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通算5度のタイトルホルダー、ホルヘ・ロレンソがMotoGPで走り続けた18年/(3)ドゥカティ、ホンダへの移籍。そして引退へ…

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2019年12月29日 17:31  AUTOSPORT web

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写真2018年第6戦イタリアGPで、ドゥカティでの初勝利を挙げたロレンソ
2018年第6戦イタリアGPで、ドゥカティでの初勝利を挙げたロレンソ
 2019年シーズンをもって、現役を引退したMotoGPライダー、ホルヘ・ロレンソの足跡をたどる第3弾。『通算5度のタイトルホルダー、ホルヘ・ロレンソがMotoGPで走り続けた18年/(2)最多ポイント数で初タイトルを獲得』に続き、最終回は2013年シーズンから2019年シーズンまでを振り返る。

 2013年シーズン、ロレンソのチームメイトが再びロッシとなった。そしてまた、マルク・マルケスがレプソル・ホンダ・チームから最高峰クラスデビューを果たしており、前年に最後までタイトルを争ったペドロサの存在もあった。

 ランキング2番手につけて迎えた第7戦オランダGPは、ロレンソのキャリアのなかでも印象的なレースのひとつだと言えるだろう。ロレンソ自身も引退会見の場で、お気に入りのレースのひとつとして、この2013年オランダGPを挙げている。

 それはウエットコンディションのなかで行われた初日のフリー走行2回目のことだった。ロレンソは激しいハイサイド転倒を喫する。この転倒により、ロレンソは鎖骨を骨折。決勝レースはもちろん、ペドロサやマルケスと争っていたチャンピオンシップからも離脱してしまうのではないかと思われた。

 しかし、ロレンソはすぐさまバルセロナに移動して鎖骨の手術を受けると、再びTT・サーキット・アッセンにとんぼ返りしたのだ。そして決勝レースに出走し、完走したばかりか5位入賞を果たしてみせた。続くドイツGPでは、フリー走行2回目で再び転倒を喫して怪我に影響を与えたために決勝レースを欠場することにはなったが、第9戦アメリカGPから復帰している。

 こうした怪我を乗り越え、ロレンソは最後までマルケスとのチャンピオン争いを繰り広げた。ランキングトップのマルケスと13ポイント差で迎えた最終戦バレンシアGPの決勝レースでは、ロレンソが独走で優勝。マルケスが3位となったことでチャンピオンはルーキー、マルケスに譲ることになったが、その差はわずかに4ポイントだった。シーズンの勝利数としてはマルケスを上回る8勝を挙げた。

 翌2014年シーズンは、ドルナが供給するECUを全チームが使用することになる。ただし、オリジナルのソフトウエアを採用する場合はファクトリークラス、ドルナ供給のソフトウエアの場合はオープンクラスと分けられた。ロレンソは、このシーズンでは精彩を欠き、わずか2勝にとどまってランキング3位で終えている。

 2015年シーズン、ロレンソは開幕戦から3戦連続で表彰台を逃していた。しかし一転、第4戦スペインGPから第7戦カタルーニャGPまで4連勝。ランキングトップをひた走っていたチームメイト、ロッシに接近した。

 このシーズンについては、第17戦マレーシアGPに触れておかねばならないだろう。マレーシアGPの決勝レースで、ロッシとマルケスが接触。マルケスは転倒し、ロッシは3位に入った。しかし、このレース中の接触によってロッシにペナルティポイントが科され、その結果、ロッシは最終戦バレンシアGPを最後尾からスタートすることになる。この接触は、ロッシとマルケスの間に遺恨を残した。

 こうした状況のなか、ロレンソはランキングトップのロッシから7ポイント差のランキング2番手で最終戦バレンシアGPを迎えた。決勝レースでロレンソはポール・トゥ・ウインを決め、最後尾からスタートしたロッシが4位になったことで、逆転で3度目のタイトルを獲得したのだった。そして、この2015年シーズンの戴冠が、ロレンソにとって最後のチャンピオン獲得となった。

 レギュレーションが大きく変わり、タイヤがブリヂストンからミシュランのワンメイクとなった2016年シーズン。ECUのソフトウエアの違いによってファクトリーとオープンに分かれていたクラスは統一され、ECUはハード、ソフトともにマニエッティ・マレリ製の使用が義務付けられた。

 ロレンソはヤマハで過ごす最後のシーズンとなる2016年を、4勝を含む10度の表彰台獲得、ランキング3位で締めくくった。ヤマハのファクトリーチームで9年間にわたり戦ったロレンソが次のステージとして選択したのは、ドゥカティへの移籍だった。引退会見のなかで、ロレンソはこのときの決断に触れ、こうコメントしている。

「僕のような“完璧主義者”にはたくさんのモチベーションが必要で、それがすばらしい9年間を過ごしたヤマハを離れた理由だった。ドゥカティへ移籍したことは、大きな力とモチベーションを与えてくれた」

 とは言え、3度のタイトルを獲得したロレンソをもってしても、ドゥカティですぐさまトップ争いを繰り広げることは簡単ではなかった。ロレンソが移籍初年度の2017年シーズンに獲得したのは2位が1回と3位が2回で、未勝利に終わった。

 ドゥカティで2年目のシーズンとなる2018年、ロレンソは第6戦イタリアGPでついにドゥカティでの初勝利を挙げる。ロレンソは続く第7戦カタルーニャGP、そして第11戦オーストリアGPでも優勝し、3勝を飾った。

 しかし、シーズン終盤の第15戦タイGPのフリー走行2回目でハイサイド転倒。右足首と左手首を負傷して4戦を欠場する。この怪我は、ロレンソの2019年シーズンのための準備にも影響を及ぼすことになった。翌2019年、ロレンソはドゥカティからホンダへ移籍することを決断していた。

 マルケスとロレンソという、タイトルホルダーふたりの布陣を敷いたレプソル・ホンダ・チームはシーズン開幕前から注目を集めたが、ロレンソは2019年のオフシーズンに左手首を手術。そのリハビリのために2月のセパンテストに参加することができず、ロレンソにとってドゥカティからホンダのMotoGPマシンに乗り換えるための大事な時間は限られたものとなった。

 こうしたなか、ホンダで迎えた2019年シーズンは序盤から厳しい戦いを強いられる。それでも、ロレンソのなかにまだ闘志は残っていたという。ロレンソが最終的に引退を決めたのはマレーシアGP後だったが、実際にその可能性を考え始めたのは2度の転倒を喫したあとのことだったと、引退会見のなかで語っていた。6月に行われたカタルーニャGP後のテスト、そして第8戦オランダGPのフリー走行1回目で、ロレンソは大クラッシュを喫した。オランダGPでは胸椎を骨折している。

 その後もロレンソの走りは、精彩を欠いた。優勝、表彰台はもちろん、トップ10圏内でフィニッシュできないロレンソの姿を誰が想像できただろうか。そして、最終戦バレンシアGPのレースウイークを迎えた木曜日、ロレンソは2019年シーズンをもってレーシングライダーのキャリアに終止符を打つことを発表した。

 最終戦バレンシアGPを、ロレンソは16番グリッドからスタートして13位で完走。優勝も表彰台に上ることもないまま、ロレンソはMotoGP最後のシーズンとなった2019年を終えた。それでも、決勝レース後の取材に応じるロレンソの表情には、晴れやかさが漂っていた。

 18年という時間を、MotoGPのトップライダーとして疾走し続けたロレンソ。ひとりの王者が、2019年バレンシアGPでそのキャリアに幕を引いた。

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