『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督が尊敬する“怪物”――キム・ギヨンが『下女』で描いた「韓国社会の歪み」

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2020年12月25日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『下女』

 今年、映画『パラサイト 半地下の家族』で一躍世界から脚光を浴びたポン・ジュノ監督。同作を“階段映画”と呼ぶ彼が惜しみないリスペクトを捧げ、必ずその名前を引き合いに出す一人の映画監督がいる。「キム・ギヨン(金綺泳)」だ。韓国映画史上最も個性的かつ創造的なこの監督は、作品の多くが公開から半世紀以上たった今でも、その斬新さが類を見ない韓国映画の“怪物”として、世界で多くのファンを獲得し続けている存在だ。

 このコラムでも、以前からぜひ取り上げたい作家の一人だったが、これまで日本では作品がソフト化されておらず、映画館での特集上映や回顧上映でしか見ることができなかったため、なかなかその機会を得られずにいた。ところがついに、12月25日にキム・ギヨン監督の代表作を集めたDVD&ブルーレイボックス(発売元:株式会社アイ・シー・ビー)が日本でも発売されるという朗報を受けて、2020年の最後を飾るコラムでは、キム・ギヨンの代表作とともに、監督の不思議な魅力に迫っていきたい。

 初めに、彼の生い立ちを簡単に紹介しよう。1919年に京城(現・ソウル)に生まれたキム・ギヨンは、幼い頃に平壌に移り高校までを過ごした。その後、日本に渡った彼は京都大学医学部に進学。戦後、韓国が独立を果たすと帰国し、ソウル大学医学部で学んだ。50年、朝鮮戦争の勃発により避難した釜山で、人生の伴侶となる妻のキム・ユボンと出会って結婚。歯科医の妻からの経済的なサポートにより、後にキム・ギヨンは映画制作にのみ専念できるようになる。

 京大〜ソウル大の医学部出身という、「超」がつくほどのエリートコースで医師となったキム・ギヨンだが、大学時代には演劇活動に熱を上げ、また戦争中に在韓米国公報院(USIS)で文化映画や宣伝映画を撮ったことが、映画監督を目指すきっかけになった。1955年に『死体の箱』で監督デビューを果たすと、60年に発表した『下女』がセンセーションを巻き起こし大ヒット。続く『玄海灘は知っている』(61)や『高麗葬』(63)も大成功し、この時期のキム・ギヨンは興行面での成功と作品的な評価を手中に収め、「時の人」としてメディアからも大きな注目を浴びていた。

 これらの作品では、独創的な世界観や予測不可能な展開、強烈すぎる演出など、キム・ギヨンをキム・ギヨンたらしめる要素が開花し、メディアにおいても「怪人」「奇人」「魔性」といった見出しが躍るようになっていた。

 キム・ギヨンの作品は、必ずしも傑作と呼べるものだけではなく、興行的に失敗した作品も数多くあるが、そこには韓国の政治や社会的背景も大きく影響している。1963年に大統領に就任し、79年に暗殺されるまでの16年間にわたって軍事独裁体制を布いた朴正煕(パク・チョンヒ)政権下では、「公序良俗」の名のもとに表現の自由が締め付けられ、厳しい検閲が行われた。“韓国映画の暗黒期”とされるこの時代、反共映画が量産され、芸術的表現が圧殺される中では、さすがのキム・ギヨンも活躍の機会を奪われ、77年の『異魚島(イオド)』では、性器が立ったままの死んだ男とセックスする女を描いた場面が丸ごとカットされるなど、検閲の憂き目にも遭っている。

 今でこそ韓国でもその名を知らぬ者はいないほどだが、実際に、キム・ギヨンは過去の映画人として長い間忘れ去られていた。一般的に、キム・ギヨンの再発見は1997年の釜山映画祭での回顧上映に始まるとされるが、実はそれ以前の96年に、日本の国際交流基金が行ったアジア映画監督の特集によって日本国内で再発見され、その後に釜山をはじめ世界各国で再評価の動きが広がっていった。私自身、日本に留学するまでキム・ギヨンの名はまったく知らなかった。

 フィルム自体が失われていたり、ボロボロの状態でしか残っていない作品も多い中、不完全なままだった『下女』を復元したのも、『タクシードライバー』などで知られる巨匠マーティン・スコセッシが率いる団体「World Cinema Foundation」であった。このように、現在、韓国の映画人たちが称賛してやまないキム・ギヨン監督は、日本と欧米の貢献によって見事に蘇った映画作家なのである。

 だが再び脚光を浴びたのもつかの間、1998年、招待を受けていたベルリン映画祭への出発前日に、キム・ギヨンは自宅の火事によって夫婦ともども不慮の死を遂げた。なお、遺作となった『死んでもいい経験』は、製作自体は90年だが、作品の出来に満足しなかった監督自身が公開を拒否したため、死後になって世に出た映画だった。

 キム・ギヨン監督の最も特徴的な点は、代表作である『下女』をあたかも強迫観念のように反復し続けたところである。60年代半ば以降、低迷していた彼は『下女』のセルフリメイクである『火女』(71)をヒットさせると、『虫女』(72)、『水女』(79)、そして『下女』の二度目のセルフリメイクである『火女’82』(82)を発表。「女シリーズ」とくくられる一連の作品を通して、繁殖を求める恐ろしいまでの女性への欲望と、対照的に、不能に陥る男性を描いてきた。そして「欲望と本能」「繁殖と不能」は、「女シリーズ」以外でもキム・ギヨン作品に一貫して見られる主題だ。

