EXO・D.O.主演『スウィング・キッズ』、“タップダンス”で際立つ暗鬱な現実――「もしも」に込められたメッセージとは

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2020年09月11日 22:12  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『スウィング・キッズ』

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 韓国では「同族相残(동족상잔、同族間の殺し合い)の悲劇」とも呼ばれる朝鮮戦争。軍の戦闘による犠牲者よりも、軍による民間人への、あるいは民間人同士の虐殺による犠牲者のほうが多いとまでいわれるほど、3年間の戦争中にありとあらゆる形の虐殺が行われた。転向した左翼数万人を、朝鮮戦争勃発後に虐殺した「国民保導聯盟事件」や、人民軍による高城(コソン)郡や永興(ヨンフン)郡などでの民間人虐殺、そして今回取り上げる『スウィング・キッズ』(2018、Blu-ray&DVD発売中、デジタル配信中)の舞台になっている巨済島(コジェド)捕虜収容所での捕虜同士の殺し合いや、米韓連合軍による捕虜への虐殺は、最も凄惨な悲劇として記録されている。

 考えてみれば、虐殺の構図は非常に単純明快だ。自発的か強制的かに関係なく、韓国軍が村を占領すると北朝鮮軍に協力したアカを、北朝鮮軍が村を占領すると韓国軍に協力した反動分子を虐殺したのだ。要するに、同じ村を昨日は韓国軍が、今日は北朝鮮軍が占領するとなれば、村全体が両方によって焦土化され、数多くの村人が犠牲になる。一握りの権力者によって引かれた「アカ」と「反動分子」の境界線によって、朝鮮半島は浅はかで盲目的なイデオロギーに踊らされ、その代価はあまりにも大きかった。

 本作は、日本でもリメークされた映画『サニー 永遠の仲間たち』(2011)などで知られるカン・ヒョンチョル監督の作品だ。原作自体がミュージカルというのもあるが、タイトルからもわかるように、スウィング・ジャズとタップダンスが映画の中心に据えられている。ドラマから映画まで幅広く活動し、その演技力も高く評価されている人気アイドルグループ・EXOのメンバーD.O.が主役を演じることも話題を呼び、韓国で観客動員150万人に迫るヒットとなった。

 今回のコラムでは、収容所での虐殺の歴史という悲惨な側面が、タップダンスという明るい要素とどのように絡み合い、それがどのような映画的効果をもたらしているかについて考えてみたい。

<物語>

 1951年、朝鮮戦争中の巨済島捕虜収容所。新任所長(ロス・ケトル)は収容所のイメージ改善のために、捕虜たちでダンスチームを作る計画を立て、ブロードウェイの舞台に立ったことのあるジャクソン(ジャレッド・グライムス)にその任務を任せる。ジャクソンは、ダンスの才能を持っている捕虜のロ・ギス(D.O.)、英語はもちろん日本語や中国語もできる踊り子ヤン・パンネ(パク・ヘス)、離れ離れになった妻を探すために有名になりたいカン・ビョンサム(オ・ジョンセ)、ダンスの実力はあるが栄養失調ですぐ息の切れる中国軍捕虜のシャオパン(キム・ミノ)の4人を集めて、タップダンスチーム「スウィング・キッズ」を結成する。

 ところが、この計画を良く思わない米軍兵士たちの罠にかかり、ジャクソンは刑務所に入れられてしまう。チームのメンバーたちはジャクソンを助けるため、収容所の視察に訪れた赤十字の訪問団の前で踊りを披露し、大きな反響を得る。さらに、所長は記者たちに「クリスマスにこのチームがダンスを披露する」と公言。ジャクソンも釈放され、「スウィング・キッズ」はタップダンスの練習を再開する。一方、新しく収監された捕虜のグァングク(イ・デビッド)の煽動と、「人民の英雄」でロ・ギスの兄であるギジン(キム・ドンゴン)の登場とともに、捕虜たちの暴動はますますエスカレート。ついに彼らは所長暗殺もたくらみ、ロ・ギスも巻き込まれていくことになる。

 冒頭、朝鮮戦争下の戦況をまとめたスピーディーなニュース映像から映画は幕を開ける。1950年6月25日、北朝鮮軍の奇襲攻撃に端を発する朝鮮戦争は、日本人にもなじみ深い、かのマッカーサー率いる米軍主体の国連軍による仁川(インチョン)上陸作戦や、中国軍の参戦で一進一退を繰り返したのち、38度線辺りで膠着状態に陥った。両陣営は51年7月には早くも休戦会談を始めたものの、合意に至る53年7月までの2年間戦闘は続けられ、死傷者はもちろんのこと、捕虜も大量に発生した。

 増え続ける捕虜の収容問題を解決すべく50年11月、国連軍は巨済島に巨大な捕虜収容所を造った。釜山の南に位置する巨済島は、海に囲まれているため脱出の心配もなく、陸地から程よい距離にあったので捕虜の移送にも差し支えがなく、収容所建設には最適な立地だった。収容所の管理は米軍が行い、韓国軍が警備にあたった。

