韓国映画『マルモイ』、「ハングル辞典」誕生までの物語ーー「独自の言葉」を守る意味とは

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2020年07月17日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『マルモイ』

 韓国にとって2019年は、植民地時代に起こった「三・一独立運動」からちょうど100年にあたる節目であり、この時代を背景にした映画が例年より多く作られた。そうなると当然、抗日運動家や日本軍との闘いを描いた作品が多くなる一方で、これまでにないテーマの映画も登場した。この時代に「銃」ではなく「ペン」を取り、言葉(朝鮮語)を守り抜いた人々の闘いを描いた『マルモイ ことばあつめ』(オム・ユナ監督、19年)である。「マルモイ(말모이)」とは、「言葉集め=辞書」を意味する固有語(朝鮮独自の言葉)であり、歴史上初めて試みられた朝鮮語辞書の名称でもある。

 監督のオム・ユナは、以前このコラムでも紹介した大ヒット作『タクシー運転手 約束は海を越えて』(チャン・フン監督、17年)のシナリオライターとして注目を集めた女性だが、本作ではさらに、子どもの頃からの夢だったという監督デビューも果たした。

 歴史的出来事にフィクションを加えて再構成するという作り方は、『タクシー運転手』をはじめ近年の韓国映画に多い傾向ではあるものの、若者の間でハングルを自由自在に作り変える略語や隠語がネット上に横行し、「ハングル破壊」が問題となっている今だからこそ、「韓国人なら必見」「ハングルの大事さを改めて感じた」と評価が高まり、動員280万人を超えるヒット作となった。

 1940年代、日本統治下の京城(現ソウル)。映画館の仕事をクビになったキム・パンス(ユ・ヘジン)は、息子ドクジン(チョ・ヒョンド)の学費を得るために、他人のカバンを盗もうとして失敗。その後、かつて刑務所でパンスに助けてもらったというチョ先生(キム・ホンパ)の紹介で、雑用係の面接に向かった朝鮮語学会にて、カバンの持ち主であるリュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)と再会する。ジョンファンは文字の読めないパンスが学会で働くことに反対するが、ほかのメンバーたちが歓迎したため、パンスがハングルを覚えることを条件に渋々受け入れる。

 粗野だが人情に厚いパンスは、ハングルを学ぶなかで「朝鮮語」の大切さを知り、次第に「朝鮮人」としての民族意識にも目覚めていく。だがその一方で戦時下の朝鮮では、朝鮮語の使用を禁止し、日本語を強要する政策が行われており、そんな中でも朝鮮語辞書を作ろうとする朝鮮語学会に対し、朝鮮総督府は弾圧を強めていった……。

日本語強要、「朝鮮への弾圧」が厳しくなった時代

 映画の舞台となっている40年代は、あらゆる面で日本による朝鮮への弾圧が強くなった、日本の戦争遂行のための犠牲を強制された時期である。10年の日韓併合に始まる日本の朝鮮支配は、31年の満州事変以降、「内鮮一体」(日本と朝鮮はひとつ!)、「日鮮同祖」
(日本と朝鮮の祖先は同じ!)といったスローガンのもと、朝鮮語の使用禁止、創氏改名といった皇国臣民化や、軍隊への徴兵、労働者の徴用など、兵力や戦争物資の安定した確保のための政策を展開していた。とりわけ太平洋戦争勃発後は、「朝鮮人の日本人化」への動きが一段と強化され、現在韓国ではこの時代を「民族抹殺期」と規定しているほどである。日本人は朝鮮民族の言葉や名前と共に、朝鮮人としての精神までも奪おうとしたのだ。

 こうした当時の社会情勢は、例えばパンスが働く映画館で上映されている『朝鮮海峡』(パク・ギチェ監督、1943年)という映画が朝鮮人の志願入隊を題材にしていることや、ドクジンが通う学校での朝鮮語使用禁止、創氏改名の強制などを通して描かれている。パンスの幼い娘が無邪気に日本語を話そうとする姿は、幼子の純粋さが際立つだけに、一層胸が締め付けられる場面である。

 本作はそうした民族抹殺の時代を背景に、朝鮮語辞書を作ろうとした33人が逮捕されて拷問を受け、2人の死者が出た42年の「朝鮮語学会事件」をモチーフにしている。

 今回のコラムでは、本作が虚実入り混じった作品であることを理解したうえで、どこまでが史実でどこからがフィクションなのかを明らかにしてみたいと思う。そのためには、映画の中心である「朝鮮語学会事件」とはどのような事件だったのか、そして「マルモイ」はどのように生まれたのか、その経緯を紹介していこう。

 日本による朝鮮の植民地化が色濃くなっていく日韓併合の直前、朝鮮語学者チュ・シギョン(1876〜14)は、朝鮮語消滅の危機感を抱き、本格的に朝鮮語研究を開始。そのために辞書の必要性を痛感した彼は11年、弟子たちと共に辞書作りに着手する。これが「マルモイ」の始まりなのだが、3年後チュの死とともに辞書作りは惜しくも中断し、再開したのは15年もの月日がたった29年のことだった。この年、朝鮮語学会に属する108人の学者たちが集まり、チュの遺志を継いで「朝鮮語辞典編纂会」という組織が発足したのである。