 ここからは、彼の代表作『下女』を取り上げ、キム・ギヨン的な主題がいかに表現され、それが当時の韓国社会とどのような関係にあったかを紹介しよう。

<物語>

 妻(チュ・ジュンニョ)や足の不自由な娘、息子(アン・ソンギ)と4人で暮らすピアノ教師のトンシク(キム・ジンギュ)は、新しい家を建てて引っ越しをする。だが、新築のために無理して内職を続けていた妻は体を崩してしまい、トンシクは若い下女(イ・ウンシム)を雇う。そんなある日、妻の留守中に下女はトンシクを誘惑して関係を結び妊娠。しかし、これを知った妻によって中絶させられてしまう。そのショックで徐々に乱暴になっていく下女は、ついに残酷で執拗な復讐に出る……。

 下女(家政婦)によって破壊されていく家族の様子を恐怖めいた映像で描いた本作は、公開直後から当時の観客に大変なショックを与えた。映画と現実を混同した一部の観客が、下女を演じた女優のイ・ウンシムへのバッシングを起こし、実際に彼女はその後、映画界から姿を消したほどである。だが本作は、その衝撃の強さや、それゆえに大ヒットしたという話題性以上に、当時の韓国の歪みを映し出している点において、恐ろしくも素晴らしい作品なのだ。

 この作品を見る上で、とりわけ2つの不思議な設定に注目してみたい。1つはトンシクの「経済力」。工場で女工たちにピアノを教える安月給のトンシクが、内職をする妻の助けがあったとはいえ、果たして2階建ての家など建てられただろうか、と疑問が残る。しかも彼は、下女まで雇うのだ。朝鮮戦争の爪痕が依然として残っていた当時の韓国経済は、アメリカの援助によって辛うじて保たれており、仕事を求めて田舎から都会へ出てくる女性たちが一気に増えたのもこの頃。映画に登場する女工たちはまさに、そのような女性労働者であった。さらに、李承晩(イ・スンマン)政権の憲法改正と不正選挙によって政治的混乱に陥り、これによって学生を中心とした「4.19革命」が勃発し李政権が倒れるなど、1960年前後は社会的にも劇的な変化が起こっていたことを考えると、トンシクの設定にはやはり解せないものがある。

 だが、これが現実を無視した設定ミスでないこともまた確かであり、そこにこそキム・ギヨンの作家性が発揮される。2階建ての一軒家が「近代化」の象徴だとすれば、トンシク夫婦の経済的不安定さは、当時の韓国の経済的不安定さそのものであり、「新築一戸建て」は不安定ながらも「韓国社会」が欲望していた近代化へのフェティッシュとして考えられるからだ。

 フェティッシュとは、簡単に言えば「自分が持っていないものを視線の対象に求めること」。作品の中に描かれるベッドやピアノ、絵画や壁時計など、家の中に緻密に配置された「物」たちは、まさに近代化へのフェティッシュが具現化したものにほかならない。こうして一見不思議で過剰に見えるこの設定は、新興独立国・韓国がアメリカから与えられた西欧的な近代への転換と、近代化には程遠い現実との間の不安定さと、その隔たりを埋めるためのフェティッシュを表現している点において、きわめて意図的なものとして読み取ることができるのである。

 もう一つの不思議な設定は「階段」だ。トンシクには足の不自由な娘がいるにもかかわらず、彼は2階建ての家を建て、娘は今にも転がり落ちそうな様子で階段を使わねばならない。この設定からは、どのような意味を読み解くことができるだろうか。

 「階段」は世界のさまざまな映画の中で、たびたび身分の「上昇と転落」の象徴として描かれてきた。キム・ギヨンも「足の不自由な娘」と「階段」という設定を意識的に用意することで、見る側に不安を抱かせ、スクリーンに投影される「近代」と、そこに映る過剰な映画的現実が近代化へのフェティッシュにすぎず、いつ「転落」するかもわからない不安定な欲望であることを際立たせる効果をもたらしていた。下女は、2階に用意された部屋へと上がり、そこでトンシクを誘惑して妊娠する。しかし、近代的な家庭の妻になるという下女の欲望は、階段からの「転落」を余儀なくされ、それは同時に、韓国が抱いていた近代化への欲望が歪んだイメージにすぎないことを暴き出していた。キム・ギヨンの「女」シリーズで、階段が中心に置かれた家がすべての出来事の舞台になるのには、不安をあおる装置として韓国社会を揺さぶり続ける、作家の強烈な意図があったのである。

 劇中で下女は名前を持っていない。身分の上昇を夢見てはそこから転がり落ちていった下女に、誰でもなり得るからだ。映画の公開からちょうど1年後の1961年、朴正煕(パク・チョンヒ)による「5.16軍事クーデター」とともに、韓国社会は「近代化」のための「開発独裁」という階段を上がり始めた。その渦中に無数の「下女」が存在したことは、言うまでもない。本作は、キム・ギヨンが開発独裁後の韓国社会へ送った「警告の手紙」だったのかもしれない。

※『キム・ギヨン傑作選 DVD&ブルーレイボックス』には筆者も作品解説(『下女』『玄海灘は知っている』『高麗葬』)の執筆に加わった。このコラムはブックレットに掲載した『下女』の原稿に大幅に加筆して書き直したものである。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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