「たぶん、旅をしているだけで自然に、今まで考えていなかったことがフッと出てくる」
参考:モトーラ世理奈×諏訪敦彦監督が振り返る、『風の電話』撮影で出会った“震災後の日本の家族”
旅の映画に主演した若き女優は、私たち取材班にそうつぶやいた。モトーラ世理奈。旅の映画とは、現在公開中の『風の電話』(諏訪敦彦監督)。モトーラ世理奈だけの時空間がおそらく、ある。それは私たちの時空間とも、映画の物語の時空間ともまったく異質な何か。でも異質ながらも鋭利に交差もして。東日本大震災で家族をいっぺんに失った少女ハル(モトーラ世理奈)は、茫然自失した異様な旅の身体だ。
映画の途中で、8年前に津波で流されたはずのお母さん、お父さん、弟が、笑顔一杯に立ち現れるシーンがある。お母さんもお父さんも若いまま、弟は幼いまま。家族の亡霊と戯れるハルは、そしてこの映画でおそらく初めてあどけなく笑う。それまでふさぎ込んでいた彼女の、堰を切ったような笑顔。逆説的なことだが、この時、彼女は冥界に片足を置いている。幽霊的身体。モトーラ世理奈は幽霊的身体をも表現できる稀有な演者として私たちの前に現れた。使い古された形容をあえて使えば、憑依型役者。
『風の電話』にはシナリオはない。いったん完成したシナリオを破棄し、かんたんなあらすじとシーン説明だけが書かれたメモだけを頼りに、撮影現場で監督と俳優たちが話し合いを重ねながら、芝居を練り上げていく。だから正確には即興芝居ではないが、演者には、即興芝居に向かうのと同じ集中力、想像力、ひらめきが要求されるだろう。モトーラ世理奈はそんな難しい現場も「自分には合っている気がする」と感じつつ、自分らしさを損なわずに乗り切っていった。
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「その場所に行ったら、自然にそういう気持ちは出てきたんですけど、どうやってその感情を出したらいいか分からなくて、考えていて。その時に諏訪監督が助け船を出してくれて、それで演ってみたら、自然とできた」。
『風の電話』と立て続けにもう1本、彼女の主演映画が公開される。『恋恋豆花』(今関あきよし監督)。奇遇なことにこちらも旅の映画。震災で家族を失い、生の意味を探し求めながら、冥界とも接しあう巡礼のような旅だった『風の電話』とは対照的に、こちらは甘酸っぱい青春の旅切符、アイドル映画の先祖返りを志向したツーリズム映画。
父親の新しい婚約者(大島葉子)と2人で台湾旅行に出かけることになった菜央(モトーラ世理奈)。当初は気の進まなかった菜央も、南国・台湾のおだやかな風景、温かい人々、おいしい食事やスイーツに慰撫されて、心の武装を解除していく。画面には紀行番組のように場所や名前の情報スーパーが臆面もなく入って、カジュアルな作りが強調される。諏訪敦彦監督、今関あきよし監督、それぞれの映画作りの方法の違い、モトーラ世理奈という逸材を主演に迎えての押し出し方の違いがまざまざと出ていて、とても興味深い2本だ。モトーラ世理奈の魅力の幅の広さ、多面性を知るためには『風の電話』と『恋恋豆花』の両方を観るのが吉と言える。
諏訪監督は述懐する。『風の電話』オーディションの際、「最初に会った時にもう決まったという感じですね(笑)。僕の中ではもうはっきりとこの人こそハルだと思った」。女優と役の運命の出会いというものはこんなにあっけないもので、理由を欠いた直感と偶然の産物なのだろう。『少女邂逅』(2018年/枝優花監督)で映画初主演してから、モトーラ世理奈の女優人生はまだ始まったばかりだ。現在21歳。高校1年生の時に原宿でスカウトされてモデルの道へ。雑誌「装苑」でデビュー。同誌の専属モデルとして圧倒的な存在感を誇示していく。2016年、RADWIMPSのアルバム『人間開花』のジャケットビジュアルに抜擢された。
2018年にパリ・コレクションでもデビューを果たした時、一度見たら忘れられない圧倒的存在感は、女優という未経験の表現ジャンルへの道しるべとなった。見た目のインパクトもさることながら、内面から沸き上がってくるものを表現するという気質を、彼女は確固として持つ。写真という表現に魅了され続けてきた。小学生の時に祖父が貸してくれたカメラが、彼女の目を啓いた。以来、シャッターを切り続けるのは、「自分の感性や考えていることをビジュアルとして表現できる」(http://soen.tokyo/culture/feature/serena180528.html)ためだ。2018年5月から「装苑ONLINE」に隔月で連載されてきた彼女のフォトダイアリー「色の記憶」は、彼女の多忙を理由に2020年1月をもって休載が発表された。「装苑」モデルとしての活動は継続されるが、「色の記憶」は「ご本人がアップしたい!と思える写真が揃った際に再開することになりました。」(http://soen.tokyo/culture/feature/ironokioku190110.html)
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まずはカメラを握ることによって育まれた彼女の「自分の感性や考えていることをビジュアルとして表現」したいという志向はいま、演技という困難かつ深遠な行旅へと出て行った。その行旅に終わりはない。『風の電話』『恋恋豆花』の両作は、それじたいが素晴らしい2020年初頭を飾る日本映画の傑作としてありつつも、モトーラ世理奈というあらたな才能の誕生の瞬間を1コマ1コマとらえたドキュメントとしても、ある。彼女は、ある時はハルという名のさまよえる震災孤児であり、またある時は継母と共に台湾でスイーツを頬ばる菜央という名のツーリストでもある。そしてその役柄の下部構造に、彼女の「感性や考えていること」が脈々と巡っている。巡りながら、変わっていく。あらたなハルが、あらたな菜央がそのつどそのつど発明され直す。そもそも『風の電話』はハルだとされてきたが、彼女自身が、旅のサンチョ・パンサ的同伴者・森尾(西島秀俊)に別れ際、「本当は私の名前はハルではない」と悪戯っぽく告げるのだ。「本当の名前はハルじゃなくてハルカ。春が香るって書いて」とハルは森尾に言ってのける。そうやってあっさりとアイデンティティが変容し、時間と物語が更新されていく。モトーラ世理奈の唯一無二の身体に導かれて、私たちの眼もあらたな世界を発見する。
最後に、『風の電話』で共演した大俳優・西田敏行が彼女について語った言葉を紹介しよう。それは最大限の讃辞であり、西田自身が長年にわたって歩んできたこの芸能界という魔境であらたなダイヤモンドを発見した、という歓喜の吐露である。大御所にここまで言わせる新人は、ちょっと他にいない。
「若い女優さんなのに、遠くを見つめられる。しかも、真実をきいッと見つめられる眼ぢからの強い表現者に出会ったのは初めて。眼と眼が合うと、しっかりと見透かされるような恐怖と悦びが相混ざっている体験をしましたね。すごい表現者が出てきたぞと思ったし、これから世理奈ちゃんがどういうふうに大きくなっていくのか、もっとこの人のいろんな作品を見てみたくなりました」
註:文中で引用したコメントは、引用元を明記した箇所以外はすべて、本記事の著者が作・演出としてかかわり、1月に放送されたテレビ東京の番組『映画『風の電話』──三浦友和、西島秀俊が語るモトーラ世理奈と映画の魅力』の撮影時に収録したコメントより使用。
(荻野洋一)
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