日本でも人気を集めたマイリー・サイラスの出世作『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』が米時間24日、2006年の初回放送から15周年を迎えた。マイリーはこの記念すべき日に自身のSNSを更新、“ハンナ・モンタナ”のロゴ入り便箋2枚にびっしりと長文ラブレターをしたためた。
昼間は“マイリー・スチュワート”を名乗る普通の女の子、しかしひとたびブロンドのウィッグをかぶれば人気アイドル“ハンナ・モンタナ”に。マイリー・サイラスは、そんな“二重生活”を送るティーンのドタバタぶりを描いた『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』で爆発的な人気を集め、ディズニーの秘蔵っ子として世界的ティーンアイドルの頂点に君臨した。
2006年3月24日の初回放送から2011年1月16日に最終話が放送されるまで、“ハンナ・モンタナ”を全身全霊で演じきったマイリー。ディズニーを卒業後はその反動か、エキセントリックな言動が目立った時期もあったが、現在もハリウッドの第一線で活躍し続けている。
そんなマイリーが同番組初回放送から丸15年が経過した今月24日にSNSを更新、自身の出世作となったアイコニックな役柄“ハンナ・モンタナ”宛に手紙をしたためた。“ハンナ・モンタナ”のロゴ入り便箋2枚にびっしりと綴られたラブレターは、
「ハーイ、ハンナ、久しぶり。正確に言うと15年ぶりだわ。私が自分のアイデンティティーを隠そうと、初めてあのブロンドの前髪を額につけて以来ね。」
という文章で始まる。13歳〜18歳という最も多感な年頃を『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』に捧げたマイリーは、ハンナに向けてまるで戦友に語りかけるような口調で次のように綴った。
「私達はたくさんの“初めて”を分かち合ったわね。たくさんの“最後”も。アップ&ダウン、それに涙+笑いも。シーズン1初期のエピソードの撮影中、私は父方の祖父(ロン・サイラス)を亡くしたわ。3月24日の初回放送を見届けたいって頑張っていたけど、2月28日に亡くなった。」
マイリーはさらに、
「初めて恋に堕ちたのもこの時だった。私が呆れるくらい恥ずかしい初潮を迎えたのは、白いカプリパンツをはいていた日、しかもイケメンキャストにランチに誘われた日だったわ。その日はランチに出かける代わりに、ママとバスルームにこもって泣きじゃくって、慌ててデニムを探したんだった。」
と青春の甘酸っぱい思い出を明かした。マイリーは他にも、当時の共演者と本物の家族のように親しくなったこと、15歳で仮免許を取得し、母方の祖母を助手席に乗せ「トヨタ プリウス」で撮影現場へと向かったことなどを振り返り、最後は“ハンナ・モンタナ”という役柄、そして現場関係者らに次のように感謝の意を綴っている。
「ありったけの愛と最大の謝意を込めて。あの6年間、あなたという役柄に命を吹き込むことができて光栄だった。私はあなたと、そして初めから私を信じてくれた皆に借りがあるわ。私はあなた達に最後まで忠誠を誓うし、心からの感謝の気持を抱き続けます。最大の誠意とともに、ありがとう!と言わせて。」
「私は今日まで、自分のルーツを忘れたことは一日だってないわ。私に運命を全うさせるパワーを持った人達が大勢集まる、カリフォルニア州バーバンクのビル。そして彼らは私に夢を叶えさせてくれた。彼らは私に“あなた”(という役)を与えてくれたの。一少女が望み得る最高のギフトをね。愛しているわ、ハンナ・モンタナ。フォーエバー、マイリーより。」
全米のティーンを中心に爆発的な人気を誇った『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』。当時リアルタイムで視聴していた人々は20代〜30代の大人へと成長したが、このたびのマイリーのセンチメンタルなラブレターには、
「涙が止まらない!」
「ハンナ・モンタナは私の青春そのもの」
「ハンナ・モンタナの魔法は永遠よ」
「マイリーを誇りに思う」
など同番組や若き日のマイリーを懐かしむファンからのコメントが殺到。マイリーのInstagramには270万件を超える「いいね!」と3万件超のコメントが集まる大反響となった。
昨年のあるインタビューでは、
「いつか絶対に、ハンナ・モンタナを復活させたいって思ってるわ。」
「願わくば、私の監督でね」
とリブートに乗り気だったマイリー・サイラス。“ハンナ・モンタナ世代”はおそらく、その時を心待ちにしていることだろう。
画像2枚目は『Miley Ray Cyrus 2021年3月24日付Twitter「Dear @HannahMontana, I still love you 15 years later.」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 c.emma)