VINTAGE ROCK 若林敏郎氏が語る、「Stand by Crews」プロジェクトへの思いと“コロナ以降”のライブとの向き合い方

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2020年06月16日 12:02  リアルサウンド

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VINTAGE ROCK 若林敏郎氏

 コロナ禍における音楽文化の現状、そしてこれからについて考えるリアルサウンドの特集企画『「コロナ以降」のカルチャー 音楽の将来のためにできること』。第9回は有限会社ヴィンテージロック代表・若林敏郎氏へのインタビューを行った。スピッツ、UNISON SQUARE GARDEN、クリープハイプなど数多くの人気バンドのライブ制作・運営に携わってきた同氏がコロナ禍に直面した公演の自粛。仕事を失ったライブやイベントの現場を支える大切なクルーたちをサポートするべく立ち上げたのが「Stand by Crews」だ。本プロジェクトでは、スピッツの恒例イベント『サンセット』協力のもと、グッズの収益を支援金として関係各所に分配する。同氏にプロジェクト立ち上げの経緯から、今後のライブのあり方に対する考えまでじっくりと話を聞いた。(6月9日取材/編集部)


(関連:クラムボン ミトに聞く、バンドが危機的状況下で向き合うべき問題 「生活を守るために今の世界と戦わなければいけない」


■音楽を大事に思ってくれている人たちに向けてできることを


ーー改めてVINTAGE ROCKはどのような仕事をしている会社か教えてください。


若林:国内のロックバンドを中心としたアーティストのコンサートツアー、ライブ、自社主催イベントの制作・運営を行っている会社です。在京でイベンターを始めるときに一つのジャンルに特化した、カラーを持ったイベンターを作りたいと考えました。自分が好きな音楽ということも含めて、日本のロックバンドを応援していきたいという思いで会社を始めて今に至ります。


ーーコロナ禍の状況を振り返ってみていかがでしょうか。ブログでは3月からの動きや心情が生々しい言葉で綴られています。


若林:みなさん一緒の状況なので、僕たちと関わっているアーティストに限ったことではないですが、9年前の震災の時も一時的な自粛はありましたが、まさかこんな世界が訪れるとは……というのが正直なところです。最初に自粛要請が出た2月26日は3月に行われる2万人規模の公演の会場打ち合わせをしていて。そこでは「大丈夫でしょう」という話をしていましたが、ニュースが飛び込んできて一変しました。次の日に控えているコンサートもいくつかあったので、打ち合わせを半ば中断するかたちで各所に連絡をとり、直近に迫っている公演の対応を行って、半月くらいはずっとその繰り返しでしたね。最初はこんなに長引くことを全然予想していなかったし、4月になればできるだろうと予想していたのですが、状況はご存知のとおり思わしくなくなる一方で。緊急事態宣言に入ってからは、いかに今の状態が長期化するかを見据えた動きにシフトしていきました。


ーー音楽業界は音楽人同士の支え合いによりここまで持ちこたえてきたという側面があります。世の中のエンターテインメントに対する見方についてはどのように感じていますか?


若林:緊急事態宣言が解除されて少しずつ日常に戻っていく中で「満員電車がライブハウスのようだ」という報道を目にする機会がありますが、僕からすると「ライブハウスが満員電車のようだ」というように逆の見え方なんです。やっぱりまだライブハウス=悪のような伝え方をされるのだなというのは悲しくなりますね。ただ、人によっては必要のないものでもあるということは理解していて。音楽にまったく興味がなかったり、音楽に救われたという瞬間がない人も当然いるわけで、まずは衣食住があり、その先にあるものではあると思います。でも、顔が見えないリスナーの人たちも含めて僕が見ているのは音楽を大事に思ってくれている人たちなので、こういう言い方は誤解を招くかもしれないけれど、僕はそういう人たちに向けてできることをやっていきたいと思っています。


ーーブログの中には「やめてしまおうか」とつらさを吐露していた日もありました。そのような思いからどのように心情は変わっていったのでしょうか。


若林:引き続き出口が見えない状況ではあるのですが、最近増えてきている配信での公演、ロックバンドがたまに行うアコースティックスタイルで、客席を間引いて行う公演などを行えるムードが徐々に出てきています。そんな中で長期の自粛期間をうまくつなぎとめる公演の提案、これまでとはかたちを変えた提案をしていきたいと思い始めるようになりました。