 17万6,000人に上る捕虜の多さもさることながら、映画を見てまず戸惑ってしまうのは、構成の複雑さではないだろうか。国連軍の収容所にもかかわらず、そこでは北朝鮮軍や中国軍はもとより、北に協力した民兵から強制徴兵された民間人、アカにされてしまった南の避難民に至るまで、さまざまな立場の人間が一堂に会していたのである。映画の登場人物に照らし合わせてみると、ロ・ギスは北朝鮮軍、シャオパンは中国軍だが、カン・ビョンサムは避難民だ。混乱の中、少しでも怪しまれたらアカにされたこの時代、「乗る車を間違えた」だけのビョンサムがここにいることは、何ら不思議ではない。そして当時、米軍のあとを追って島に流れてきた「ヤンゴンジュ」と呼ばれる売春婦も大勢おり、ヤン・パンネもその一人であった。

 カオスの様相を呈していた収容所で最も問題になったのが、捕虜たちの「イデオロギー」である。ここには根っからの共産主義者もいれば、報復を恐れて共産主義者のふりをしている捕虜も少なくなく、強制徴兵された民間人は反共主義者かどちらでもなかった。当初米軍は、反共主義者(反共捕虜)と共産主義者(親共捕虜)を分けて収容していたが、いちいち確認するのはほぼ不可能と判断したのか、そのうち区別をつけずに収容し始めた。これが後に、流血暴動や殺し合いをもたらすことになる。

 映画にも描かれているように、各収容施設の支配勢力が「親共」か「反共」かによって、北朝鮮と韓国いずれかの国旗が掲げられ、施設同士で対峙する状況が生まれていく。同時に、施設内で「反動分子」や「アカ」を探し出してはリンチを加えるといった事件が後を絶たなかった。とりわけ休戦会談で捕虜の送還が問題となり、無条件に捕虜の全員送還を主張した北朝鮮側と、あくまで希望者のみの送還を求めた米軍側の対立が伝わると、捕虜間の分裂と殺し合いは凄惨さを極めた。なぜなら、反共捕虜や転向希望の親共捕虜にとっては、無条件の全員送還はすなわち死を意味するからだ。自分が反共主義者であることを米軍にアピールする者がいる一方で、親共捕虜たちは反共に寝返る裏切り者を出さないために、見せしめのリンチを繰り返したのである。

 『スウィング・キッズ』は、以上のような歴史に基づきつつ「タップダンス」や「ミュージカル」の要素を取り込むことで、戦争をめぐる記憶と、個人の夢や自由に対する希求を同時に喚起させている。たとえば、ロ・ギスやヤン・パンネら「スウィング・キッズ」のダンスには、戦争によって破壊されたそれぞれの夢への希望、抑圧された自由への熱望が込められている。誰もいないホールから飛び出して収容所を疾走しながら踊るギスと、村を走りながら踊るパンネの姿は、その先に待ち構えている収容所の鉄柵フェンスや、疲弊した村という壁にぶつかってしまうが、決して自由になることをあきらめたりはしない。だが、タップダンスを踊っている間にのみ許される夢と自由への希求は、それを求め続けるギスやパンネらの思いが強くなればなるほど、戦争という暗鬱な現実と克明なコントラストをなしている。

 以前のコラムでも説明したのだが、本作も近年の韓国映画で多く見られる、歴史的な出来事にフィクションを加味する「ファクション」ジャンルの作品だ。とりわけ、ラストシーンは「フィクション」としてのタップダンスがあまりにも軽快で生命力にあふれているために、「ファクト」としての残酷な虐殺をより一層際立たせている――今の私たちに「どう生きるべきか」を問いつつ。

 南と北、アメリカと中国。国も言葉も違う捕虜たちを、収容所に集めさせた現実は「戦争」だった。しかし、本作のように、もし本当に誰かによってダンスが、あるいは音楽が収容所内に響き渡り、多くの人がそれに共感したならば、歴史はどう変わったのだろうか? 少なくとも、実体の見えないイデオロギーに翻弄され、殺し合うことは防げたかもしれない。

 歴史に「もし」はないといわれるが、そう考えると「ファクション」としての本作のメッセージは明白だ。「スウィング・キッズ」のリーダーで、黒人米兵・ジャクソンのセリフを借りるまでもないが、「Fucking ideology!(くそ! イデオロギー)」を合言葉に、共存の可能性を模索することだろう。本作は、戦争がもたらした悲しい歴史を現在に甦らせ、タップダンスで癒やし、未来に向けたメッセージを伝えてくれている。

 最後に、どうしても触れておきたいことがある。原作がミュージカルであることは冒頭で述べたが、その原作を作るきっかけとなったのは、スイスの写真家ワーナー・ビショフが収容所の実態を映した1枚の写真であった。収容所内に立つ自由の女神像の前でフォークダンスを踊る、覆面をかぶった捕虜たちの姿。今見ても違和感の残る、異様な雰囲気の写真である。米軍の前で踊る彼らは「反共捕虜」には違いないのだが、顔がバレてしまうといずれ「親共捕虜」に殺されるかもしれないという恐怖から、不気味な仮面をかぶって踊っていたのだ。

 生き延びるために米軍側につくという生への欲望と、「死にたくない」という仮面の下の死への恐怖が背中合わせに見え隠れしているこの写真が見る者の胸に突き刺さるのは、その壮絶な切なさが今を生きる私たちにも伝わってくるからかもしれない。

※このコラムは『スウィング・キッズ』の公式パンフレットに掲載した原稿に大幅に加筆して書き直したものである。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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  • エンドロールが始まるまで「彼らが笑顔で現れるのでは」と期待してた。それがない、というのは描写されてたけど…必見。
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