EXOやTWICEなど続々! ONF「Sukhumvit Swimming」から繙くK-Pop「レゲエ」のこれまで

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2020年09月03日 22:11  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

――毎月リリースされるK-POPの楽曲。それらを楽しみ尽くす“視点”を、さまざまなジャンルのDJを経て現在はK-POPのクラブイベントを主宰するe_e_li_c_a氏がレクチャー。8月にリリースされた曲から[いま聞くべき曲]を紹介します!

今月の一曲‖온앤오프 (ONF)_스쿰빗스위밍 (Sukhumvit Swimming)

 今回はWMエンタテインメントの6人組グループ・ONF(オンエンオフ、韓国語のローマ字発音でオネノプ)の新曲、「Sukhumvit Swimming(スクンビットスイミング)」を取りあげて、Reggae(レゲエ)という音楽ジャンルについて説明しようと思います。

 ONFは2017年8月にEP「ON/OFF」でデビューし、今回の「SPIN OFF」は5枚目のEPになります。3枚目のEPのタイトル曲「사랑하게 될 거야 (We Must Love)」のMVはベトナム、4枚目のEPのタイトル曲「WHY」のMVはドイツ・フランス・スイス・ロシアなど、アルバム曲の「Moscow Moscow」のMVはロシアで撮影されており、今回も「Sukhumvit」(タイの首都バンコクの地域・通りの名前)とついていることから、タイでのMV撮影の予定があったもののCOVID-19の影響でかなわず、残念ながらCGとセットでの舞台になってしまいました。

 音楽番組のステージでは曲のイントロ部分でボトルフリップ(ペットボトルを宙返りさせて着地させられるか)に毎回挑戦しており、見ている側を楽しませてくれる内容になっているので是非音楽番組の動画も見てみて下さい。

 JungleMoombahtonの説明をした回でレゲエについて少し言及しましたが、今回はもう少し掘り下げて解説していきます。今回は、たくさんのジャンル名が出てくるため事前にもくじ的な意味でざっくりと流れを書きたいと思います。

【1:メント→2:スカ→3:ロックステディ→4:レゲエ(4-1:ルーツロックレゲエ→4-2:ダンスホールレゲエ初期)→5:後期】

 レゲエはジャマイカ共和国で生まれた音楽ジャンルで、源流は1940年代〜50年代に人気を博した「Mento(メント)」というジャマイカのフォークミュージックのスタイルまで遡ります。

1:奴隷の音楽として生まれた「メント」

 メントは、西アフリカからジャマイカに奴隷として連れてこられた人たちが、主人(主にヨーロッパ諸国の人たち)に音楽を披露していた場で主人たちを喜ばせるために、ヨーロッパ音楽の要素を自分たちのアフリカ音楽に取り入れジャマイカ音楽として形成されていきました。

 ヨーロッパ音楽の要素としては、スクエアダンスの先駆けとなったヨーロッパ圏で生まれたカドリーユというダンスのリズムやメロディ、アフリカ音楽の要素として自家製の太鼓、竹笛、フィドル(バイオリンの元となった弦楽器)、馬やロバの顎の骨、牛の角、更にはおろし金にぶら下げられたスプーンやフォークなどを使ってオーケストラの音を作り、それらが融合しジャマイカ独自のサウンドを生み出しました。

 時がたつにつれ、奴隷が主人に音楽を披露する形から、同じ立場の人たちが娯楽として一緒に楽しむものに形を変え、前述の楽器とは言えないような演奏道具もルンバボックス(マリンブラ)、バンジョー、ザフーン(竹製のサックス)、マラカスなどに改良され、伴奏に使用されるようになります。

 メントは徐々にジャマイカ島中に広がり、1940年代にはダンスや社交行事で使われる唯一の音楽供給源になり、50年頃からCount LasherやAlerth Bedassee、Harold Richardson and The Ticklersなどのたくさんのメントシンガーが登場します。これらのアーティストを検索すると、「Calypso(カリプソ)」と曲名につくものが多いですが、カリプソはトリニダード・トバゴで発達した音楽ジャンルで、源流は違っていても類似性があることから同じものと混同されやすいです。イギリス領だったトリニダード・トバゴから戦後、イギリスに人が流れ、50年代にはイギリスでカリプソブームが起こったこともあり、アメリカのレコード会社がより知名度の高いカリプソを称してメントの楽曲が売られたことが原因です。

