『だから私は推しました』が可視化した、“地下アイドル”というインディーズカルチャー

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2019年09月20日 14:41  リアルサウンド

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リアルサウンド

『だから私は推しました』(写真提供=NHK)

 NHKのよるドラ枠で放送されていた『だから私は推しました』が完結した(9月21日午前0時40分から最終話再放送)。


 本作は、承認欲求の強いアラサー女子の遠藤愛(桜井ユキ)が、偶然、足を踏み入れたライブ会場で地下アイドルグループ・サニーサイドアップ(以下、サニサイ)のメンバー・ハナ(白石聖)と出会ったことから始まる物語だ。


 劇中では、ハナと愛、推しとアイドルオタクの心の交流を描いていく一方で、熱狂的なハナのファンでストーカー化した瓜田勝(笠原秀幸)と愛の戦いが描かれる。


 サニサイのアイドルと彼女たちを推すアイドルオタクたちの物語が進んでいく中、インターミッションとして挟み込まれるのは、警察に取り調べを受けている愛の姿。どうやら愛は瓜田を突き落としたらしく、何らかの理由で(サニサイとハナの絡みで)、愛は罪を犯したことが序盤に暗示される。


 つまり、アイドルを応援すること(推す)と瓜田と突き落としたこと(押す)がダブル・ミーニングとなっており、いわゆる地下アイドルの内幕モノと、ハナと瓜田と愛の三角関係を描いたクライムサスペンスが同時進行していくのだ。


【写真】サニサイのメンバー・ハナ役を演じた白石聖


 脚本を担当したのは森下佳子。00年代から活躍する森下は『白夜行』や『JIN-仁-』、近年は『義母と娘のブルース』(それぞれTBS系)といったヒット作を手掛ける人気脚本家。NHKでは連続テレビ小説『ごちそうさん』と大河ドラマ『おんな城主 直虎』などのオリジナル作品を手掛けている。森下は時間の流れを活かしたストーリーテリングを得意とする脚本家で、本作もサニサイの盛り上がりから解散までの短い時間を、推しとオタクの濃厚な物語として仕上げており、構成力の巧みさは健在である。


 映像も挑戦的で、サニサイのイメージカラーである黄色に寄せたカラコレ(カラー・コレクション)と間接照明を強調した奥行きのないベタッとした画面構成は、地下アイドル現場に満ちているアンバランスな狂騒をみごとに体現している。


 本作の要となる地下アイドル現場やアイドルオタクの描写も的確で、丁寧に取材されていたと思う。


 中でも小豆沢大夢(細田善彦)たち現場に集う今どきのアイドルオタクの描写は秀逸だ。オタクと言うと、グッズに固執して、知識でマウンティングするコミュニケーションが下手な独身男性というイメージで描かれがちだが、アイドルオタク、特に地下アイドルのような狭いコミュニティには、コミュニケーションスキルが高い社交的な人も多い。地下アイドルの現場の場合、ファンと運営の距離が近く、喋る機会も多く、アイドルと会話することはもちろんのこと、アイドルオタクの側がアイドルの生誕祭のようなイベントを持ちかける機会も多いからだ。


 そのあたりのオタク同士のファンコミュニティで右往左往する小豆沢と愛の姿を通して、今まで顧みられることがなかったオタクたちの生態を、現代的なものに更新できたのは本作最大の功績ではないかと思う。


 もうひとつ面白かったのは、オタクやアイドルを取り巻く競争原理の描写だろう。サニサイのアイドルたちは、ライブ終了後にチェキのサイン会をやるのだが、その枚数によって5人の人気の序列が露わになってしまう。


 また、チェキ券のキックバックがアイドルの収入となるのだが、そのため瓜田がハナのチェキ券を毎回買い占めてしまい、金銭面で彼女を支配する手段となってしまう。そのため、小豆沢たちは運営とかけあい、チェキ券をグループ共通のものとすることで瓜田がハナを拘束することをできなくするという展開が描かれる。こういった地下アイドル市場内での暗黙のルールをめぐる攻防は本作の面白さの一つだ。


 本作で描かれるオタクたちは、現場に通うことで文化祭的な楽しさを味わうのだが、その楽しさの裏側には、彼らの消費を煽るえげつない仕組みが多数存在する。


 それが一番強く現れていたのが、アイドルサマーフェスティバル・ステージバトルロワイヤルの参加をかけた投票合戦だろう。愛は投票システム(フェスのグッズ1500円を買うと投票券を一枚獲得でき、複数買いが可能)がフェアな仕組みでないことに怒りを露わにするが、最終的には積極的にイベントに参加し、投票券を複数買いすることで、サニサイの優勝を勝ち取る。


 こういったオタクの応援する気持ちを逆手にとって消費を煽る手法は、アイドルだけでなく、あらゆる場所でおこなわれているものだ。おそらくスマホゲームで課金することに慣れている今時のオタクはゲーム感覚で気軽に楽しんでいるのだろうが、個人的には見ていて一番辛かった。


 ストーカー化した瓜田と対決するサスペンスは、物語として冷静に見ることができるのだが、こういった課金ゲーム化した競争原理は、避けることができない現実で、地下アイドルのようなインディーズカルチャーが存在する限り、延々と続いていくものである。


 そういったえげつなさを可視化させただけでも、本作が作られた意義はあったのではないかと思う。


(成馬零一)


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