開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:NISMO

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2020年04月27日 22:11  AUTOSPORT web

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2020年のスーパーGTに挑む松田次生/ロニー・クインタレッリ組MOTUL AUTECH GT-R
新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第28回目は、GT500クラスに参戦するNISMOだ。

■NISMO
マシン:MOTUL AUTECH GT-R
ドライバー:松田次生/ロニー・クインタレッリ
カーナンバー:23
監督:鈴木豊
タイヤ:ミシュラン

 長いスーパーGTの歴史のなかで、ドライバーズタイトル7回とトップチームとして君臨するのがNISMO。ニッサンのエース格の存在であり、チームとしての働きとしてだけでなく、ニッサンのモータースポーツ用車両やパーツの製作、さらに活動全体を担当。またパフォーマンスパーツも手がけている。

 ニッサンのモータースポーツ活動は、かつては追浜、大森と2カ所に分かれていたが、1984年に日産宣伝第3課大森分室の設備・建物を活用し、日産追浜工場内にあった特殊自動車実験課の車両開発業務を統合されて生まれたのがNISMOで、ル・マン24時間への挑戦をはじめ、ラリーやツーリングカーなど、事細かに記しきれないほどの伝統をもっている。

 そんなNISMOは、当然ながら社名であるニッサン・モータースポーツ・インターナショナルの『NIS』と『MO』から取られた言葉。1984年の創業時は楕円のロゴが使われていたが、1997年に現在のものに近いものに変更され、2004年からは小変更を受け現在のものに至っている。

 スーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権には、初年度の1994年に参戦を開始しているが、その前年に行われたインターサーキットリーグ(ICL)の一部門のJGTCに参戦したカルソニックカラーのスカイラインGT-Rもニスモが走らせていた。

 1994年からはゼクセルスカイライン(#2)、ジョンソンスカイライン(#10)が参戦。95年にはJOMO R33(#55)とジョンソンスカイライン(#10)、96〜97年はゼクセルスカイライン(#2)とKURE R33(#556)と、スポンサーにちなんだ番号と、グループA時代からお馴染みだった『2』がカーナンバーとして多く使われてきた。

 これは、グループC時代にワークスによる戦いから一変した初期のJGTCでは、どちらかといえばメーカーおよびメーカーワークスは参戦チームの後方支援を行おう……という姿勢の表れだったよう。また、当時はNISMOとしてもル・マン24時間挑戦にやはりプライオリティがあった。

 現在でもお馴染みの『23』が初めてJGTCに登場するのは、1997年にホンダNSX-GTが登場し、メーカー同士の争いが激化しはじめた1998年からだ。エリック・コマス/影山正美組ペンズオイル・ニスモGT-Rが初めて『23』をつけて戦い、その年のチャンピオンを獲得した。

 これ以降NISMOはエースカーが『23』をつけ、2001年からは2台体制のときのもう1台は『22』をつけている。この『23』はご存知のとおり『に・さん』と読むことから来るニッサンのワークスナンバーのうちの最も重要な番号。ワークス活動のスーパーGTで使われているほか、フォーミュラEでも使われる。

『23』は1969年日本グランプリでのR382にも使われているとおり、長い伝統をもつ番号。時によって違いはあるが、基本的に『22』『23』がメインで、3台走らせる場合は『21』を使う。また、『サニー』からとられる『32』もワークスナンバーととらえられている。

 これを象徴するような参戦が、1997〜98年のR390 GT1によるル・マン24時間挑戦。1997年は『21・22・23』を使用。3位表彰台を獲得した98年は『23』が先にエントリーされてしまったようで、『32』をメインに『30・31・32』が使われている。ちなみにグループC時代は『23』と『32』、1989〜90年はNISMOが『23』、海外組が『24・25』『83・84』を使った。日本人組のNISMOが『23』を使う流れだった。

 いまやNISMO=『23』とスーパーGTでも定着。一方で、“強いNISMO、勝つNISMO”というプレッシャーとも戦わなければならない番号でもある。チームも、松田次生もロニー・クインタレッリも、もちろんその思いは毎年抱いている。

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