推し武道、末吉9太郎……ファンのコンテンツ化はなぜ進む? “推し活”を開放的に楽しむ時代へ

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2020年02月16日 12:41  リアルサウンド

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 ドラマ、映画、漫画、アニメなど、私たちを楽しませてくれるエンタメ系コンテンツ。中でも、最近はアイドルやアーティストのファンをメインにしたコンテンツのヒットが目立つ。ファンは誰かを応援する側の人間であり、言ってしまえばただの素人だ。それゆえ、社会からは“何かに夢中になっているオタク”という漠然とした扱いをされがちで、個人の感情や生きざまには、あまりスポットが当たらなかった。そんなファンが今、一つのコンテンツとして成り立ち、しかも注目を集めているのはなぜだろうか。その理由を考えてみたい。


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■共感できるオタク人口の増加


 “推し“は、AKB48全盛期から広く普及した言葉だが、いまやオールジャンルで使われている。3次元だけに限っても、俳優、声優、歌手、バンドマン、ダンサー、YouTuber、TikToker、ホスト、メイド、インフルエンサー、コンカフェ(コンセプトカフェ)店員……といったように様々。このことから、まず推される側の母数が増え、”推し“がいる人口も増えた。つまり、「誰かを応援する」という感情を持つ人の数が増えたということだ。


 ファンを題材としたコンテンツは、共感性が肝だ。たとえば、地下アイドルの活躍と彼女たちを応援するファンの姿を描いた漫画原作のアニメ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(TBSほか)5話で話題になったのは、こんなセリフだった。「舞菜は生きてることが私へのファンサだから、生きてくれてさえいればいいから。同じ時代に生まれたこと、そして舞菜のご両親の出会いに感謝」。舞菜(アイドルグループ・ChamJamのメンバー)のトップオタであるえりぴよが、真っすぐな瞳でオタ友に語るこのセリフには、「オタクの気持ちを代弁してくれた」「わかりすぎる」と共感する人の声がTwitterに溢れていた。こういった推しをもつ人にだけわかる感情の共有をできる人口が増えたということは、コンテンツの拡大にも大きく影響したと考えられる。


■オタクと推しの間に生まれた関係と物語


 同時に、推される側の敷居はガクンと下がった。アイドル界隈一つとっても、男性アイドル=ジャニーズ、女性アイドル=ハロプロもしくはAKB48などという時代はとうに終わり、ジャンルの多様化はもちろん、様々な規模のアイドルが男女問わず活動している。また、握手会や撮影会などで接触する機会も増えた。それにより、推す側と推される側の間に“関係性”が生まれたことも、ファンのコンテンツ化に繋がると考える。「認知」「ファンサ」「神対応」「塩対応」「私信」「干される」……これらはすべて、推す側と推される側との微妙な関係性の中で使用される言葉だ。ファンがステージを一方的に見るだけでなく、接触イベントなどでアイドル側もファンを個として見る機会が増えたからこそ、両者の間には関係性が生まれるのだ。


 15万人以上のフォロワーを持つ末吉9太郎は、この関係性を絶妙なさじ加減で切り取ったコンテンツをつくりだしている。彼は現役のボーイズユニット・CUBERSのメンバーでありながら、“ドルオタあるある“動画をTwitterにアップし、いいね1万超えのバズを連発している。彼が動画内で演じるキャラクター”よしえ“は、男性アイドルに推しがいる女の子。オタ友との会話が中心の動画からは、推しとの絶妙な関係性が垣間見える。たとえば、「昨日握手会で、『ニット着てる男子大好きなんだ』って言ったら、(推しが)ニット買ってんだよ? 私信だよこれ〜」と、”推しが自分に私的なメッセージをくれた”と勘違いして大はしゃぎする動画がある。この勘違いができる関係性は、外野からは奇特に見えるかもしれないが、推しとの接触機会が多い人にとってはかなりリアルである。「もしかして、私との会話覚えてたのかな? 私の好みに合わせてくれた?」という、恋愛という関係には物足りない、しかしアイドルとファンの関係にしては過激なよしえの思考は、推しとの絶妙な関係性を匂わせてくる。双方の間に、一方通行ではない関係性が生まれることで、たとえばガチ恋への発展や被り(同じ推しのファン)へのマウンティングなど、様々な方向へ物語が広がってゆく。推しの活躍を見守り受動的に楽しむだけの時代から、自分と推しとの物語をつくることもできる時代へ。そんな変化があったからこそ、コンテンツの濃度をより高めることができ、オタクに刺さるコンテンツ作りに成功したのではないだろうか。


■“推し活”を開放的に楽しむ時代へ


 過去、アイドルオタクのパブリックイメージは最悪だったと思う。そもそもアイドルオタクといえば男性のイメージが強く、アイドル以外のことに興味がなく、自身の身なりにすら気を使わないオタク像しか存在しなかったのだ。しかし最近は、アイドルオタクに女性の割合が増え、“推し活”をファッションに取り入れて楽しむ人口が増えた。たとえば、ジャニーズのファンの間では“量産型ヲタク”といわれるガーリー系ファッションが数年前から流行しており、可愛いオタクに憧れる女の子の間では、今もかなり人気が高い。また、ファッション系メディアで“推しカラーでコーデ!”などという特集が組まれているのもよく見かけた。これらは、女性のアイドルオタクだけにある流れで、接触→認知→関係性の形成といった道を通り、推しから見られることを意識しての行動でもあるだろうが、何より純粋な楽しさが大きいのではないだろうか。推しに会えるのももちろん楽しみだが、オタ友と色違いの推しカラーの可愛い服を着て、推しの写真を持ってプリクラを撮り、SNSにあげる。そんな開放的な推し活は、オタクであることそのものを楽しむことにも確かに繋がっていると思うのだ。


 これまでのアイドルオタクというのは、「推しが好きだ」という自分の内なる感情と向き合い、推しに金を積む。そんな存在だった。しかし今は、開放的に“推し活”を楽しみ、オタクであることそのものを自己肯定できる人が増えた。それゆえ、自分たちオタクを主役としたコンテンツも、ポジティブに楽しめる人の数が増えたのではないだろうか。


■ファンをコンテンツ化するということの価値


 ファンを主役にしたコンテンツとして、私は忘れられない番組がある。2015年に放送され話題を呼んだ『ザ・ノンフィクション 中年純情物語〜地下アイドルに恋して〜』だ。これは50代の独身男性を追いかけたドキュメンタリー番組で、リフレマッサージ店員を兼任する地下アイドルにハマり、ライブやお店に通ってお金を落とし続けるが人気が出る兆しはなく、彼女は突然卒業してしまう。男性は、彼女を推していた日々を振り返り、「夢のような世界だった」と呟き涙を零すと、アイドルオタクになる前のただの中年男性に戻る。ドキュメントということもあり、胸が締め付けられるほど切ない番組だった。これまで書いた陽寄りのコンテンツの切り口とは全く違う。しかしこれも、紛れもない現実だった。


 “いつまでも いると思うな 親と推し”。誰が言いだしたのかわからないが、ごもっともな言葉だ。先述の『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の主人公、えりぴよの言う通り、“推しは生きていることそのものがファンサ”なのだ。だからこそ、推しを現場で応援するファンは、いつだって本気で真っすぐだ。そしてそんなファンの姿は、非オタクの心をも動かすことができる。つまり本気で推しを応援するオタクの生きざまが、コンテンツとして世に送り出す価値を生み出した。そう言っても過言ではないだろう。(南 明歩)


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  • なんか違うなぁと思うのは世代の差なのか…
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