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佐藤蛾次郎が語る渥美清「二人で『男はつらいよ』を見に行った」

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2019年12月16日 07:00  AERA dot.

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写真「男はつらいよ お帰り 寅さん」に出演した佐藤蛾次郎さん (c)2019 松竹株式会社
「男はつらいよ お帰り 寅さん」に出演した佐藤蛾次郎さん (c)2019 松竹株式会社
 22年ぶりに公開される新作「男はつらいよ お帰り 寅さん」。50作を数えるシリーズになくてはならないのが、佐藤蛾次郎さん演じる「源公」の存在だ。もじゃもじゃ頭に半纏(はんてん)姿で寅さんを「兄貴」と慕う。その関係は、実生活でも変わらなかった。

【佐藤蛾次郎さんの写真の続きはこちら】

*  *  *
「渥美さんには本当に可愛がってもらいました。いつもご馳走してくれたしね」

 二人の年齢差は16歳。11人きょうだいの下から2番目として育った蛾次郎さんにとって、実際の兄貴のような存在だった。

「よく飲みに行ったけど、一番楽しかったのは、二人で渥美さんの馴染みの店へ行ったとき。渥美さんに『寅さん、歌えよ』と言われたんです。俺が仁義切ってやるから、って。あり得ないですよ。店の若いのがピアノを弾いてくれて、渥美さんが『わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又』ってやり始めた。お客さん大拍手ですよ。あとでいろんな人から『渥美さんがそんなことするわけない』って言われたんだけど、いや、したんだって(笑)。けっこう渥美さん、僕に対してはいろいろやってくれたんだよね」

 気前よく面倒見のいい渥美さんだが、バカ騒ぎをするタイプではなかった。蛾次郎さんには心を許していたのだ。

「なんでかって? ウマが合ったんじゃないですか。渥美さんは偉そうにしないし、俺も渥美さん、渥美さんって慕ってたしね」

 そもそものはじまりは、山田洋次監督との出会いだ。1967年、大阪の劇団にいた蛾次郎さんのもとに、新作映画でチンピラ役を探していた監督がオーディションしにやってきた。

「偉い監督が来るから朝の11時に来なさいと言われたんだ。でも俺行かなかったの。オーディションなんて大っ嫌いだからね。一度使ってみりゃわかるだろ?って、友達とモダンジャズ聴いて遊んでたんだよ。あのころはたいして売れてもいないのに、生意気だったんだね」

 2時間近く遅刻して行くと、山田監督はまだ待っていた。悪びれる様子もなく、足を組んでタバコをふかす蛾次郎さんを見て、監督は笑っていた。気にいられたのだ。あとになって「大阪におもしろいヤツがいる」という噂を聞いていたと知った。

 蛾次郎さんの演技キャリアは小学3年生からだ。児童劇団で子役として活躍していた。

「親父と姉が勝手に応募したら受かっちゃった。それが芝居をするきっかけ。まあ、演技は楽しかったね。親父は歯医者だったから本当は『歯医者になれ』って言われたんだけど断った。勉強は嫌いだったから」

 そして23歳で山田監督に見いだされ、映画「吹けば飛ぶよな男だが」に出演する。監督の真剣さを目の当たりにし、懸命に演技で応えた。監督の信頼を得てテレビドラマ「男はつらいよ」に出演が決まり、渥美さんとのコンビが始まった。

 ドラマでは寅さんの弟役で「兄貴、兄貴」とそのあとをついて回った。映画でもその関係は変わらず、寺男・源公として毎回、柴又に帰ってくる寅さんを出迎えた。トレードマークのもじゃもじゃ頭は、地毛だ。

「天然パーマなんですよ。面倒くさくて刈らなかったら、伸びてきて、ああなっちゃった」

 映画の外でも渥美さんとの交流は深かった。普段着の渥美さんはサファリルックに帽子姿。街で会っても、すぐにはわからない。そのくらい「普通」を好んでいた。二人で「男はつらいよ」を見に行ったこともある。

「新宿あたりの映画館では俺や渥美さんが出ると『寅さん!』『源ちゃん!』って客席から声がかかってね。嬉しかったね。渥美さんもニコッとしてましたよ」

 渥美さんと海外旅行をしたことも忘れられない。

「突然『蛾次郎、タヒチ行こう』って言いだしたんです。俺とお前とチーちゃん(倍賞千恵子さん)と監督とで、俺、全部出すからって。楽しかったなあ。向こうでホテルのプールサイドに集まったら、倍賞さんがワンピースの水着を着てきた。俺がさ『違う違う、倍賞さん』『なにが?』『ここは東京じゃないのタヒチだよ。ここはビキニでしょ!』って言ったら倍賞さん『え〜!?』って言いながら、ビキニに着替えてくれた。そりゃあ、綺麗でしたよ」

