「カジサック」の由来は『はねトび』時代の黒歴史だった キンコン梶原が『しくじり先生』で明かす

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2019年09月05日 08:21  リアルサウンド

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 キングコングの梶原雄太が9月2日に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系 / AbemaTV)に出演し、YouTuber名である「カジサック」の由来について明かした。


(参考:ナイナイ岡村隆史、「カジサックの部屋」でまさかの“YouTuberデビュー宣言”


 2001年4月〜2012年9月に放送され、キングコングの名を一躍全国区にした伝説のコント番組『はねるのトびら』。梶原が同番組に抜擢されたのは、コンビ結成わずか2年目にあたる20歳の時のこと。品川庄司、おぎやはぎ、フットボールアワーなど、後にお笑い界をけん引する先輩芸人たちも参加した厳しいオーディションを勝ち抜いての快挙であった。


 このように、いかにも前途洋々なキャリアを歩んでいた梶原だが、本人によると気苦労も多かったという。というのも、しゃべくり漫才で頭角を現した若手時代のキングコングにとって、コントは未知の領域。しかも、他のレギュラーメンバーはコント経験に長けた猛者ばかり。極めつけは、当時結成7年目の北陽、6年目のドランクドラゴン、4年目のロバート、3年目のインパルスに比べてもっとも若手なのににもかかわらず、MCポジションを任せられるという大任を任せられたために、梶原は「相当なプレッシャーを感じてビビりまくっていた」と当時を振り返った。


 実際にスタートした『はねるのトびら』のコントづくりは過酷を極め、金曜日の昼12時から翌土曜日の早朝6時まで18時間打ち合わせとリハーサルを繰り返し、そこから土曜の6時10分から24時までおよそ18時間収録を行うという、「36時間ぶっ通し状態」で臨んでいたことを告白した。


 またコントの収録において、ロバートの秋山竜次やドランクドラゴンの塚地武雅が爆笑を連発する一方、梶原は「スベり続けていた」とのこと。そのウケの悪さを、秋山や塚地主体のコントがパート2、パート3と次々にシリーズ化されていく反面、自分のコントはすべて単発で終わってしまうという事実によっても痛感したそうだ。


 そのスベったコントの一つに、梶原がタイ人に扮してロバートの山本博を助けに行こうとするも、結局助けずにいなくなるというものがあったらしい。その時のキャラクター名が現在のYouTuber名「カジサック」だという梶原。「『カジサックくん』っていうコントだったんですよ。あまりにもスベり過ぎて思い出に残っちゃって(笑)」と言い、インパクトが強かったために、『ドラクエ』や『FF』などのゲームでプレイヤー名を決定する時に度々拝借していたようだ。そして、YouTuberデビューすることが決まった際に「せっかくならその名前を付けよう」と考えて「カジサック」と命名したと明かした。


(こじへい)


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