ーー現在のお仕事の状況はいかがでしょうか。


若林:来年予定していたものに加えて、この数カ月の予定が延期になっているのでスケジュールのバッティングが出てきています。アーティストによってどこまで先の計画を組んでいたのかは差がありますが、組み立て自体を大きく変えていかなければいけないなと。さらにオリンピックもずれているので、来年控えていたものを再来年以降にずらしたり、来年の終わりに動かしたり。そういった予定の変更はいろんなアーティストの中でかなり出てきています。今はスケジュールの組み直しの作業が主な業務になってきましたね。


■スピッツとの出会いと『サンセット』の歩み


ーー今回始動した「Stand by Crews」は、スピッツの恒例イベント『サンセット』協力のもと立ち上げられた支援企画です。スピッツとの出会いや『サンセット』の立ち上げについて教えてください。


若林:スピッツとはメジャーデビューする直前に出会ったので、30年以上の付き合いになります。バンドがキャリアを重ねてそれなりのポジションにいる中で、アルバムを出してコンサートツアーをやって、という一つのルーティーンはそれはそれで正しいのですが、その先の活動にむけてちょっとなにか違うアプローチをしてみないかという話から始まり、10年前からスタートしたイベントが『サンセット』です。若いバンド・若いお客さんとの交流などをバンド発信でやっていこうというのがコンセプトのひとつとなっています。


ーー今年で10回目となる予定だった『サンセット』ですが、どんなイベントに育ったと感じていますか?


若林:スピッツにもいわゆるパブリックイメージのようなものがあるかと思うのですが、「こういうこともするんだ」という新たな提示ができたのではないかと。あと、今第一線で活躍している若手バンドとスピッツのメンバーはだいたい20歳以上年齢が離れているのですが、例えばご両親がスピッツを聴いていて、それに影響されてバンドを始めたという話を聞くことも多くて。そういう若いバンドの子たちもいるということはこのイベントのブッキングを通じて発見できたことです。スタッフサイドにも新鮮な感触が手応えとしてはありますね。


ーー草野マサムネさんはラジオでも積極的に新しい世代のミュージシャンの音楽を紹介されていますが、『サンセット』というイベントはライブを通して新しい音楽をファンやリスナーにレコメンドする機能を果たしています。


若林:バンドとしてもそうですし、イベントとしても「まだあまり知られていないけれど、いい音楽を現役バンドマンが紹介していく」という部分に責任のようなものを持って取り組んでいます。イベントの成り立ち含め、意義のあるイベントに育ったのではないかと感じています。


ーーYouTubeでは横浜・赤レンガパーク野外特設会場にて開催された一夜限りの野外ライブ『スピッツ 横浜サンセット2013 -劇場版-』が公開中です。こちらの公演の出来事は覚えていますか?


若林:もちろん覚えています。台風がイベントの翌日に直撃して、前日も雨予報がずっと出ていて徐々に風も強くなっていましたが、当日は奇跡的に日差しが差し込んできたり、ライブ中に大きな月が見えたりして無事終えることができました。台風と戦いながらやっていた印象が強く残っています。


ーー 「Stand by Crews」はどのような経緯で始動したのでしょうか。


若林:3月中下旬くらいから漠然と今の状況が相当長くなるという予感が個人的にもありました。自分の会社もそうですが、ライブハウスやスタッフがこの先どうなるかわからない中で、自分は何をすべきかをずっと考えていました。「ライブハウスを守ろう」というクラウドファンディングの動きが少しずつ活発になり、それに賛同されている方々の姿を見て「リスナーの人たちはまだ音楽を必要としてくれているんだ」と感じる部分もありましたね。


 スタッフや関係者と電話で中止の話をすると「いったいいつからやれるんですかね」とか「あと2〜3カ月このままだとちょっとやばいかも」という声が聞こえてくるようになっていて。そこで具体的にどういうことができるかを考えていたんですけど、例えばライブハウスがクラウドファンディングを始めるとなると、ライブハウスという対象が見えやすいから支援する人の気持ちも動かしやすい。一方でスタッフは縁の下の力持ちとしてライブを支える存在ではあるものの、顔や名前があまり見えない分、お客さんにとっては支援をする人のイメージが湧きづらいのではないかと。そういう人たちを支援するための方法論がなかなか見つけられなかったんです。


