーイヤーだったが、今年はそういう節目でもなければ、CDの発売と合わせたわけでもない。



 何より、デビュー以来作詞を自ら手がけてきて、セルフプロデュースにこだわってきた浜崎が、どうして自分自身の手で書かなかったのか。



 実際、『M』出版によって浜崎あゆみが得たメリットはほとんどない。受けたのは「私生活の切り売り」「過去の恋愛暴露はルール違反」などという、汚名と非難だけだ。



 浜崎あゆみの再評価にもまったくつながっていない。「あの名曲は実はたった一人の男性に向けられていた!」などとワイドショーは驚いてみせているが、現在の# Me tooの時代に、この浜崎と松浦氏の恋愛を「純愛」と額面通りに受け取る人は少ないだろう。



 フリーライターの武田砂鉄氏は〈書かれている「赤裸々」の成分は、本人がどうのこうのというより、権力を行使しまくる松浦サイドが作った不可抗力であり、理不尽にしか見えない振る舞いのあれこれを浜崎当人が「ラヴ」に変換して乗り越えていた様子が伝わる〉(ウェブサイト「cakes」8月7日)と指摘しているが、その通りだろう。



 だが、問題はなぜ、浜崎がその# Me tooに逆行する前時代的「権力関係」の匂いしかしない松浦社長との恋愛だけをこの本で描かれなければならなかったのか、だ。



 帯や巻末にある〈自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました〉という浜崎の言葉に多くの人が疑問に思ったのは、「TOKIOの長瀬智也は?」ということだろう。TOKIOの長瀬智也と浜崎は、2001年に交際が発覚し、ジャニーズアイドルには珍しく交際宣言までし、お揃いのタトゥーを入れるなど、2007年に破局宣言するまで7年以上オープンに交際。その間に、長瀬との恋愛をモチーフにしたと思われるヒット曲も多数ある。



●「松浦との恋愛が浜崎あゆみを生んだ」という物語は浜崎あゆみの過小評価



いわゆるレコード会社役員と売れないタレントという支配関係を背景にした松浦氏との恋愛より、十代で出会い7年に渡ってオープンに交際していた長瀬との恋愛のほうに思い入れのあるファンは多く、実際、今回の本についても長瀬との話のほうが読みたかったという声は多い。もちろん、ジャニーズ事務所に所属する長瀬との恋愛を浜崎が語るのは、松浦氏との恋愛を語る以上にハードルが高いにせよ、なぜここまで松浦氏だけをクローズアップし持ち上げなければならないのか。



 しかも浜崎は、松浦氏の権力行使に従順に従いながら、その恩恵を受けたことだけでその地位を築いたわけではない。浜崎は松浦氏と別れた後も快進撃を続け、セルフプロデュースで「世代のカリスマ」としてさらに存在感を増していった。



 小説『M』は、「vogue」「Far away」「SEASONS」の3曲が松浦氏との別れによって生まれた「絶望三部作」だったと書かれて終わるが、浜崎はその後も「evolution」「Dearest」「Voyage」など数々のヒット曲を生み出している。



 華原朋美が小室哲哉との破局とともにそのピークが終焉したのとは違って、松浦氏と別れたあとも、ときに「ワガママ」と批判されるほどの徹底したセルフプロデュースによって同世代の共感を獲得し「世代のカリスマ」というポジションを築いていった浜崎を、「松浦勝人との恋愛が浜崎あゆみを生んだ」という側面のみで語るのは、好き嫌いにかかわらず、浜崎あゆみの矮小化だろう。



 では、浜崎は一体なぜ、こんな本をいま出したのか。浜崎あゆみの再売り出しというより、むしろあゆをダシに使った松浦勝人の自己宣伝以外の意味が見当たらない。



 というか、そもそも出版じたいが、浜崎の意志によるものなのか。



 何より不可解なのは、デビュー以来作詞を自ら手がけてきて、その時々の松浦氏への思いを歌詞にしてきた浜崎が、なぜ「一生に一度の恋」を自分自身の手で書かなかったのか、ということだ。しかも上述のように、浜崎といえば、人一倍、セルフプロデュースにこだわってきた人間である。



●松浦がSNSで『M』の感想に返信・リツイートする一方、あゆは沈黙



 今回の本は、ノンフィクションライターの小松成美氏による「事実に基づいた小説」という不思議な形態をとっているが、たとえライターの協力を得るとしても「浜崎あゆみ」名義で出すという方法もあり、そうしていたら、今以上に売れていただろう。それをしていないのは、浜崎が主体の企画でもなければ、出版じたい浜崎の本意ではないからではないか。



 ただし、元恋人で盟友であり現在も後ろ盾である松浦氏の意向をむげにもできず、こういう形で出版した。そういうことではないのか。



 実際、松浦氏がSNSに寄せられたこの本の感想をリツイートしたり返信しているのに対し、浜崎は完全に沈黙を保っている。



 だいたい、この本、松浦氏を美化しすぎているキライがあるが、それも松浦氏のPRの一環と考えれば説明がつく。いきなり浜崎の母親に交際宣言する場面や、「この手を離すなよ」「俺を信じろ」とあゆに語りかける場面など、松浦氏をカッコよく書きすぎていて、正直さむいくらいだ。



 小室ブームでエイベックスが勢いづいていた1999年にも、松浦氏の半生を描いた映画『ドリームメイカー』が、当時大人気だったDA PUMPのISSA主演で公開されているが、もともと松浦氏は自己顕示に躊躇がない人物。



 また、盟友の見城徹氏と同じように、安倍政権にも急接近している。とくに菅義偉官房長官との親交は有名で、昨年の沖縄県知事選を前に、安室奈美恵が翁長雄志前知事の追悼コメントを発表した際は、菅官房長官が松浦氏を通じて安室の発言を封じさせようと動いたという話もある。



 “裏方”として成功し、金をつかんだ人物たちが今度は達成できなかった主役としての自己顕示欲に取り憑かれ、自ら自伝を出し、政治権力にすりよっていく。露骨で下品なコンテンツばかりが流通するようになったこの国のメディアだが、経営者も相当に品がなくなったと言うほかはない。

(本田コッペ)


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