日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月24日は「夜だけ開く心の診療所 〜生きづらい時代の物語〜」というテーマで放送された。
あらすじ
精神科医の片上徹也は大阪ミナミの繁華街アメリカ村にある、夜だけ開く精神科診療所「アウルクリニック」で患者と向き合っている。開院して6年で4,000人近い患者が同院を訪れ、その多くは20〜40代の若者や働き盛り世代だ。
片上は昼間はいくつかの総合病院の精神科で勤務医として働き、夜はアウルクリニックで働く多忙な生活を送る。片上は27歳の研修医時代にくも膜下出血で倒れ生死の境をさまよった経験がある。1年半のリハビリで医師に復帰したが、左半身の麻痺が後遺症として残り、つい右側に傾きがちになるので、そのアンバランスさを補うために診察室には鏡を置いている。
片上の診療所には子どもを産めない自分に価値はないと悩む保育士、自分の指の皮を剥くのを止められない女性、幻覚、幻聴がやまない女性、窃盗癖がある男性、パワハラで退職しうつ状態から回復できない男性など、さまざまな人が訪ねる。「どうすれば患者に寄り添うことができて、気持ちを楽にさせられるか」をテーマに片上は今日も診察を続ける。
心の問題をゼロにしようとするから苦しい
今回印象的だったのが、指の皮を剥くのをやめられない女性だ。指輪をしていたすらっとした手は、指の先だけが何度も皮を剥き続けていたためか、ぷっくりと赤かった。出血するまで皮を剥くのをやめられず、机に皮の山ができるという。
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番組内では、この女性が過去や現在に精神的負荷がかかるような出来事があったと話しているわけでもなく、本人にも自分が指の皮を剥く動機がよくわかっていないように見えた。ほかの精神科クリニックを訪ねるも、そのうち治る、という気休めのような診断をされていたが、「バカげてるとわかっているけどやってまうのは強迫性障害っていうのがメインかなと思います」と片上は診察し、薬を処方したうえで「(この問題を)ゼロにせんでもいいかもしれん。ゼロにせんでも(心と体の状態が)エエわを目指す」と話し、その言葉に女性は安心していた。
この「ゼロにしなくていい」には覚えがあった。以前、ゲーム依存対策の会合に参加した際、治療に携わる精神保健福祉士の齋藤広美氏が以下のように話していた。「人生はしんどい、苦しい、解決できないことのほうが多く、そんな中どう生きていくかです。ただ、『しんどい、苦しい、解決できないことを持ち続ける力』が弱いな、と(ゲーム依存の)患者さんを見ていて思うことがあります。生きづらさを誰かに話したりして『減らした上で、持ち続ける、抱えていく』ことができず、耐えられなくなってしまうんです」。
この発言は片上の「ゼロにしなくていい」と通じるものがあるだろう。精神医療の臨床に携わる人たちの「ゼロにしなくていい」という考えが、もっと一般に広まれば、楽になる人は増えるのではないだろうか。
番組内では職場のパワハラが原因で退職し、その後もうつ状態が続き、以前のように笑えなくなったり、感情のコントロールができず母親に手を上げてしまい苦しむ男性が出てくる。その男性は「前のように戻りたい」と切実な思いを話していた。
しかし、「前のように戻りたい」は「(この問題を)ゼロにしたい」ともいえる理想だ。理想が高すぎれば、現実がそれにそぐわず失望が増えていきやすい気もする。一方で「ゼロにせんでも、エエわ、を目指す」というのは劇的な解決がゴールではないし、奥歯に何かモノが挟まったような「スッキリ」としない状況だが、現実的な落としどころのように思える。「ゼロにしなくていい」というのは、「ゼロにしようとするから苦しい」ともいえるのではないだろうか。
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今回のサブタイトルは「〜生きづらい時代の物語〜」。今が「生きづらい時代」になったのは、こういった「問題をゼロにする(問題がなかった頃に戻る)」のが正解だ、良いことだ、とする凝り固まった価値観もあるのではないかと思う。
うつ病で休職中の若い男性社員に付き添って訪れた会社の上司は、復職のプログラム作成を片上に依頼する。心の病にかかった社員を見捨てずに、夜、休職中の社員に付き添ってクリニックを訪れるとは、なんていい人だと思うが、一方で「完璧な復職プラン」を求めている雰囲気もあり、片上から再発の可能性は50%くらいあると聞いて困惑していた。
「完璧な正解がどこかにあるのだろう(少なくとも専門家は知っているのだろう)」という発想も、先ほどの「問題をゼロにする」と同様に、理想が高いように思える。実際は戻れるか戻れないかは半々で、復職する側だけでなく、復職を支援する側も疲弊せず、気長に、というあたりが現実的なのだろう。これまた歯切れの悪いスッキリしない状態だが、現実はそうそうスッキリとはいかない。
案外「生きづらさ」の原因は、「問題をなくさなくてはいけない」「どこかに一つの正解があるはず」という考えによるのではないか。検索すればなんでも見つかるように見えるネット社会の弊害なのだろうか。逆に言えば、昔の日本人は問題に対しどう対処していたのだろう。ひたすら耐え忍ぶことでやり過ごしたのか、それとも「ゼロにせんでも、エエわ、を目指す」がもっと自然にできていたのだろうか。
次週のザ・ノンフィクションは「家族のカタチ〜ふたりのお母さんがいる家〜」。西山嘉克とゆかりは2012年に結婚するが、わずか8カ月後、嘉克は仕事の助手である裕子も好きだとゆかりに衝撃の告白をする。結果、父1人母2人子6人となった西山家の暮らしについて。
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