 渥美さんから演技について言われたことはない。

「そういうことは一切言わないし、芝居でもこっちが目立つような芝居をしてくれる。人を叱るようなことも絶対になかった。ただ、俺が結婚したときに『女には気を付けろよ。かみさんを泣かすんじゃないぞ。大事にしろよ』って注意された。それだけです」

 結婚は72年。妻・和子さんは元役者で、芝居が縁で出会った。素敵なエピソードがある。

「俺、結婚式を挙げなかったんです。そしたら『男はつらいよ』の10作目で監督が女房を使ってくれた。『寅さん、私、今度結婚するの』って、花嫁姿で報告にくる女の子。撮影が終わって、なぜか監督が『蛾次郎、衣装部に行ってこい』って言うんだ。行ったら紋付き袴が用意してあった。それ着て渥美さんたちみんなで写真を撮ったんです。篠山紀信さんが撮ってくれたんだから、宝ですよ」

「男はつらいよ」に集まった人たちは、本当に家族のようだった。

 蛾次郎さんの脳裏には、48作の撮影がいまも残っている。

「あのときはね、渥美さん体がつらそうだった。覚えているのは『とらや(くるまや)』の中に渥美さんが『おう、なんだい』と言って入ってくるシーン。1回目の『おう』はすごく力強かった。でもだんだん弱くなっていって本番が一番弱かった。ああ、ちょっと疲れてるのかな、って思った」

 撮影所では渥美さんの部屋に挨拶に行くのが習慣だった。行くと「おう、蛾次郎か」と出迎えてくれる。だが、あの撮影のときは行くと必ず寝ていた。

「それでも起きてきて『蛾次郎にリンゴかなんか剥いてやってくれ』と言ってくれて、お茶を飲んで、話をしてね。でもあれは、昔の言葉でいうと“臥(ふ)せっている”状態だった」

 突然の訃報にショックを受けた。半年間、寅さんの歌を聴けなかった。聴くと涙が出てしまうから。もう寅さんはいない。だが「どこかにいて、また帰ってくる」、そんな余韻をもって、新作も作られている。

「そりゃもう、さみしいとかは通り越しましたよ。撮影現場でもみんな、普段通りだった。でもなんかやっぱり、本来いるべきところにいる人がいないのはね」

 料理好きな蛾次郎さんは今回も120人分の「薬膳カレー」を現場に差し入れた。渥美さんの好物だったカレーだ。渥美さんはいつも小盛りだったが、最後の撮影のときは大盛りを食べた。「蛾次郎、ありがとう、おいしかったよ。いつもご苦労だったね」。それが最後の会話になった。そのカレーは東京・銀座にある蛾次郎さんの店「PABU蛾次ママ」で食べることができる。

「俺、じっとしてるの嫌いだからカレー屋とかスナックとかいろんな店をやってきた。仕事があるときは撮影に行って終わったら店に行って、両立できたし、ママ(和子夫人)も一緒だったしね。でも女房は血液のがん(多発性骨髄腫)で亡くなっちゃった。かわいそうに」

 2016年のことだ。68歳だった。

「一番危ないっていうとき、俺1週間ロケに行って全然、会えなかった。帰ってきて、顔を見て、でも翌日も仕事があった。その途中で亡くなっちゃった。つらかった。一番、つらかった。俺、女遊びしたり、女房に迷惑かけてきたからね」

 それでも43年連れ添い、夫婦でたくさん旅行をした。デビッド・カッパーフィールドのショーが好きだった和子さんのためにラスベガスにも何度も足を運んだ。
「いまは一人暮らし。3匹いた猫も死んじゃってね。寂しいですよ。部屋はいっぱいあるから、ときどき『部屋を貸してくれ』という女の子がいるんだ。でもそれはダメです。ママに悪い」

 女性にやさしく、実は一途な面も蛾次郎さんと寅さんをつないでいる気がする。

「思うんだけど、寅はさ、恋人を作っても本気にならないでしょ。それはね、さくらがいるから。さくらが一番好きなのよ、寅は」

 新作で歴代マドンナ約40人を振り返り、改めて思ったという。

「さくらが駅で寅を見送るシーンで、電車のドアが閉まる寸前に寅が言うんだよ。『さくら』『なに? お兄ちゃん』『ふるさとが、あるから帰ってくるんだ』って。あれは『ふるさとに、お前がいるから、帰ってくるんだ』と訴えてるんだよ」

 渥美さんからもらった一番大切なものは「心意気」。

「人間としての心意気。演技力はかなわないからさ。人を大事にしなさいとかね、そういうことだね」

(中村千晶)

※週刊朝日  2019年12月20日号

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