 そんな時にスピッツの3月から始まるはずだったツアーが全て11月以降に延期することになり、控えていた『サンセット』の開催も難しくなりました。そこでイベントはやらなくても毎年販売しているグッズを作って経費を除いた収益をスタッフに還元したいという相談をスピッツのマネージメントチームにして、了承を得ることができました。毎年東京・仙台・大阪の3箇所でイベントをやっているのですが、プロデューサーチームがオンラインで集まってそこに向けた動きが始まり、思いついてから着手するまでは早かったです。


 クラウドファンディングを始めるということも一瞬考えましたが、トゥーマッチにリスナーの力を借りるのはどうなのかということをずっと思っていて。僕たちのような会社が、例えば音源を売るというのもそもそも音源を作る機能を持っていないし、これまでやってきた生業を崩してやることが正しいのかという自問自答もありました。そういった意味ではイベントグッズは毎年売っていたものですし、今回イベントを行わないのでイベント制作費に充当していた収益をすべて支援に充てることができます。


ーースピッツのみなさんも30年の活動の中でライブを絶え間なく行ってきて、中止せざるを得ないことに対するさまざまな思いがあるかと思います。


若林:スピッツに限らずどのバンドもとにかく今は中止になって悔しいというよりも、1日でも早く元に近い状態に戻ること、ファンのみなさんの安全面や健康面のことのほうが気持ちとしては最初に来ているとは思います。そして予定していたライブを再開できる時にはチーム全員が揃っていたいということは強く思っている部分だと思いますね。


ーーライブのステージを作っているスタッフは具体的にどんな方々がいるのでしょうか。


若林:規模が大きくなるにつれて関わるセクションは多岐に渡っていきますが、ライブハウスのツアーの場合、ステージ上で鳴らされるすべての楽器や声の音のバランスをミックスしてEQで加工してトータルでお客さんが聴くサウンドとして届けるPAという音響の担当。ライティングを曲に合わせていかにドラマチックに見せるのかを担当する照明。サウンドの細かい調整や楽器自体の調整をする楽器の担当。基本はこの3セクションです。ここに舞台監督、大道具や舞台セット、映像、機材を運ぶドライバーなどが増えていきます。僕たちはライブ制作というポジションで全体の統括、トータルの予算管理、俯瞰で見てショーをよくするためにどうすべきかを考える役割を担っています。あとは移動の手配など細かいところを含めてサポートしています。


 公演の終わりには、その日の反省点、次をよくするためのポイントについて各セクションのスタッフとメンバーが集まってミーティングをしているんです。当たり前になにも考えずにやっていたことが突然できなくなって、改めてスタッフの存在を強く感じるようになりました。


■それぞれのバンドに合った方法をきちんと提案していかなければいけない


ーー若林さんがライブ制作に関わるようになったきっかけは?


若林:僕は21のときにライブにまつわる仕事を始めて、途中4年くらいバンドのマネージャーをやっていました。単純に好きだったからというのがきっかけで、常にライブに紐付いた仕事をしていて気が付いたら30年を超えていましたね。ライブは生活の一部以上のもので、これだけデカい音を聴かない時間が続くのは仕事を始めてからは初めてです。


ーー仕事の中で一番やりがいを感じるのはどのような時でしょうか。


若林:やっぱりバンドが100人、200人の会場からスタートして、1万、2万となっていく過程を一緒につくっていけるのが一番大きいかもしれませんね。アーティストがハネると言われる瞬間に立ち会えたり、その予感を感じとったり、そういったところに喜びを感じます。スピッツが「ロビンソン」で世の中に広く認知されるあの1カ月前くらいの感じはいまだに覚えていますし、最近だとUNISON SQUARE GARDENやクリープハイプも下北沢の2、300の会場から付き合い始めたので。彼らが日本武道館など大きな会場でライブを行った時には達成感がありました。


 僕はロックバンドにも座席指定のホール公演をなるべく早い段階で提案するようにしています。もちろん、スタンディングを極めていくことは大事なことで、ライブハウスしかやらないという考え方もそれはそれで正しいと思います。しかし地方には300人規模のライブハウスしかない都市もあり、その土地に彼らの音楽を求めている人が1000人いるのにその人たちにライブを届ける機会を閉ざしてしまうのは個人的に違和感がある。ホールでもライブハウスでも、どんな環境でも変わらないパフォーマンスを見せることができるバンドになってもらいたいというのは関わっているバンドすべてに言えることで、それぞれのタイミングに合った提案をいかにできるかが最大のポイントだと思っています。