 「USA for Africa」の提唱者Harry Belafonteが歌った「Banana Boat Song」は100万枚以上を売り上げたカリプソのヒット曲として有名ですが、実際はメントの楽曲で、カリプソ風にアレンジしたと言われたりしています。
■Harry Belafonte - Banana Boat Song (1956)

 このように、50年代のジャマイカではメントがはやっていましたが、イギリス統治の影響から首都キングストンではブラスバンド形式のジャズ楽団があり、主にメントは労働者階級がメインで、中産階級にはジャズが好まれていました。1880年に設立されたキングストンにあるAlpha Boys Schoolはカトリック系の職業訓練学校で、ストリート生まれの恵まれない子や家庭に問題を抱えている子どもたちに厳しい躾を教育するのと共に、1950年代頃からジャズの音楽教育プログラムも取り入れられましたが、生計が立てられるようにという意味も込められていたのではないかと思います。

 Alpha Boys Schoolの卒業生は、ジャマイカのビッグバンド(ジャズを大人数のバンド形式で演奏するもの)で演奏したり、ラスタファリアンたちとナイヤビンギという集会で管楽器を演奏するセッションが度々行われました。ラスタファリアンというのはラスタファリ運動(ラスタファリアニズム)の実践者のことで、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心に発生したアフリカ回帰運動のことです。

 これは最近のものですが、ナイヤビンギのイメージがわかる動画を選びました。「Nyahbinghi chant」などで検索するとたくさんの動画が出てきます。「ナイヤビンギ」の語源は19世紀ウガンダの女王の名前及びその国にあるといわれています。

 ナイヤビンギではダンスやガンジャ(大麻)の吸引、食事、訓戒、祈り、音楽、霊感、社交、討論といった、ラスタファリアンたちにとって重要なことが行われ、以前からジャマイカにあったメントやジャズなどと結びつき「Ska(スカ)」という新しい音楽ジャンルが生まれます。

 旧約聖書に出てくる文章をエチオピアと結びつけて解釈し、聖書の登場人物は本当は黒人で、後に書き換えられ白人とされているという考え方や、エチオピアを世界に離散した黒人の母国のように捉える思想を「エチオピアニズム」と言いますが、当時カリブの黒人社会に根強く残っていたエチオピアニズムをMarcus Garveyが拡大解釈し、黒人に対してアフリカに帰ることを奨励する考えがガーベイ主義として布教され始め、これにより初期ラスタファリ運動が始まります。

 ちなみに、このラスタファリアニズムはレゲエはもちろん、Hiphopなど今日のブラックミュージック文化にもかなりの影響を及ぼしており、アフリカ系の人々のするドレッドロックスという髪型はラスタファリアニズムから来ています。 「忠実なる者は、刃を自らの頭にあてるべからず」という旧約聖書の教えに従い、ラスタファリアンは初期の頃から髪と髭を伸ばしていました。東アフリカのマサイ族とソマリ族の兵士の写真を見たラスタたちがその髪型を真似て、伸ばした髪を房に編んで垂らしたものがドレッドロックスになります。また、ジャマイカではまっすぐでつやのある髪がよいとされているため、この髪型自体が自由や社会的反抗のシンボルにもなっています。

 大麻に関しても、儀礼の際は「聖なる草」と呼びジャー(神)と交流する秘薬・神聖なものとして扱いますが、ジャマイカでは大麻の吸引は法律で禁止されているため非合法です。もちろん宗教上の意味合いもありますが、こちらも社会への抗議として反抗手段を表すのにも使われています。

 スカの話に戻ります。第二次世界大戦後からジャマイカではラジオの購入が増え、地理的に近いニューオーリンズなどアメリカ南部のラジオ局から当時はやっていたFats Dominoなどのリズムアンドブルースやジャズの楽曲を聞くことができました。スカは2・4拍目が強い、裏打ちのリズムが特徴ですが、この特徴は、電波が悪い環境でジャズを聞いたために2・4拍目が強調されて聞こえたとか、またナイヤビンギからの影響もあるともいわれています。

