【特別コラム】角田裕毅、F1ドライバーへの布石。片鱗を見せていた2017年のパフォーマンス

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2021年01月18日 12:01  AUTOSPORT web

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2020年F1アブダビテスト 角田裕毅(アルファタウリ・ホンダ)
「あれ? 角田裕毅はどこにいるんだ?」と、ぼくはニュージーランドのプケコヘ・パーク・レースウェイのパドックをさまようことになった。これまでの経験から、海外レースに出場中の日本人選手は大なり小なりどこか「浮いた」存在になりがちなので、特に約束をしていなくても雑然としたパドックのなかで見つけ出すのはさほど難しい話ではない。

 しかし、すぐに見つかるだろうと思ったのにパドックとピットを1往復してみても角田の姿が見当たらない。「おや?」と、首をひねりながら、ぼくは初めて出かけたプケコヘ・パークのパドックをもう一度歩き直すことにした。

 2020年の2月第2週、ぼくはカストロール・トヨタ・レーシング・シリーズ(CTRS)第4大会の取材のため、ニュージーランドにあるプケコヘ・パークへ出かけた。CTRSは、かつてはタスマンシリーズと呼ばれていたオセアニア地域独自のフォーミュラカーレースシリーズで、現在はトヨタエンジンを搭載したフォーミュラ・リージョナル相当の車両で開催されている。

 南半球に位置するオセアニアで開催されるこのシリーズは、北半球が冬に向けてシーズンオフになる頃に春から夏のオンシーズンになるため、近年はヨーロッパがシーズンオフの間にもスーパーライセンスポイントが稼げるシリーズとして、F1を目指す若手選手が戦う場として注目を浴びている。

 たとえばランド・ノリスやランス・ストロールはここでシリーズチャンピオンになってスーパーライセンスポイントを重ねたし、日本でトップドライバーとなったニック・キャシディもこのシリーズで育ったドライバーで、昨シーズンはレッドブル・ジュニアとしてヨーロッパで戦う角田がこのシリーズに参戦していた。

 まさにF1への王道であるだけに、角田がどんな戦いぶりを見せるのか見ておきたかった。ただ、ぼく自身はまさか角田がその1年後にF1レギュラーの座を獲得するなどとは思っていなかったので、あくまでも育っていく途中経過を眺めておこうという気持ちでいた。

 角田を初めて見たのは、2017年度の国内FIA-F4選手権にHFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)の一員としてステップアップしてきたときのことだ。HFDPからは毎年のように優秀な若手選手がステップアップしてくるので、当初ぼくにとっての角田は将来有望な若手のうちのひとりに過ぎなかった。

 ただ印象に残っているのは、2017年シーズンはFIA-F4を戦うとともにJAF F4東日本シリーズにも並行して参戦するつもりでいる、と言ったことだった。

 この時点で角田は前年、限定Aライセンスを取得して10月に4輪レースデビューを果たしたばかりで、5レースの経験があった。その、多いのか少ないのか分からない5レースでどんな成績を残していたか見ると、FIA-F4で2レース、JAF F4で3レース戦ってJAF F4で3連勝、FIA-F4でも1度表彰台に上がってるという、フォーミュラレースデビューイヤーとしてはとんでもない成績を残していた。

 4輪レースを始めたばかりでそれだけのことができるなら、なおさらHFDPとして出走するFIA-F4に専念してしっかり成績を残すべきなのではないかとぼくは思ったのである。

 しかし角田は当初の宣言通り2017年、最初の本格的シーズンを2シリーズ掛け持ちで戦い、そのインターバルにあるテスト走行もこなしつつ、高校にも通うという、まさに八面六臂のスケジュールに突入した。

 正直なところぼくは「何を急いでいるのだろうか。積み重ねるべきときは確実に積み重ねていったほうがいいのではないか」と首をひねった。

 ぼく自身はFIA-F4のレースを取材し、レポートを書く仕事をしていたため、角田を見る機会はFIA-F4の現場だけだった。当時の角田は、評判通り速いけれどもこのクラスのフォーミュラカーとしては珍しいデフのないクルマの動かし方に戸惑っているのかどこか思い切りに欠けているように見えた。また、大勢の大人に囲まれて居場所を見つけられず無口なまま孤立しているようでもあった。

 ところが聞けば並行して参戦したJAF F4東日本シリーズでは開幕戦からポール・トゥ・ウインだという。状況が対照的だ。いったいどういうことなのかと、たしか2017年4月末のスポーツランドSUGOへJAF F4のレースを眺めに行った。そこでぼくは仰天することになる。

◼︎2017年と同じように、2021年は早くから結果を残さないといけない
 SUGOのあの高速コーナーでマシンを自由に振り回して向きを変え、誰よりも速く駆け抜けていく角田がそこにはいたからだ。その走りは迫力に満ちていたし、何よりも“楽しげ”に見えた。

