ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1987年(中編):鈴鹿200kmの事前テストで致命的なトラブル発生

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2020年09月24日 13:21  AUTOSPORT web

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写真片持ちリヤアームの開発指示が突然だっただけでなく、開発期間もわずかだった。おまけに知見すらない。試行錯誤を繰り返しながら、なんとかカタチにはなったが、走るたびにトラブルが出た。リヤホイールもそのひとつ。これは、テスト走行でホイールが粉々になったのを受け、スポーク内側にリブを設けた対策品。
片持ちリヤアームの開発指示が突然だっただけでなく、開発期間もわずかだった。おまけに知見すらない。試行錯誤を繰り返しながら、なんとかカタチにはなったが、走るたびにトラブルが出た。リヤホイールもそのひとつ。これは、テスト走行でホイールが粉々になったのを受け、スポーク内側にリブを設けた対策品。
 レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

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 さて、片持ち式のリヤアームになくてはならないのが専用のホイールだ。これは迷わずレースの世界では有名なイタリアのメーカーに設計・製造すべてお任せで依頼したのだが、その開発は予想外に難航した。

 ホイールのデザインはそのブランドのアイデンティティでもある三本スポークだったが、中空スポークではなく薄肉の開放型だったので、最初の試作品が送られてきた時には一抹の不安を覚えた。念のため走行テスト前に回転曲げ試験を実施。結果、市販車の基準は軽くクリアしたので一安心、晴れて走行テストに移行の運びとなった。が、しかし、間もなく漠然と感じた不安は確かな現実として突き付けられることになった。

 シェイクダウンテストは上野真一・平塚庄治両選手によって行われ、特に片持ちリヤアームに起因する違和感などないとのコメントにホッとしたのも束の間、走りこむうちにホイールのスポークの根元部分にクラックが入っているのが発見された。この事実をさっそくメーカー側に伝えると「信じられない!」といった様子だったが、すぐにスポーク部分の肉厚を増した対策品を手配してくれた。

 対策品が届くやまた回転曲げ試験からやり直しなのだが、今度はクラックが入る条件を見出すところから始めないとその効果が見えないので非常に時間が掛かった。

 ヤマハ社内にある品質保証部のラボで試験機を回す孤独な日々が何日も続いたが、なんとか対策効果を明らかにする試験条件が見出だせた時は、鈴鹿8耐の前哨戦である鈴鹿200kmの事前テストが目前に迫っていた。そのテストには前年の8耐でケビン・マギー選手と組んで2位になったマイケル・ドーソン選手が参加してくれたが、異変は運悪く彼の走行中に起きてしまった。

 なんと強化したはずのホイールが、対策前より急速にクラックが進行するという想定外のトラブルだった。知らせを受けた筆者はこの事態に言葉を失ったが、幸い怪我をともなうような事故には至らずに済んだと知らされた時は、自分も九死に一生を得た思いだった。

 この時ほど自分の仕事が人の命を左右するということを強く意識させられたことはない。筆者はあまり霊的なものの存在を信じる方ではないが、実はこのアクシデントが起きる数日前にホイールではなくてリヤブレーキのローターが粉々に割れて飛び散る夢を見ていた。ローターは大径の鋼材を輪切りにして放射状にドリルで孔を開けてベンチレーテッドディスクに仕立てたものだったが、それが割れて飛び散る悪夢を見て汗びっしょりで目が醒めたのだ。

 ホイールそのものではなかったがそれに最も近い部品が壊れる夢だったので、これは世にいうところの予知夢ではないかと思ったものだ。そうでないとしても、そんな夢を見るほど精神的に追い詰められていたという事だろう。

 それにしてもこのタイミングでの主要部品のトラブルは致命的だった。おそらくは部分的に肉厚が増したことで全体のしなやかさが損なわれて応力が一カ所に集中したための破損と結論付けられたが、それが次の一手をどうするかという判断を難しくしていた。

 しばらくしてホイールの再対策品の図面が送られて来た時には、スポーク部の中心に一本のかなり分厚いリブが追加されていたが、検証に十分な時間を掛ける余裕は既になかった。よって、イタリアから送られてきたそれは台上試験と同時進行で走行テストに供されていった。(後編に続く)

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キタさん:(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。
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