 60年代に入り、スカはジャマイカの音楽シーンに広がり、イギリスから独立した62年には独立を祝うスカの楽曲がリリースされます。

■Derrick Morgan - Forward March (1963)

 一方で50年代〜60年代にかけて地方からキングストンに仕事を求める若年貧困層が大量に流入し、キングストン市内にはトレンチタウンやリバートンシティと言ったゲットー(貧困地域、転じて治安の悪いエリア)が発生します。イギリスから独立して世間は高揚ムードなのに自分の環境は一向に変わらないことなどに一部の若者はギャング化し、彼らはルードボーイやルーディ、スカフロウ(Scofflaw、常習的違反者)と呼ばれ、スカにもルードボーイの生活を歌詞に反映した楽曲がたくさんリリースされます。

■The Wailing Wailers - Simmer Down (64)

 62年には中国系ジャマイカ人Byron Leeが映画『007 ドクター・ノオ』に出演したこともあり、スカはジャマイカの上流階級や海外にも知れ渡り、64年にリリースされたMillie Smallの「My Boy Lollipop」は全世界で600万枚を売り上げる大ヒットとなり認知度を上げます。ちなみに、聞いてわかるように、日本で有名な東京スカパラダイスオーケストラのスカは言うまでもなく「スカ」から来ています。

■Millie Small - My Boy Lollipop (64)

 スカは主にジャズなどの才能に溢れた演奏家が牽引して来ましたが、BPMとしては少し速いため、60年代後半には当時アメリカで流行していたもっとテンポがゆったりしているソウルやリズムアンドブルースから影響を受けた同世代のミュージシャンたちを中心にしたRocksteady(ロックステディ)というジャンルが生まれます。ジャンル名の由来はAlton Ellisの「Rocksteady」という楽曲で歌われたダンスのスタイルからきています。

■Alton Ellis - Rocksteady (67)

 スカはBPMでいうと125前後ですが、Alton Ellisの「Rocksteady」はBPM85で、かなり遅くなっていることがわかると思います。他にもBPMが落ちた理由としては、66年の夏にジャマイカを襲った激しい熱波によりアップテンポなスカでは踊れなくなったという説、スカをリードしてきたThe Skatalitesのトロンボーン奏者Don Drummondが恋人を殺害し逮捕され、スカ自体がバッシングされるようになった説、アップテンポに疲れた説などさまざまです。

 ロックステディはバンドサイズがスカに比べて小さくなったことで管楽器の使用が減少し、音がシンプルになったことからベースラインが重要視されます。スカではベースのパートを四分音符で均等に弾きますが、ロックステディではギターリフで重ねてメロディアスで反復性のあるリフを使い、シンコペーションを強調して演奏されます。

 ルードボーイが主題の楽曲はロックステディにも引き継がれますが、アメリカ音楽の影響も大きいため恋愛やロマンスを歌う楽曲が多くみられます。
■Alton Ellis - Willow Tree (68)

 しかし、ロックステディの流行は2年ほどしか続きません。その間に、「Riddim(リディム)」(Versionともいう。英語のRhythmのパトワ語)という、曲のドラムとベースラインの伴奏部分のみを指すものが形作られます。現代で使っている言葉に言い換えると「ビート」や「トラック」にほぼ近いものと言えるでしょう。当時は、楽曲をレコーディングするにはたくさんの人数と楽器、レコーディングスタジオが必要でお金もかかり、今のように簡単に1曲を形にすることができない時代でした。

 そこで生演奏のドラムとベースラインを録音したさまざまなパターン(Riddim)に、全く別の歌詞・ボーカルを乗せ、新たな曲を作るという手法を取りました。ジャマイカ産レコードのB面には「Version」と呼ばれるA面のボーカルを抜いたインスト曲が収録されることが流行し、一般的になっていきます。

 代表的なRiddimを2つ挙げます。

1:Bob Marley & The Wailers - Hypocrites (67)

