『未来少年コナン』を再放送の今こそ観よう 散りばめられた宮崎駿作品のエッセンス

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2020年05月24日 10:01  リアルサウンド

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『未来少年コナン』(c)NIPPON ANIMATION CO.,LTD.

 「作家は処女作に向かって成熟していく」とは文芸評論家の亀井勝一郎氏の言葉だが(『太宰治研究』より)、どんな作家にもデビュー作があり、そこには才能の萌芽とむき出しの野心と純粋な表現欲が溢れている。


 国民的アニメーション監督・宮崎駿にもそれは当てはまる。宮崎氏の監督デビュー作(名義は演出だが実質監督)『未来少年コナン』が現在、NHKにて再放送中だが、本作にはその後の宮崎作品に見られる諸要素が数多く散りばめられ、その才気とテーマ性を数多く発見することのできる作品だ。アレグザンダー・ケイの小説『残された人々』を原作としているが、大幅に改変を加え、宮崎氏独自の作品に仕立て上げられている。宮崎駿唯一のTVシリーズ監督作品であるという点でも貴重だが、それを抜きにしても日本のTVアニメ史の傑作としても名高い作品だ。


参考:ほか場面写真多数


 スタジオジブリで作られた名作群と同じく色褪せない魅力を持つ本作だが、毎年のように放送されるジブリ映画作品と異なり、視聴機会は限られていたので今回の再放送は非常に貴重な機会だ。世界中を魅了した宮崎作品のエッセンスがぎっしりと詰まった本作の魅力を紹介してみたい。


・文明崩壊の絶望と躍動する主人公
 『未来少年コナン』は、核兵器を超える超磁力兵器が使用された戦争で荒廃した未来を舞台にしたSF冒険活劇だ。地形は変形し大半の大陸が海に沈み、多くの人間の命が失われた。主人公のコナンは「のこされ島」と呼ばれる小さな島に「おじい」と2人で暮らしている。ある日、コナンは海岸に漂着した少女ラナを助ける。彼女はハイハーバーという島で生活していたところを、科学都市インダストリアルの連中に誘拐されたところを逃げてきた。追っ手に再び連れ去られたラナを救うために、コナンは大海原へと大冒険に出発する。


 一人の少女をめぐり、少年が小さな島から巨大兵器の眠る科学都市、牧歌的で質素な共同体の残る島まで様々なところを駆け巡る。その過程で個性豊かな仲間や敵と出会い、小さな島での生活しか知らなかった少年が成長してゆく。


 文明崩壊後の絶望の世界をもろともしない突進力ある主人公の躍動感、仲間と絆を育み団結して機械兵器に立ち向かうカタルシスに溢れている。人間の文明が地球を破壊する未来への不安、地震や津波などの自然の脅威も描かれ、それでもなお希望を捨てずに前向きに生きてゆくこと、冒険の楽しさを高らかに謳い上げた作品だ。


 最終戦争により文明が崩壊した世界観は、『風の谷のナウシカ』に受け継がれ、快活な少年が少女のために戦い、世界の危機を救う物語構成は『天空の城ラピュタ』に継承された。人類文明と自然の対立といった要素は、『ナウシカ』や『もののけ姫』など様々な宮崎作品の主要なエッセンスの一つで、宮崎氏の思想の変遷を読み解く上でも非常に重要な作品となっている。


・宮崎駿の創作の原点「破壊と再生」
 本作は、人類の愚かな戦争によって地球環境が破壊された後、再び再生してゆく物語と言える。自然の再生力への信頼と人類の文明の破壊力への失望がありありと見て取れる作品であるが、「破壊と再生」は宮崎駿の創作の源と言える。


 本作で作画監督を務めた大塚康生氏も自著『作画汗まみれ』で氏の創作の原点は「破壊と再生のエネルギー」と語っているが、本作はその最初の実践でもあっただろう。


 宮崎氏の作品は、破壊の享楽と再生の希望的カタルシスがともに描かれることに特徴がある。例えば、『風の谷のナウシカ』の巨神兵による薙ぎ払いのシーンの迫力と恐怖のカタルシスの後に、ナウシカがオウムに導かれ「青き衣の者」として再生し、自然が再生してゆくことが示唆される。本作もまたその2つの相反するカタルシスの連続が描かれる。


