“アイドル恋愛禁止”という考え方は、どう変わっていく? Nao☆、古川未鈴の結婚から考える

1

2019年10月19日 12:31  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

でんぱ組.inc「ボン・デ・フェスタ」

 女性アイドルのライフコースについて捉えるうえで、2019年は新たな潮流を感じさせる事象が相次いで生まれた。ここで着目するのは特に、アイドルと結婚にまつわるトピックである。2月にNegiccoのNao☆が、9月にはでんぱ組.incの古川未鈴がそれぞれ自身の結婚を発表した。二人とも、結婚後もそれぞれグループのメンバーとして変わらず活動し続けている。


(関連:【ライブ写真】でんぱ組.inc、武道館2デイズ


 結婚後も変わらず活動、とあえて書いたのは、とりわけアイドルというジャンルにおいては、実践者自身がパートナーをもつことが禁忌として語られることが多く、あまつさえ「恋人をもたないこと」がなかば規範のように位置づけられてきたためだ。受け手の消費行動のありようを指し示す「疑似恋愛」という概念がしばしばともなわれつつ、その規範は正当化されてきた。


 もっとも、多人数グループを中心に女性アイドルシーンが活況を帯びた2010年代は、アイドルという文化の社会への受け入れられ方が変化をみせた時期でもある。また、長期間にわたって活動してゆくグループがいくつもあらわれるにつれて、アイドルという形態を通じて各々が表現しうるものの幅も豊かになった。


 5月の記事で論じたように(アイドル=少女というイメージは払拭できるか 乃木坂46らの功績と社会の現状から考える)、今日の女性アイドルというジャンルは、自己表現を模索するための間口の広いフィールドとして整備され、また以前よりも長い年月にわたって各人がこの職能を継続してゆく道も拓かれた。そのことで「アイドル」は、年齢的にも志向性としても、より広い人物像や世界観を体現するようになった。また、音楽グループという範疇を超えて、実践者たちそれぞれが己のパーソナリティや適性にかなう表現を模索するための懐の広いフィールドとしても、女性アイドルシーンは機能している。


 そうした土壌として女性アイドルというジャンルが定着してゆくことは必然的に、「アイドル」として生きる彼女たちの、一個人としての長期的なキャリアやライフコースに関する想像力を受け手のなかに喚起する。であればこそ、その只中で活動する彼女たちが体現するスタイルのひとつとして、Nao☆や古川の選択はかつてよりも受容されやすいものになっていただろう。


 しかしまた、古川が結婚発表に際して強く葛藤をにじませていたように、「アイドル」がパートナーをもつことへの禁忌は、いまだアイドルが対峙するさまざまな局面において色濃く残存している。女性アイドルの2010年代は、アイドルという職能の可能性を押し広げる一方で、現在のグループアイドルシーンが成立するずっと以前から存在してきた「恋愛」や「結婚」を忌避する風潮を、いびつに抱え込み続けた時代でもあった。


 もとより、芸能者に対してファンが抱く感情は一様ではなく、またその人物のパフォーマンスや技術に対する支持と、パーソナリティに対する愛着あるいは恋慕とを必ずしも区別できるわけでもない。当該の人物がパートナーをもつことは、ファンが失望する理由にもなるし、逆にそうしたライフスタイルの提示まで含めて支持する理由にもなりうる。そのような受け手の支持や落胆は、スポットを浴びる職業にとっての常である。パートナーの存在を表明することへの忌避や拒否反応もまた、「アイドル」であるか否かを問わず、受け手が芸能者に対して抱く自由な感情のひとつでしかない。


 問題性が顕わになるのは、そのような忌避感情が「恋愛」や「結婚」の規制へと結びつき、明示的なルールのようなものへと転化してゆく段階においてである。それがいつしか組織あるいはジャンル全体を統べる規範として正当化されると、実践者であるアイドル当人たちにかかる抑圧がいかに理不尽なものであったとしても、その規範意識自体を問い直す機会を失してゆく。女性アイドルシーンと「恋愛」とをめぐって2010年代にみられたいくつもの醜悪な事態は、その理不尽な抑圧について省みることを忘れた先にあったものだ。


 それらの光景は、現行アイドルシーンが抱え込む性質と社会一般との乖離を象徴的に示し、アイドルというジャンル全体にネガティブなイメージを刻印するものになった。であればこそ、Nao☆や古川の選択がナチュラルに受容されつつあることは、このジャンルを問い直しアップデートさせるうえでも小さからぬ一歩である。


 もっとも、「結婚すること」や「恋愛すること」こそが望ましい価値観としてあるのではない。重要なのは、アイドルそれぞれが自ら選択したスタイルでキャリアを重ねやすくなってゆくことである。パートナーをもつことももたないことも、パートナーの存在を表明することもしないことも、当人のチョイスである限り等しく尊いことに変わりはない。特に現行アイドルシーンが、各人のパーソナリティまでも含み込んで消費される自己表現のフィールドとしてある以上、どのような生き方をみせてゆくかを本人が決定できることは肝要である。各々がどのようなスタンスでアイドルとしての己を自己呈示していくのか、そしてそれぞれのスタンスがどのように受容されるのかは、その先にあるものだ。


 アイドルと「恋愛」をめぐる喧騒は、このジャンルが内包する規範と世の中とのズレをときに深刻に浮かび上がらせてきた。ただしまた、それらは社会一般がそもそも抱えてきた旧来的な価値意識が尾を引いたものでもある。いわゆる「恋愛禁止」が、実質的には異性間の性的交渉を思わせる事象に対する禁忌としてのみはたらいてきたことは、「恋愛」が規制されること自体のいびつさだけでなく、異性愛こそを「恋愛」の標準的な姿として捉えるような、硬直した発想が無意識に踏襲される現状をも示すものだ。あるいは、パートナーの表明が「結婚」によってこそ説得力をもち、「交際」の場合しばしばスキャンダラスな受容がなされやすくなることは、他者との関係性について婚姻という回路こそがオーソリティとして特権視され、パートナーシップのあり方への理解がいまだ画一的であることも示唆する。


 自由度の高い表現のフィールドであると同時に、社会の旧弊をいびつに映し出してもいるこの土壌のなかで、Nao☆や古川といった実践者たちが自らのスタンスを明らかにしつつキャリアを切り拓こうとする姿は、どのように受容され位置づけられていくのか。2010年代終盤に生じた新たな潮流の予感は、「アイドル」が今日のポップカルチャーとしていかに生きるのかを方向づけるうえで重要な意義をもつ。(香月孝史)


このニュースに関するつぶやき

  • あまつさえ「恋人をもたないこと」がなかば規範のように位置づけられてきたためだ。←…違うぞ?限定モデル商品を「通常モデルで販売しない」のが近い。
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(1件)

ニュース設定