「東京パラ以降も残る制度を」 山本篤、“走る科学者”が子供達へ繋ぐ夢

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2020年05月26日 11:30  AERA dot.

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写真陸上競技選手 山本篤 (c)朝日新聞社
陸上競技選手 山本篤 (c)朝日新聞社
 パラスポーツ界の先駆者である陸上競技選手、山本篤さんがAERAに登場。後に続く後輩や子どもたちの選択肢を広げたいと話した。AERA 2020年6月1日号から。

【山本篤さんが表紙を飾ったAERAはこちら】

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 2008年の北京パラリンピックで、義足の陸上選手として日本初のメダリストになった。その後10年以上も世界のトップで戦い続ける彼には、「走る科学者」の異名がある。大阪体育大学大学院博士課程で運動力学を研究し、現在は同大学の客員准教授を務める。さらに、義足のスペシャリストである義肢装具士の国家資格も持つ。

 18年にはスノーボードで冬季パラリンピックにも出場。入賞には手が届かなかったが、得たものは大きかった。選手村で同部屋だった成田緑夢や隣部屋の新田佳浩ら金メダリストを間近で見て、心境の変化があった。

「これまで『記録より金メダル』と思ってきたけど、リオで自己ベストを出しても銀だったように、メダルの色は相手次第。それより自分の最高のパフォーマンスを出そうと思うようになりました」

 19年には37歳にして3年ぶりに自身の持つ走り幅跳びの日本記録を更新した。「大会当日に調子を合わせるピーキングがより上手になった。1年延期された東京パラリンピックにも調子を合わせていけるよう準備するだけ」と力強い。

 17歳で左足を失って、泣いたのはたった1度だけだという。義足でもスポーツをしている人がいることを医師から聞き、それが大きな希望になった。

 今、自身がプロのパラアスリートとして、義足ユーザーや義足アスリートの希望になっている。見つめているのは、東京パラリンピックのその先の未来だ。

「競技用義足は数十万円から100万円ほどと高額で、義足で走っている子どもは少ない。でも、義務教育課程で体育があるのだから、子どもたちには競技用義足を提供できる仕組みが必要ではないか。制度など、東京パラリンピックの先に残るものを作りたい」

(編集部・深澤友紀)

※AERA 2020年6月1日号

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