2:The Techniques - Queen Majesty (67)

 ロックステディの中心人物であったアーティストたちが国外に移住したことや、演奏・録音機材の発達などによりサウンドが進化したものとなり、拍子も4拍子から2拍子へと変わり、レゲエ特有のアンサンブルができていきます。

 ジャマイカ労働党の経済政策の失策による景気・治安の悪化や、66年にジャーの化身と言われていたエチオピア帝国の最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに訪問したことからジャマイカ国内のラスタファリアニズムが再燃し、歌詞の内容はスカやロックステディ期とは打って変わって黒人の誇りや社会問題について、レゲエが「ラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽」という位置づけになり流行していきます。

 69年レコーディングされ71年にリリースされたThe Abyssiniansの「Satta Massagana」という曲は自分たちが開放される約束の土地・目指す土地(ラスタにとってはザイオン=天国やエチオピア)や王(ハイレ・セラシエ=ジャー)のこと、曲の最後ではエチオピアの公用語であるアムハラ語で「Satta Amassagana Ahamlack, ulaghize」(絶えず神に感謝を捧げる)と、崇高なるラスタの精神を歌う賛美歌のようなものとして、ルーツロックレゲエの金字塔とされています。

■The Abyssinians - Satta Massagana (71)

 また今までは曲の冒頭や間奏部分で楽曲の紹介をする役割の人(Deejay)がVersionが発明された以降はそこに言葉を乗せ、歌手のようにレコーディングし曲を発表するようになります。この「Deejay」は現在Hiphopなどで一般的な選曲をする「DJ」とは違い、Versionに乗せて喋ったり語ったりする(トースティングする)役割の人のことを言います。Deejayによるトースティングはレゲエ特有のボーカルスタイルとして定着していき、後のラップを生み出すことに影響を与えたと言われています。
■U-Roy - Wake The Town (70)

4-2:74年、Billboardチャートで初の1位〜「ダンスホールレゲエ」誕生

 レゲエの語源については諸説ありますが、1つはパトワ語の「rege-rege」(レゲレゲ、ぼろ・ぼろ布・口喧嘩・口論の意味のスラング)から転じたと言われており、Toots & The Maytalsの「Do The Reggae」という曲によってジャマイカ全体に広がったようです。

 72年にはSimon & GarfunkelのPaul Simonがレゲエを取り入れた「Mother and Child Reunion」の入ったアルバムをリリースしビルボードチャート4位になり、今までは欧米圏でイギリスしか認知のなかったレゲエがアメリカでも注目されることとなります。

 全てジャマイカで制作された初の長編映画『The Harder They Come』はジャマイカからロンドンに活動の場を映したジャマイカ人、Jimmy Cliffが主演をし、73年にはBob Marley & The Wailersがメジャーデビュー、74年にはEric ClaptonがBob Marley & The Wailersの「I Shot The Sheriff」をカバーし、レゲエ楽曲として初めてBillboard Hot 100チャートで1位を獲得します。

■『The Harder They Come』の日本公開時トレイラー

■Bob Marley - I Shot The Sheriff (73)

 以降もBob Marleyを中心にたくさんのルーツロックレゲエがリリースされ、名曲として今まで語り継がれています。

■Bob Marley & The Wailers - No Woman, No Cry (74)

■Burning Spear - Marcus Garvey (75)

 70年代後半に入ってもルーツロックレゲエの人気は衰えず、世界的人気のあったBob MarleyやJimmy Cliffは海外公演をたくさんこなしたためジャマイカ国内での活動は減ります。一方で、国内では政治経済の混乱も相まって、ラスタファリアニズム的な硬派なメッセージへの失望感が広がり、そんな中、81年にはBob Marleyが亡くなります。

 これらを機に、ラスタファリズム色は段々と薄れていき、YellowmanやSuper Cat、Buju Banton、Beenie ManなどのDeejayを中心にSlackness(スラックネス)と呼ばれる下ネタを中心とした歌詞に変わり、「思想の音楽」であったルーツロックレゲエから「踊るための音楽」であるダンスホールレゲエ(初期)へ変化していきます。

