教祖は「母以上に母だった」――父親を殺害した教団と女性信者の“罪”【板橋・占い師グループによる射殺事件:後編】

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2019年10月15日 00:02  サイゾーウーマン

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 2001年6月9日、東京・板橋の住宅街で工務店を経営する丸山寿治さん(70=当時、以下同)が射殺された。殺害に関与したとして逮捕されたのは、元暴力団員4人と占い教団「グループ向日葵」のナンバー2・渡邊義介(47)、そして丸山さんの娘・笠原友子(44)。この教団の信者だった“箱入り娘”の友子が、父親の遺産を報酬に殺害を依頼したことで起こった事件だった。

(前編はこちら:殺人の手付金は水晶1000万円――裕福な“箱入り娘”が心酔した教祖)

殺害の司令塔となった占い教祖

 「グループ向日葵」の代表、吉川タカ子(64)はかつて印鑑のセールスをしていた。1990年ごろ、ある占い師の元へ、知人の印鑑業者からの紹介で「家賃を一部負担するから印鑑販売のために間借りさせてほしい」と訪ねてきたのが吉川だったという。その占い師が事務所の一部を貸すと、吉川は占いや印鑑鑑定の知識がないにもかかわらず「これは相のいい印鑑です」などと言い、10〜20万円程度の印鑑を倍以上の値段で売りつけるようになったという。詐欺まがいの商売を始めたことを知ったその占い師は、吉川を事務所から追い出したそうだ。

「もともとは東京・新宿の印鑑屋の店員だったそうです。寺で拝んでもらったり、占い師に鑑定してもらったりした印鑑が高く売れることに気づいたのでしょう。まくしたてるように喋る人だから、人によってはカリスマ性を感じてしまうのかもしれない」(教団関係者)

 90年代半ばごろから、「グループ向日葵」の信者が数十人ほど、吉川の元に集まるようになったが、彼女にとっては“信者”というより“顧客”として見ていたフシがある。「星まつり」のときも、1枚3,000〜5,000円の護摩札を3万円で売っていた。護摩札だけではなく、信者には水晶玉や「チベットの曼荼羅」と称する絵も信者に売りつけていたという。

 さらに吉川は芸能人や有名人の名を利用し、信者獲得を狙っていた様子もうかがえる。本人自身が、芸能人や女性漫画家と「親しい」と周囲に吹聴していただけでなく、先述の「星まつり」でも、参加者たちに「香取慎吾や伊東ゆかりが来る」と言っていたため、彼らを一目見るために祭りに参加した人もいたという。実際に、香取は知人女性に紹介された経緯で吉川と交流があったことを後に認めている。

 友子も、そうした吉川の“顧客”となり“向日葵グッズ”を次々と購入。その代金は一千数百万円にも上っていたことがわかっている。

 筆者は2005年当時、東京地裁の法廷で友子の裁判を傍聴した。上品そうな黒いスーツに白髪混じりのボブヘアで、育ちの良さそうなお嬢様がなにかの間違いで罪に問われてしまったかのような雰囲気を醸す女性だった。頼りなげにうつむいて泣きながら、「吉川に騙された、父親の殺害は止めたのに実行された」と、積極的な犯行への意欲はなかったと主張する友子。

 事件前に体調を崩したという実母が、傍聴席で友子を見守っていたが、吉川に対して「死んだほうがいい」「うちの金を盗んだくせに、何言ってんだ!」と罵り、裁判長に注意される場面がたびたび見られた。実母は、事件前から友子を通じて吉川と面識もあった。

 友子は法廷では、吉川のマインドコントロール下にあったと主張していたが、最終陳述になると、吉川に唆されたと告白。逮捕直後、友子が子どものために黙秘していたところを、吉川らが友子に罪を押し付ける供述をしたのだと訴えた。

「私が警察で最初取調べを受けたとき、真実を話しませんでした……それは、私の子どもに、私が犯罪者だと知られないように……何も言わないでいれば、事件のことはわからず、子どもたちはなにも知らずに、大人になっていく……! そう思ったからです……! でも、私がそのようにしてしまったことで、吉川さんが嘘を言い、このような結果になってしまいました……。吉川さんの嘘には納得できません……真実を話すことが父の供養の第一歩だと思います。父の親戚に……心から、お詫びします……!」

 そして、友子が吉川に心酔した背景には、父の暴力による家庭不和があったこと、さらに母についても、こう語った。

「母はいつも親戚の悪口を言っていて、父はそれを力で押さえつけていました……母を閉鎖病棟へ入院させたり……。私は今も母がわからないのです。吉川さんは母のようでした……今も……母がせめて私の話を聞いていてくれれば……吉川さんは、母以上の母でした。母は父との確執に関わらず、病気に逃げていました……現在は、母は家を出ています」

 傍聴席から実母の嗚咽と「バカモン!」の声が響く。

「父のことを思うと、なぜ、こんなことをしてしまったのか……。言葉に表すことができません。殺害直前に父の在宅を確かめるため、吉川から、父に電話するように言われたとき、『逃げて』と一言言えばよかった……。お父さん……ごめんなさい……。父は私を許さないと思いますが……父に許してもらえるまで……毎日祈って、祈りつづけたいです。おじさま、おばさま、迷惑をかけて……すみません」

 だがそれら訴えも判決では一蹴され、「遺産目的の動機に酌量の余地は皆無。報酬を約束し殺害を依頼した上、多額の財産を相続しており責任は最も重い」と無期懲役の判決が下された。

 友子は実行前、吉川らに遺産から報酬を支払う約束をしていたが、丸山さん殺害後、遺産5億円を家族で分配したのち「グループ向日葵」を抜け、吉川らが報酬を受け取ることはなかったのだ。

 そして、事件後に500万円を友子から受け取ったとされる吉川は、同地裁の判決において「殺害の司令塔」と認定されながらも、自白したことを考慮され、懲役20年の判決が言い渡された。

教団をめぐる、別の未解決事件の存在

 ところで、この事件にはもう一つ別の疑惑が囁かれていた。丸山さん殺害から約3カ月後の9月1日未明、東京・歌舞伎町の「明星56ビル」が火災に遭い、44人もの犠牲者を出しながらも、いまだ火災の原因が明らかになっていない「歌舞伎町ビル火災」についてだ。火災に遭ったビルで「一休」という麻雀ゲーム店を経営していたIという男は、吉川の娘婿だったのである。丸山さん殺害の報酬としてアテにしていた遺産が「グループ向日葵」に入らなくなったことで、実行犯の暴力団員らと吉川が報酬を巡ってトラブルになったのではないか……と報じられている。結局この疑惑は、藪の中である。

 当の実行犯グループを取りまとめていた教団ナンバー2の渡辺は、05年当時、公判も終盤に差し掛かった頃、「吉川には5000万円以上の借金があり、返済を迫られていた。返せず自己破産すると告げたら『娘婿の店に火をつける』と言われていた」と証言している。
(高橋ユキ)

【参考文献】
「FRIDAY」2003.3.14号(以下、略)
「女性自身」 2003.3.18
「週刊新潮」2001.9.27、2002.9.5、2003.1.23
「サンデー毎日」 2003.2.2
「週刊現代」 2003.3.15
「毎日新聞」 2003.1.30

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