レネー・ゼルウィガーが体現する“女優”の光と闇 『ジュディ 虹の彼方に』渾身の演技に打ち震える

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2020年03月30日 10:01  リアルサウンド

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『ジュディ 虹の彼方に』(c)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

 ジュディ・ガーランド、この名前を聞いて多くの人が思い出すのは映画『オズの魔法使』だろう。1939年に公開された総天然色のミュージカル映画で彼女は主役のドロシーを演じ、“アメリカの清純な少女”のアイコンとして国中の人々に愛されてきた。


参考:『ジュディ 虹の彼方に』レネー・ゼルウィガーが語るハリウッドの変化 「すべての面で変わっている」


 だが、彼女自身のプライベートは決して清純でも幸福でもなかった。生涯に5度の結婚、半強制された薬を使うダイエット、精神的に不安定な日々、映画会社からの解雇ーー。1969年、ジュディは47歳の若さで人生の幕を閉じている。


 『ジュディ 虹の彼方に』は、ジュディ・ガーランドが滞在先のロンドンのホテルで亡くなる前の半年間を描いた映画。第92回アカデミー賞でポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が場を席巻する中、本作でジュディ・ガーランドを演じたレネー・ゼルウィガーは最優秀主演女優賞を獲得した。


 この作品を一言で表すなら「“女優”に打ち震える映画」だ。


 ジュディ・ガーランドという女優をレネー・ゼルウィガーが演じ切る。アメリカの誰もが知る存在を同じく女優である彼女が演じる覚悟とその完成度。じつはほぼ事前情報を入れずに映画館に向かったのだが、劇場を出る際、口をついて出たのは「凄い……すさまじい」のリフレインだけだった。


 1960年台後半、ハリウッドでの仕事を失ったジュディは幼い子どもふたりを連れ、ステージを転々とする毎日。住む家もない生活を変えようと決心した彼女は、元夫に子どもたちを預け、ショー出演のためロンドンへと渡る。ロンドンでの人気は根強く、不眠や精神不安に悩まされながらも一流クラブのステージに立つジュディ。そこに、以前、パーティーで出会った年下の男性、ミッキーが現れふたりは結婚するのだが、その幸せも長くは続かなかったーー。


 上に簡単にまとめたあらすじをお読みいただければわかる通り、正直ストーリーラインに大きなひねりやあっと驚く大逆転はない。“スター”と呼ばれた女性がその栄冠を失った時、誰もが想像する道をジュディも歩む。


 ではなにが“すさまじい”のか。それは“女優”という存在である。


 本作でジュディ役を担ったレネー・ゼルウィガー。2001年公開の『ブリジット・ジョーンズの日記』では、ダサいセーターの法廷弁護士、マーク(コリン・ファース)と勤務先のモテ上司、ダニエル(ヒュー・グラント)との間で揺れるアラサー女子を等身大に演じ、多くの女性たちから共感を得た。テキサス出身の彼女がこの役を演じるためにイギリスにわたり、体重を15キロ増やしたことは有名な逸話だ。


 ブリジット・ジョーンズで人気女優の座を手にしたレネーは、翌年公開の『シカゴ』でミュージカル映画にも挑戦。愛人を撃ち殺して服役する刑務所で起死回生を図るロキシー・ハート役を演じる。この作品でも彼女はアカデミー賞主演女優賞、英国アカデミー主演女優賞等にノミネートはされたが、個人的にはロキシーと対(つい)をなすヴェルマ・ケリーを演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズのほうが、歌やダンスの実力が勝っているようにも感じた。


 その後『コールド マウンテン』(2003年)、『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』(2004年)、『ミス・ポター』(2006年)等の作品でさらにキャリアを積んだ彼女はプライベートを優先させるため、2010年以降、しばらくハリウッドから姿を消す。復帰作となったのは、自身の代表作であるブリジットシリーズの第3弾『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』(2016年)だ。


 『ジュディ 虹の彼方に』は彼女の主演復帰2作目。本国での公開は2019年で、前作から3年空いている。この間、準備も含め、レネーがジュディ・ガーランドとしてスクリーンの中で生きるためにすべてを注ぎ込んだことがこの映画を観ると痛いほど伝わってくる。


 登場した瞬間から全身に漂う疲れきった空気とある種の絶望感。子どもたちのために良い母親になろうとしても薬や酒、若いパートナーに逃げてしまう自堕落な日々。観客の前に出るのが怖くて仕方がないのに、ステージ上でしか幸福を得られない女優としての性(さが)。


 ちょっとおバカでコミカルに酔っぱらうブリジット・ジョーンズも、男たちを翻弄しているつもりで逆に利用されてしまうロキシー・ハートもそこには1ミクロンも存在しない。スクリーンの中にいるのは子役時代に大人たちから受けたさまざまなハラスメントと薬物使用のトラウマにつねに苦しみ、いつも不安定な精神状態でなんとか立っているひとりの“女優”だ。


 この映画の見どころのひとつが、ロンドンのクラブでジュディが歌う場面だが、これも非常に素晴らしい。心の不安が観客の前に立つことでエネルギーに転化される様子や、思うように進められないステージに苛立ちが募り自爆していくさまが繊細な表現で紡がれていく。劇中の歌はもちろん、レネー自身が歌っているのだが、『シカゴ』ロキシー役の頃とは比べ物にならない進化を遂げていると感じた。特にオーラスで歌われるあの2曲はすべてにおいて圧巻だ。


 人生に疲れ、60歳にも見える46歳の役をほぼ同年代のレネーが演じる凄味。若く見せるのではなく、人の何倍もの速さで心の歳を重ねてしまった女優の役を、しわや崩れたメイク、不健康に痩せた身体を武器にしてリアルに魅せるその覚悟。


 それにしても“女優”という存在はなんて切なく孤独な存在なのだろう。『サンセット大通り』のノーマ、『イヴの総て』のマーゴ、『キャバレー』のサリー、そして本作のジュデイ……どんなに華やかでハッピーに見えても、彼女たちの真の幸せは舞台の上かカメラの前にしかない。


 『ジュディ 虹の彼方に』は、ストーリーや仕掛け、派手な演出に注目する作品ではなく、ただレネー・ゼルウィガー渾身の演技を堪能し、胸を震わせる映画だ。かかとを鳴らせば願いが叶う、あの虹の向こうには夢の国があるーー。そんな“アメリカの清純な少女=ドロシー”が歩んだリアルな人生を見つめ、女優が作り出す光と闇とを心に強く焼き付けてほしい。(上村由紀子)


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