■Yellowman - Soldier Take Over (83)

■Little John - True Confession (84)

 80年代中盤になると、カシオトーンを使ったWayne Smithの「Under Me Sleng Teng」がジャマイカ初のデジタル録音を使った楽曲として大ヒットします。これまでは生演奏の録音が主流で、デジタル機材を使った「打ち込み」の手法はあまり使われてきませんでした。これを機に、ジャマイカではComputerized Revolution(デジタル革命)が起き、これがダンスホールレゲエの後期と位置付けられます。

■Wayne Smith - Under Me Sleng Teng (85)

■Uglyman - Computer (86)

 90年代に入ると打ち込みと下品な歌詞は当たり前のようにたくさんの楽曲がリリースされ、Versionに乗せてDeejay同士がステージ上で即興でトースティングし合うRub a Dub(ラバダブ)やClash(クラッシュ)が、頻繁に行われます。

■Shabba Ranks - Trailer Load a Girl (91)

■Supercat Vs. Ninjaman Clash (91)

 スラックネスが主流のジャマイカの音楽シーンで、92年頃からはコンシャス(真面目)なテーマで曲作りをしたGarnet Silkの登場によりラスタファリムーブメントが再加熱し始めます。Bob Marleyの再来とまで言われますが、94年に自宅での火事に巻き込まれ不慮の死を遂げます(一説では暗殺とも言われています)。

 Garnet Silkらの影響で方向転換をしたアーティストはたくさんおり、スラックネスで人気を博していたBuju Bantonは友人たちが殺人事件で殺害されたことやGarnet Silkが亡くなったことなどからラスタファリアニズムへ傾倒していき、楽曲やステージがスピリチュアルなものへと変化していきます。

■Garnet Silk - Hello Mama Africa (92)

 89年から92年にかけてスラックネスなスタイルでヒット曲を連発していたNinjamanが95年に復活し、同じくスラックネスなスタイルで再燃します。ラスタ思想の勢いも衰えることはなく、シーンはスラックネスとラスタ思想の2極化が起こります。90年後半に入るとセレクター(曲を選んでかけるDJのような人)がHiphopをかけたり、90年代前半から活躍してきたBounty KillerなどがHiphopアーティストと頻繁にコラボレーションするようになり、ダンスホールレゲエもその影響を受けます。現在も第一線で活躍するSean PaulやMr. Vegasなどもこの頃から頭角を現し始めます。

 2000年代に入るとアメリカのHiphopやR&Bアーティストとの共演によってブレイクするアーティストが増え、ソロでもジャマイカ出身のアーティストが頻繁にBillboardのHot100チャートに入ってくるようになります。

 私は下記の楽曲をリアルタイムで聞いていましたが、若くてあまり区別もつかなく、レゲエの要素が違和感なくアメリカのメインストリームシーンに溶け込んでいたので、レゲエを聞いているという認識がそこまでありませんでした。ちなみにSean PaulのGet BusyとWayne WonderのNo Letting GoはDiwali(ディワリ)という同じRiddimを使っています。

■No Doubt feat. Bounty Killer - Hey Baby (01)

■Beenie Man Ft. Janet Jackson - Feel It Boy (02)

■Sean Paul - Get Busy (02)

■Wayne Wonder - No Letting Go (03)

■Elephant Man - Good 2 Go (03)

 00年代後半にはMavadoやMungaなどのラスタファリアンでもありながらギャングスタ(ストリートギャングやヤクザなどを指す)でもあるGangsta Ras(ギャングスタ・ラス)をパーソナリティの売りとするアーティストも出現し人気を博しています。

■Munga Honorable - Excuse Me (15)

■Mavado - Progress (16)

ラップの説明をした回で出てきたHiphopの創始者と言われているKool Hercはジャマイカ人ですし、Jungleの説明をした回ではJungleはレゲエのベースラインとレゲエスタイルのラップを取り入れ、以降Raggamuffinにも派生すると説明しました。Moombahtonの説明をした回で挙げたようにMoombahtonはレゲエから派生したReggaetonが元になっていますし、音楽に限らず、文化的な面でも世界中でレゲエから影響を受けているものを挙げたら枚挙にいとまがないはずです。

