伝説のドラマー死す 「無個性の対極。千手観音みたいな姿」とラジオマン評す

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2021年04月11日 16:00  AERA dot.

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写真延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー
 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんについて。

【写真】多くの後輩に慕われた村上“ポンタ”秀一さん

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「最近の若いミュージシャンって、テクニックは大したものなんだろうけど、どうも個性がね」

 熾烈な人生を送ったテナー・サックスの巨人、スタン・ゲッツの評伝(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』)を訳した村上春樹さんがそう呟いたのを思い出したのは、ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんの訃報に接したからだ。彼は無個性の対極だった。

 ラジオの収録で何度かお目にかかったことがある。もう何年も前、ライブ収録で局に来たポンタさんはクローズドの細身のジーンズを穿き、痩せていて、刃物みたいだった。休憩時間にスタジオ脇の公衆電話から誰かに連絡をしていた。スマホどころか携帯もない時代。挨拶しようにも、凄みがあり過ぎて近寄れなかった。

 二度目は都内のホールで阿川泰子さんのライブを録った時だ。本番前、フロアー・ディレクターだった僕はインカムでディレクターと連絡を取っていたら、いきなりポンタさんがドラムを叩き始めた。背後から観ると縦横無尽に手足が動き、複雑なリズムが次々に繰り出される。上体はぶれず、微動だにしない。千手観音みたいな姿だった。

 1951年、兵庫県西宮市に生まれたポンタさんはオーディションを経て赤い鳥に加入。脱退後は渡辺貞夫、山下洋輔、後藤次利とセッションをこなし、山下達郎、沢田研二、長渕剛、矢沢永吉など多くのミュージシャンのライブやレコーディングに参加、レコーディング楽曲は1万4千曲を超える。ニューヨークではマイルス・デイヴィスと交流、世界的ドラマー、スティーヴ・ガッドと親友にもなり、名前を隠しレコーディングの代役を務めた。

 音楽プロデューサーでギタリストの佐橋佳幸君とのF‌M番組(『さはしひろし』毎週土曜19:30、インターFM)で、ポンタさんを偲び渡辺香津美さんのライブアルバム『KYLYN LIVE』(六本木PIT INN、79年)を聴いた。

 坂本龍一、矢野顕子、小原礼、向井滋春、本多俊之、清水靖晃ら名うてのミュージシャンを支えながらのドラミングは、「うねり」「凄み」「厚さ」「軽み」の連続でさしずめリズムの万華鏡。「彼ほど僕ら若手に慕われた人はいなかった」と佐橋君。「とことん面倒見が良く、話も面白かった」

 元々フレンチホルンの奏者で、N響を受けるがあえなく不合格。落ち込みながら友人の家で初めてジャズを聴くと、シンバルや小太鼓をたった一人で叩いているじゃないか!と面白がってドラマーになった。育ての親は芸子。源氏名が「ポンタ」で、それがそのままニックネームになったという。

 そういえば、テレビの人気番組『いかすバンド天国』で沖縄・石垣島からやってきたBEGINがグランドイカ天キングになった際(89年)、「おめでとう。素晴らしかった。今度(ワイヤー)ブラシで参加させてくれ」と審査員席で優しくコメントした笑顔は忘れられない。

 村上龍さんとキューバに行き、招聘するバンドのドラマーの技に驚いたことがある。

「上手過ぎる。F1が公道を走っているようなものだ」と龍さんが漏らしていたが、ポンタさんも日本の音楽界という公道をF1並みの馬力で駆け抜け、この世を去った。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

※週刊朝日  2021年4月16日号

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