ーーバンドが新たな挑戦をする際にも、スタッフの存在が安心できる環境をつくる要素になっているということでしょうか。


若林:スタッフの存在は現場のムード作りも含めたものですよね。その日その日のライブだけではなく、そこに至るまでの過程を共にすることで生まれる関係性や現場のムードがあるので、そういったことも毎回気にかけるようにしています。


 今もう一つ気にしているのは、コンサートに行くことによって気持ちや生活が潤っていたリスナーの人たちがコンサートに行きたくても参加できない、開催されないという状況が長くなることで音楽に対して希望が持てなくなってしまうのではないかということです。スタッフを支援するプロジェクトと並行して音楽から離れていくリスナーが出ないようにすることを考えなければと思っています。時間をかけて少しずつ築いてきた信頼関係がこのコロナ禍で奪われてしまうのはどうしても納得いかないことですし、なんとかしたいと思っています。


ーー現時点で具体的に考えていることはありますか。


若林:先ほどもお話した配信ライブや、アコースティック編成で客席を間引いたかたちで規模を縮小してライブを行う、そのような発信は徐々にしていきたいと考えています。ただ、配信ライブについては、バンドごとに考え方の違いは当然あります。お客さんからのダイレクトな反応のない中でどう向き合えばいいのかと考えるバンドもいますし、一概に全員にあてはめることができない方法論です。やることができるバンドに関しては積極的にやっていくとしても、本来のライブとは別物という考え方が僕の中にはあります。オンラインでのライブは本来バンドがバンドをやる動機には無かったことですし、そういう意味でもカードとして切れる回数は限られている。ツアーのかわりにするというよりは、限られたチャンスを生かしてどのように実現していくか、各アーティストと慎重に協議しながら水面下で進めているところです。


 一方で、お客さんはもちろん、バンドも我々スタッフもライブがないことに思考や体が慣れてしまうとこれまでの感覚を取り戻すのは大変なことなのではないかと感じていて。バンドが集まって練習することも少し前まではできなかったですし、そういう感覚を取り戻すために配信ライブをやってみるというのも一つの手段になるのかもしれません。


ーー現在も直接バンドと意見をかわす機会はあるのでしょうか。


若林:メンバーとスタッフとの会議はリモートで頻繁に行っていますが、それぞれ違う見方をしていたり、違うことを感じていて統一性はほとんどありません。なので一つのマニュアルに沿ったやり方はまったく通用しないなと。それぞれのバンドに合った方法をきちんと提案していかなければいけないと改めて強く思います。


ーー若林さんが今後のライブシーンに望むことは?


若林:もちろんライブを再開できることが一番。しかし参加してくれる人の100%の安全と安心をもって初めて心から楽しむことができるものです。きちんとしたワクチンが開発されて、季節性のインフルエンザと変わらない向き合い方ができるまではなかなか難しいことですので、その間のバンドとリスナーの関係を守っていきたい。メッセージの伝え方には配信ライブ以外にも様々なアプローチがあると思うので、関係性をこのまま継続できるような方法をそれぞれのアーティストと相談しながら模索していきたいです。


 とはいえ、個人的にもお客さんもアーティストもライブがない状況はそろそろ我慢できなくなってくると感じていますし、ライブを始めていかなければならないと強く思っています。全国的に一定の条件を満たした上でライブハウスの営業も再開になります。うちの会社としてお客さんを迎えての公演は、具体的には7月21日bonobosのヴォーカル蔡忠浩の弾き語りのライブがありますが、感染予防対策と座席の調整をして、これは100%開催します。もしかしたらしばらくはステージ側もオーディエンス側もある種の「違和感」を持ちながら進めていくことになると思いますが、何年かあとに笑い話にできる日が来ると信じて、これは「レアケース」というポジティブな思考で向き合っていきたいですし、それぞれのアーティストと向き合ってそれぞれに合ったこと、ファンが求めていることを考えながら進んでいきたいですね。


ーー最後に、ライブならではの魅力はどんなところにあると感じていますか。


若林:同じ時間に同じ場所で同じものを共有できること。ソフト化されたものを家で見る楽しみ方ももちろんあります。しかし、記憶や思い出に残るという点では生で見るに勝るものはないと30年以上やってきて感じます。ライブというカルチャーは絶対になくならないものだし、「ライブっていいでしょ?」ということをこの先もずっと伝え続けていきたいと思っています。


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