 地震や津波の破壊による混沌、ハイハーバーを占拠しようと目論んだインダストリアルとの戦闘による破壊から敵対していた人々が一緒に麦作りに精を出し、新しい共同体が生まれること、終盤の最終兵器ギガントの一戦の後に訪れる大円団。全26話で何度もこの破壊と再生のカタルシスの波を繰り返して物語は前に進んでゆく。起伏が大きくドラマチックな展開の連続で飽きさせることがない。デビュー作において、その後の作品でも発揮される2つの相反するカタルシスを自在に操る話法が極めて高いレベルで完成しているのだ。


 演出面でも破壊と再生のカタルシスは見て取れる。ロケットの残骸をベースに建てられた、のこされ島の家とおじいを失った後、コナンはやりきれない思いを発散するために岩を持ち上げては破壊する。悲しみと怒り、喪失感や悔しさなど様々な感情が入り混じった複雑なシーンを、強烈にデフォルメした絵と動きだけで表現してみせる。


 破壊から再生は、宮崎氏の創作姿勢にも現れている。本作は原作小説の内容とは大きくことなり、宮崎氏による原作の破壊と再生が行われていると言ってよい。世界観の設定を借り受けているものの、キャラクター設定などは完全に別もので独自の宮崎ワールドに染め上げているのだ。


 大塚氏は上述の自著で、宮崎氏は自身のオリジナル作品の『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』ですら原作とは異なるものに作り変えて映像化していることを指摘し、「攻撃的に破壊、再生を加えるのが宮崎さんの創作の原点にあるのではないでしょうか」と記している。


キャラクターたちの果てしない魅力
 物語だけでなく、個性豊かなキャラクターたちも本作の大きな魅力だ。恐れを知らぬ野生児のコナンは『天空の城ラピュタ』のパズーに代表される、勇敢な少年の原点と言えるし、健気で勇敢なヒロイン、ラナもその後の宮崎作品に度々登場する、意志の強いヒロイン像を連想させる。


 日本アニメを研究するスーザン・ネイピアは自著『ミヤザキワールド 宮崎駿の闇と光』にて、本作について「キャラクターたちは画面から飛び出してきそうなほどの躍動感に溢れて」いると語り、ヒロインのラナについては「しとやかでありながら意志が強く、勇敢であると同時に愛情深い」存在で、後の宮崎作品に登場するヒロインの「真の祖先」と記している。


 さらに特筆すべきキャラクターは、最初はコナンたちの敵として登場するモンスリーだ。『風の谷のナウシカ』のクシャナや『もののけ姫』のエボシ御前に連なる、理知的で冷徹さと慈悲深さを併せ持った女性指揮官だが、宮崎アニメを特徴づけるキャラクターと言ってよいだろう。彼女の存在が単純な勧善懲悪で分断しない、人間模様の奥深さを本作に与えている。


 その他、コナンの相棒となるジムシーや、ダイス船長などのコミカルなキャラクターたちの活躍も見逃せない。本作の文明崩壊後の絶望的世界を過剰に不安に陥らずに観ていられるのも、これらのキャラクターたちの配置の絶妙さに負うところも大きいだろう。


 そして、本作において悪を担うのは、独りよがりな独裁者レプカだ。『カリオストロの城』のカリオストロ伯爵や、『天空の城ラピュタ』のムスカを彷彿とさせるキャラクターで、倒されるべき悪を体現してカタルシスの創出に大きく貢献している。


 破壊と再生のカタルシスと血湧き肉躍る冒険活劇の魅力に溢れた物語、躍動感ある画面作りに支えられ、絶望の世界を生き抜く人々の強さを高らかに謳い上げた傑作である。宮崎映画は何度もテレビ放送されるが、本作はTVシリーズであるためか、視聴機会は限られる。ぜひともこの機会を見逃さないようにしてほしい。 (文=杉本穂高)


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