 JAF F4はご存じの通り日本独自のローカルカテゴリーだが、FIA-F4よりもエンジンのパワーがありデフもあり空力も効くので、言ってみればより上位カテゴリーに近いフォーミュラカーである。それを楽しそうに自由自在に操って走り、当たり前のようにポール・トゥ・ウインを飾る。「なんだ、こいつは⁉︎」とぼくはそのとき初めて角田の才能を見せつけられて頭が混乱したのだった。

 初めての本格的4輪フル参戦シーズンとなった2017年、角田はJAF F4では東日本シリーズ全6戦を戦い、5戦でポール・トゥ・ウインを飾った。また12月には鈴鹿で西日本シリーズにスポット参戦しながら日本一決定戦にも出場、どちらもポール・トゥ・ウインと、ほぼパーフェクトな成績を残した。一方、FIA-F4選手権では14戦中3勝のみでランキング3位に終わった。

 ステップアップの王道として一般的なレース関係者やファンが認識しているのは、自動車メーカー系を含む多くの育成プログラムが関わり、スーパーGTのサポートイベントでもあるFIA-F4なので、表舞台でこの年の角田が特別な話題になることはなかった。だが、分かっている人間たちは水面下で、なんだかとんでもないヤツが出てきたぞとザワついていたのである。

 ぼくも「こいつはおもしろいな」と思うようにはなっていたけれど、FIA-F4とJAF F4の走りの対比が極端だったことが気になったし、じつはF1参戦を決めた今でも気になり続けている。余計なお世話かとも思うけれど、角田にはふたつの面があるのではないかと感じるからだ。

 ぼくは、JAF F4の角田をコースサイドから走っているところしか見ていないから知らなかったが、後から取材をしてみるとJAF F4のチーム『MYST』で見せていた角田の素顔は、FIA-F4のHFDP時代にぼくが見ていたものとはかなり違ったようだ。

 たとえばサーキットの行き帰り、移動中のクルマでは同期の小高一斗と大声で歌を歌い、チームオーナーである庄司富士夫代表の自宅には別荘代わりで住み着くなど奔放に暮らす一方、サーキットの走り方については、臆することなくひと回りもふた回りも年上の先輩ドライバーをつかまえて教えを請うなどの積極性も発揮したという。それに比べると、FIA-F4時代の角田はどこか縮こまって見えた。

 たしかに角田は翌2018年、FIA-F4シリーズチャンピオンになると2019年にはヨーロッパへ渡り、なんと2021年にF1レギュラードライバーの座をもぎとった。でも今でもぼくは老婆心ながら、ひょっとしたら角田には自分の才能を発揮しやすい環境と、しにくい環境があるのではないか、と心配している。

 誤解されないように言っておくが、角田にとってHFDPが活躍しにくい環境だったというわけではない。昨年の8月に初めてF1テスト走行を経験したときも、直後にHFDPのチーム関係者に現地から報告の電話を入れて喜ばせるなど、今の角田にとって古巣は大事な存在で、その関係はとても良好である。
 
 初年度に居場所を見つけるのに苦労しているように見えたにせよ、2年目にはきっちりシリーズチャンピオンを獲得しているのだから、もしぼくの危惧する通りだったとしても角田がその課題を自力で乗り越える力を持っていることに間違いない。

 ただ、F1に流れる時間は非常に速く、しかも空気はきわめてドライだ。じっくり構えている余裕はないはずで、4輪レースを始めたばかりの頃の角田がそうであったように、スタートから一気に猛然とスパートして結果を残さなければその先どうなるかは分からない。そう思うと、ああ、角田はここまで見通して先を急いでいたのかなと、後付けで納得したりもするのである。

 で、冒頭の話に戻れば、2018年の暮れか2019年の初めかに、ツインリンクもてぎのコースサイドでバッタリ会って、「ヨーロッパでもがんばれよ」と月並みな激励をして以来、ヨーロッパでのレースぶりを直接見てはいなかったので、欧州のチームのなかでどうやってレースをしているのか確かめるため、ぼくはニュージーランドへ足を伸ばしたのだった。

 歩き馴れないプケコヘ・パークのパドックをうろうろしているうちに、角田の姿がようやく見つかった。当初なかなか見つけられなかったのは、外国人のなかにすっかり混じり込んで談笑し、景色に溶け込んでいたからだった。ぼくはそれまで角田がそこまで英語を使いこなせることを知らなかったのだった。

 ああ、これならやっていけるなと力強く感じたけれど、まさかその1年後にF1のレギュラーシートを確保すると予想することまではできなかった。

 レースウィークの終わり、別れ際にこれからオーストラリアへ行く、と言うと角田は「シドニーには大陸からの観光客が大勢いますからコロナには気をつけてくださいよ」と心配してくれた。ぼくはもう、“同胞”というよりは“遠い日本から馴れない場所へわざわざやってきたヤツ”扱いだなと苦笑せざるをえなかった。

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