初NASCARで驚いたアメリカ流の取材法。記憶に残る“F1は妥協したバレエ”のたとえ【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

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2020年06月29日 17:31  AUTOSPORT web

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2008年NASCARスプリント・カップ・シリーズ第4戦“コバルトツール500”
スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

 今回は2008年のNASCARスプリントカップシリーズの第4戦としてアトランタ・モーター・スピードウェイで開催された“コバルト・ツールズ500”の前編。この年、初めてNASCAR取材に訪れたコリンズは、その文化の違いに驚きを覚えたようです。

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 2008年、初めてNASCARを取材をすることになった私はロンドンからの長いフライトを終えてアメリカ・ジョージア州のアトランタに到着したとき、かなり興奮していた。

 その日は空港近くにあるホテルに泊まり、ホテルのバーで何杯か酒をたしなみ、軽めの食事を取ってベッドに入った。翌朝を迎えるのが楽しみで、少年のようにわくわくして眠りについたのを覚えている。

 翌朝、私は夜明けとともに目を覚まし、窓の外を見て自分の目を疑った。大雪が降っていたのだ! 昨晩眠る前は暖かかったのに、2008年3月8日の朝は厳しい寒さで、雪が降っていたのだ。

 数時間待つと、雪も落ち着いてきたのでクルマでサーキットに向かった。ただ、アトランタ・モーター・スピードウェイも厳しい寒さだったし、湿度も高い状況だった。

 私にとって、これが初めてのNASCAR取材でパドックに知り合いはいなかったが、この日はいくつかインタビューを行う予定だった。ただ、降雪の影響でプラクティス(練習走行)や予選が中止やディレイを余儀なくされ、その先のスケジュールも不透明だった。

 そこで私はまずメディアセンターに向かった。インターネットに接続できる場所を確保して、インタビューが行えるか確認しようと思ったのだ。

 サーキットのメディアセンターは大抵、ピットの上にあり、ホームストレートを見下ろせるようになっている。ただアトランタのメディアセンターは、オーバルコース内側にある窓のない小さな建物にあった。

 メディアセンターに入っていくと、親切に対応してくれる(その上、とても美人な)何人かの女性たちが出迎えてくれた。しかし、メディアセンターは満員で座席に空きはないと言われてしまった。

 どうやら、このメディアセンターを使用するには事前の申請が必要だったようで、そのことを知らず手続きもしていなかった私の場所は用意されていなかったのだ。ただ幸いにも、私が直面しているトラブルを耳にしたメキシコ人ジャーナリストが席を譲ると言ってくれた。彼は決勝日にはサーキットを離れるのだという。

 ここで、なぜ私が2008年にNASCARを取材したのかを説明しておこう。この年は当時採用されていた車両規格“カー・オブ・トゥモロー(CoT)”が初めてフルシーズンを戦う年だった。

 しかし、このCoTはファンや関係者に歓迎されているとは言いがたい状況だった。まずマシンの外観がよくなかった。従来のマシンより角張った見栄えで、マニュファクチャラー独自の個性にも欠けていた。またチームとドライバーは走行性能が高くなく、空力性能もお粗末だと不満を口にしていた。

 当時、私がアトランタを訪れた理由のひとつは、NASCARにおける技術力向上の象徴だったCoTがもたらした影響について取材することだった。

 CoT規定のマシンはそれまでのような“ノースカロライナの納屋”ではなく、F1参戦チームと同等かそれ以上の規模を持つファクトリーで作られていた。チームは施設内にテスト用リグを備えていることがほとんどだったし、広大な製造エリアと先進のコンピューターの演算能力を活用したシミュレーションシステムも備えていた。

 独自に風洞施設を持っているチームはほとんどなかったが、かわりにNASCAR参戦チームの多くが拠点を構えるノースカロライナ・シャーロットには、フルスケールの風洞施設があり、これを時間単位で借りることができた。代表的な風洞施設であるウインドシア社のものは、F1チームも使うような最先端技術を備えていたほどだ。

■NASCARのエンジニアから見ればF1は“妥協したバレエ”


 私はCoTがNASCARにもたらした影響についてインタビューをしようとしていたのだが、NASCARの取材には私が慣れ親しんでいたF1の取材とはまったく違う“流儀”が必要だった。

 当初、私はインタビューのアポイントを取るために、どのプレス担当者にアプローチするべきなのかと数時間ほど頭を悩ませた。しかし、この問題はGM(ゼネラル・モータース)のNASCARエンジニアリング責任者が「ここでは物事の進め方が違う」と説明してくれたことで簡単に解決した。

 NASCARでは広報担当者がインタビュー時間を設定するまで待つ必要はなく、ただ正しい“ホーラ”(アメリカのチームはトラックのことを“ホーラ”と呼ぶ。イギリスでは使わない単語だ)を見つけて、会いたい人を訪ねるだけでよかったのだ。

 このやり方をF1に置き換えると、レッドブル・レーシングのガレージにいきなり飛び込んでいってエイドリアン・ニューウェイを呼び出すようなもの。失礼な方法ではないかと思ったが、実際に試したところ、うまくいった。誰もが喜んでインタビューに応じてくれた。

 雪の影響でほとんどのドライバーやスタッフは特にすることもなく座っているだけだったので、私はNASCAR界の重要人物全員に会うことができた。さらにレースウイーク明けの月曜日と火曜日には、多くのチームからファクトリーへ来ないかという誘いも受けた。

 私は実りあるインタビューを多く行うことができ、このインタビューを基に執筆した記事は数カ月後に創刊された雑誌の主力記事になった。インタビューをこなしている時は気が付かなかったが、あのときの私はNASCAR雑誌の記者だったのだ。

 仕事を終えた私は、時差ボケの影響もあってひどく疲れていた。そこでは私はネイションワイドシリーズ(現在のエクスフィニティシリーズ)のレースをホテルのテレビで見ようと思った。

 ただ私が滞在していたホテルにはNASCARスプリントカップ(現在のNASCARカップシリーズ)に参戦しているチームのエンジニアたちも泊まっていたので、ホテルの部屋ではなく、彼らと一緒にホテルのバーでレースを見ることになった。

 このとき、私はオーバルでのレースについて、エンジニアたちから多くのレクチャーを受けた。そのとき一緒にレースを観戦していたエンジニアがF1マシンとNASCARのセットアップを比較して「F1は妥協したバレエのようなもの。でもNASCARは純粋なエンジニアリングだ」と表現をしたことを覚えている。

 オーバルレースの場合、マシンは左にしか曲がらない。そのためエンジニアはマシンを左コーナーに最適化できる。しかし、オーバル以外のサーキットレースでは、マシンは左にも右にも曲がるし、加速や減速を終始繰り返すことになる。そのためセットアップが“妥協したバレエ”のようになると表現したのだ。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。

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