 編纂会はまず、バラバラだったハングルの書き方を整えた「ハングル正書法統一案」を発表、36年には「朝鮮語標準語査正案」を定めて、およそ6000の標準語を指定した。ところが標準語は定まったものの、ここで別の問題が浮上してしまう。各地方の方言が抜けていたのだ。そこで彼らが思いついたのが、学会誌「한글(ハングル)」に全国の方言を募集する広告を出すことだった。すると、全国各地からそれぞれの方言や意味を記した手紙が殺到、ますます辞書作りにいそしんだというわけだ。

 方言の収集をめぐっては、劇中でも公聴会を開いて標準語を決めたり、各地方出身のパンスの仲間たちの協力で方言を集める場面を通して描かれているが、映画が40年代として描いているのに対して、実際は36年の出来事である。ちなみに、お尻の細かな部位を示す「궁둥이(クンドゥンイ)」と「엉덩이(オンドンイ)」の違いが説明できなくて困っているジョンファンをパンスが助けるエピソードは、実際にあったものらしい。

 40年には総督府からいったん辞書作りの許可を得たものの、翌年の太平洋戦争勃発により一気に社会全体が臨戦体制に転換、日本統治下の朝鮮で「民族抹殺」政策が厳しくなると、総督府は政策に真っ向から違反する「朝鮮語辞書」の存在を無視できなくなっていった。だが学会は弾圧に抗いながら辞書作りにまい進したため、42年、総督府は学会を独立運動団体に指定し、内乱罪を適用して33人のメンバーを検挙、「マルモイ」の原稿も没収してしまった。逮捕されたメンバーらは裁判にかけられ、投獄されたうちの2人が拷問を受けて亡くなっている。これが朝鮮語学会事件の概要である。

 劇中では、ジョンファンとパンスが「マルモイ」の原稿を持って警察の追跡から逃げる場面があり、パンスは最後に駅の倉庫に原稿を隠すのだが、このあたりの描写は多くがフィクションである。ただし、現実は映画以上に奇妙な物語をたどることになる。

 戦争直後、裁判の証拠品としてあちこちに散逸し、行方がわからなくなった「マルモイ」の原稿が、45年9月に京城駅の倉庫で偶然発見されたのである。日本の裁判関係者が引き揚げ時に捨てたのではといわれているが、映画では「命をかけて言葉を守ろうとした人たちがいた」という事実を、フィクションに乗せてドラマチックに再構成しているといえよう。

 こうして困難な時代を乗り越えて、ついに47年、『朝鮮語大辞典』第1巻が出版された。その後も57年までに全6巻が作られ、チュ・シギョンから始まった朝鮮語辞書の夢は46年の時を経て「マルモイ」として形になったのである。この原稿は2012年、韓国の国家文化財に指定され、今でも国立ハングル博物館で目にすることができる。

 「マルモイ」作りは、実際には日韓併合前後から戦時下の厳しい時代を経て戦後に達成した、半世紀近くにわたる歴史であるが、映画では時間を凝縮し、コンパクトにまとめることで、エッセンスがより伝わるように工夫されているのである。

 ハングルとは、1443年、朝鮮の世宗大王によって作られた固有の文字である。だが長い間、中国の強い影響下にあった朝鮮では、漢字が文字としての公用語とされ、エリートは漢字を使っていたために、ハングルは子どもや女性、身分の低い者のみが使う「卑賎な文字」として扱われてきた。ハングルが正式に国家の文字として指定されたのは、誕生から400年近くたった1894年。当時は日本を含む列強が朝鮮の国家主権を脅かし、朝鮮は国家レベルでの強い共同体意識を必要としていた。共同体意識とはつまり、人々が「朝鮮」という国に暮らす同じ「朝鮮人」であると認識することにほかならない。そのために最も重要だったのが、共通の言葉である「朝鮮語」であり、それを表記する「ハングル」だったというわけだ。

 ベネディクト・アンダーソンという政治学者が提唱した「想像の共同体」という概念がある。「国家」とは初めからあるのではなく、後から作られるものである。そしてそれは、例えば共通の言語を通して個人個人が想像するものであり、あくまで「想像的な」構築物でしかない。つまり赤の他人同士でも、共通の言語・共通の文字を通して同じ「共同体」の意識を持つことができる、ということだ。

 劇中でジョンファンが何度も口にする、「言葉は民族の精神であり、文字は民族の生命」というセリフは、逆に言えば「朝鮮語」と「ハングル」こそが「民族=想像の共同体」を成り立たせているという意味でもある。当時日本によって、朝鮮固有の言葉と文字が奪われようとしていた時代ゆえに、朝鮮人たちは民族の証しである言葉を守ることで、朝鮮という共同体を守ろうとしたのだ。

 さて、時は流れ、時代は大きく変わった。K-POPや韓流ドラマなど韓国文化が世界に広まる中で、ハングルを勉強する人の数も増えている。私が非常勤講師を務めている大学の授業でも最近、講義に対するコメントや質問を書いて提出するリアクション・ペーパーに、ハングルでコメントを書いてくれる学生が何人かいる。外国語として一から学んでいる学生たちの言葉使いや文字は、正しく、とても丁寧だ。本作で描かれたように命を懸けてハングルを守った人々を思ったとき、彼らも天国できっとほほ笑んでいることだろう。ふとそんなことを想った。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

このニュースに関するつぶやき

  • これは事実と違いますね。日本統治時、日本政府がハングルを教育として学習に組み込んで教えたわけで、日本語強要もハングル禁止なんてことも実際はありませんでした。誤解する人多いやろうなぁ…
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