 さて、ではいつも通り韓国での話に移りますが、今回はここまでの説明が長くなってしまったので簡潔に書きます。

 韓国ではレゲエは退廃的な音楽とされ長く視聴が禁止されてきましたが、92年に解禁されるとイギリスのUB40というバンドのレゲエ楽曲がヒットし、レゲエバンドやレゲエを取り入れたグループが次々と登場します。

 今回からApple MusicとSpotifyのプレイリストを作成してみました。下記以外の曲も入れているので参考にして下さい。

Apple Music K-Reggae Playlist
Spotify K-Reggae Playlist

 2つ目に挙げたSKULLに客演しているSizzlaは、95年頃から活動し始めたジャマイカ出身のDeejayで非常に多作なことでも知られ、日本人のレゲエアーティストにも客演しています。

■PRIMARY(프라이머리) - Don't Be Shy(아끼지마) (Feat. ChoA(초아) (AOA) , IRON(아이언)) (2015/07/24)

■SKULL(스컬) - Get Rich Feat.Sizzla (2016/05/27)

■EXID - L.I.E (Jannabi Remix) (2016/06/01)
Apple
Spotify

■Wonder Girls - Why So Lonely (2016/07/05)

■GFRIEND(여자친구) - Distance (한 뼘) (2016/07/11)

■OH MY GIRL(오마이걸) _ Listen to my word(내 얘길 들어봐)(A-ing)(Feat. SKULL(스컬)&HAHA(하하)) (2016/08/01)

■CLC - BAE (2017/08/03)
Apple
Spotify

■VAV - Flower (You) (2017/05/03)

■TWICE - 하루에 세번(Three Times A Day) (2017/05/15)

■EXO 엑소 - Ko Ko Bop (2017/07/18)

■청하(CHUNGHA) - Do It (2018/01/17)

■UNI.T(유니티) - No More(넘어) (2018/05/19)

■PENTAGON(펜타곤) - 청개구리(Naughty boy) (2018/09/10)

■Dreamcatcher(드림캐쳐) '약속해 우리(July 7th) (2019/01/10)

■SF9 - Enough(예뻐지지 마) (2019/02/20)

■Red Velvet - Sunny Side Up! (2019/06/19)

■CIX - Like It That Way (2019/07/23)
Apple
Spotify 

■THE BOYZ - Water (2019/08/19)
Apple
Spotify

■유권 (U-KWON) - Rise Up (Feat. Koonta) (2019/12/18)

■HYOLYN(효린) - SAY MY NAME(쎄마넴) (2020/08/19)

<落選したけど……紹介したい1曲>

■LUCY - 조깅(Jogging)

 ユン・ジョンシンが代表プロデューサーを務めるSM Entertainmentの子会社MYSTIC STORYに所属する4人組バンドLUCYの新曲です。JTBCの『スーパーバンド』というサバイバルプログラムで結成され準優勝し、今年の5月8日にデジタルシングル「개화 (Flowering)」でデビューしました。今回は初のミニアルバムリリースですが、タイトル曲の「Jogging」だけでなくEP単位で聞いて欲しい素晴らしい出来になっています。

 今までもバンド形式で音楽番組に出演するいわゆるアイドル的な立ち位置のグループはいくつかありましたが、バイオリニストがいるのは初めてだと思いますし、何よりMYSTIC所属で音楽的にもしっかりしているのがとても好感が持てます。

<近況>
ちょうどこの原稿を書いている締め切りの日に映画『ブラックパンサー』主演のチャドウィック・ボーズマンが亡くなった知らせがあり、今回書いている内容も相まって、とても考えさせられた回となりました。Rest in Power, King.

e_e_li_c_a
1987年生まれ。18歳からDJを始めヒップホップ、ソウル、 ファンク、ジャズ、中東音楽、 タイポップスなどさまざまなジャンルを経て現在K-POPをかけるクラブイベント「Todak Todak」を主催。楽曲的な面白さとアイドルとしての魅力の双方からK-POPを紹介して人気を集める。

Twitter @e_e_li_c_a TodakTodak 
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