角田陽一郎×浅井隆(アップリンク代表)「正直、映画の内容はどんどん忘れて覚えてない(笑)」

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2020年07月08日 06:41  週プレNEWS

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写真「アップリンク」代表、浅井隆さんの映画体験とは?
「アップリンク」代表、浅井隆さんの映画体験とは?

『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies〜その映画が人生を動かす〜』。

今週のゲストは、映画の企画・製作・配給に加えて、映画館を運営する「アップリンク」の代表、浅井隆さんです。

* * *

【画像】角田氏が選ぶアップリンクで配給された映画ランキング

――僕、アップリンクの大ファンで渋谷と吉祥寺に100回以上は行ってます。4月に立ち上げられたクラウドファンディングも支援しました!

浅井 ありがとうございます。

――早速質問していきたいと思います。浅井さんが覚えている一番古い映画体験を教えてください。

浅井 小学校の頃、授業で市川崑(こん)監督の『東京オリンピック』(1965年)を見たことかな。でも、体育館で見たってことしか覚えてないんだよね。市川崑なんて名前も知らなかったし、大人になってから見直したこともないから、彼の批評性がどう発揮されているかもわからないんです。

――浅井さんといえば、寺山修司が率いた劇団「天井桟敷」のメンバーとしても知られていますよね。

浅井 高校で文芸部に入ったことがきっかけで、寺山さんの『書を捨てよ、町へ出よう』といった本を読むようになったんです。ちょうどその頃に天井桟敷の『邪宗門』という作品を見て「すげえな」って思って。

そこから当時はやっていた佐藤信(まこと)の「劇団黒テント」、唐十郎(からじゅうろう)の「紅(あか)テント(唐組)」なんかも高校生のときに見に行きました。

――そこから劇団に入られたと。

浅井 でも、今にして思うと天井桟敷はやりがい搾取の、とんでもないブラック集団だったんだよね(笑)。芸術至上主義でカルトに近いところがあった。芸術闘争による社会転覆を本気で目指していたし。

――そんな天井桟敷の後、どういう経緯で映画の配給をするようになったんですか?

浅井 劇団が解散した後、雑誌や書籍の編集をしながら、「アップリンクシアター」って劇団をつくったんです。食えるわけがなくて自然消滅しちゃったんだけど、でも、映画上映ならひとりでもできると思い、デレク・ジャーマン監督の『エンジェリック・カンヴァセーション』(1985年)の配給をしようと思ったんです。

彼とは天井桟敷時代にロンドン公演で映画評論家のトニー・レインズの紹介で知り合っていて、そのときの縁があった。天井桟敷時代にアトリエで寺山さんの上映とかをやってはいたけど、配給の「は」の字もわからないのに無謀ですよね。

――これまでに数々の映画をご覧になってきたと思いますが、人生を変えた映画というと?

浅井 正直、映画の内容はどんどん忘れちゃって覚えてないんですよ(笑)。だから人生を変えた映画と言われてもパッと浮かんでこなくて。

――え、そうなんですか!?(笑)

浅井 映画の記憶って何かっていうと、体で覚えた記憶だと思うんですよ。どこの映画館で見たとか、誰と見たとか、そういうの。映画の内容は忘れても、そこは不思議と覚えているじゃないですか。映画館を運営している人間としてはそういうことをぼんやり考えたりするんですよね。

――なるほど。

浅井 それに今って撮影から上映まですべてデジタルでしょ。映画館でもハードディスクに入ったデータをLANケーブルで飛ばしているだけ。フィルムの頃と違って、デジタルになった映画は誰も手で触れないし、家で見るのと仕組みは変わらない。映画の定義も変わってくるかもしれないよね。

★後編⇒角田陽一郎×浅井隆(アップリンク代表)「若者には『映画館を捨てよ町へ出よう』って言いたい」

●浅井隆(あさい・たかし)
1955年生まれ、大阪府出身。アップリンク代表、未来の映画館プロデューサー。1987年にアップリンクを設立。最新配給作品は『ホドロフスキーのサイコマジック』

■映画館「アップリンク京都」2020年6月11日よりオープン!
住所:京都市中京区烏丸通姉小路下ル場之町586−2 新風館 地下1階

構成/テクモトテク

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