なぜNHK「青天を衝け」のナビゲーターに家康? 徳川家の末裔に聞いた!

115

2021年05月16日 17:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真渋沢栄一 (c)朝日新聞社
渋沢栄一 (c)朝日新聞社
 こんばんは、徳川家康です──。家康がナビゲーターとして登場するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。実業家・渋沢栄一の物語になぜ?という声もあるが、物語に深みを与えてくれている。徳川家はドラマをどう見ているのだろう。家康、慶喜の子孫に聞いた。

【写真】徳川家子孫はこの2人!

*  *  *
■「明治から今日につながる江戸の文化」(徳川宗家19代)/徳川宗家 徳川家広さん

 私は、家康公から数えて徳川宗家の19代目にあたります。「青天を衝け」は幕末から明治にかけてのお話ですが、そこに家康公が出てきて、物語の背景や状況を説明しています。身びいきということもありますが、とてもわかりやすいし、導入という点では物語に入りやすいですね。北大路欣也さんが演じる家康公は貫禄があって堂々としてハンサム。とても家康公っぽい、ぴったりだと思います。

 家康公は江戸時代のはじめにいた人なのになぜと思われたでしょう。私も見ていて一瞬戸惑いましたが、よく考えてみると「なるほど!」と合点がいきました。

 まず、渋沢栄一と徳川家は深いつながりを持っていたことがあります。渋沢栄一は一橋慶喜公に仕官し、後には『徳川慶喜公伝』を残すまでの関係になりました。

 そもそも、渋沢栄一が生まれ育った埼玉は、家康公が江戸に入って間もなく着手した利根川の付け替えという大事業で生まれ変わった地です。さらに、家康公は鷹狩りにしばしば埼玉方面を訪れていたこともあり、とてもなじみのある土地なのです。

 番組制作の方たちは、江戸時代の長い平和が育んだ文明の土台の上に明治日本があるという、連続性を強く感じているのでしょう。明治に一気に西洋文化を取り入れて「近代化」したのではなく、日本的な近代がまずあり、そこに西洋の良いところを取り入れ今日の日本になった。その日本的な近代は徳川の世にできたものなのです。

 家康公が入って江戸の人口は多く見積もって1万人に満たないところから、100年後には100万都市へと急成長しました。世界の中では治安はよく、清潔でもあった。それ以上に重要なのは、天皇がいる京都が政治と文化の中心で、豊臣秀吉が本拠地とした大坂が経済の中心だった日本の端っこの江戸を、断固として日本の中心につくり変えていこうという、家康公の強い決意です。明治維新で徳川の天下は終わりましたが、天皇が江戸に移り、家康公が育てた江戸が名実ともに日本の中心となったわけです。逆説的に、家康公のヴィジョンが完成したわけです。「青天を衝け」に家康公が毎回登場するのは、こうした歴史の底流を反映していると思えてなりません。

 最初に渋沢栄一が大河ドラマの主人公になると聞いたときには、明治の財界人を描いて面白いのか、受け入れられるのかと疑問に感じました。でも、家康公が出てくることで、長い歴史の中で明治維新、明治時代を捉えなおすという趣向なのだと合点がいきました。前作の「麒麟がくる」では織豊時代、そして「青天を衝け」では江戸から明治へ。2年という時間をかけて、私たちの見慣れた日本の歴史を鳥瞰している、そんな印象を受けます。その流れの中で見ますと、重苦しい侍ではなく、地に足のついた農家(富裕な上層農家ではありますが)出身の渋沢が主人公だというのは、日本史の流れ全体に希望を持たせてくれると感じています。

とくがわ・いえひろ 1965年生まれ。父・恒孝氏は徳川宗家18代当主。慶応大学卒業後、米ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得。著書に『マルクスを読みなおす』。


■「徳川慶喜公は誇り高き強い意志の人」(水戸徳川家15代当主)/水戸徳川家 徳川斉正さん

 私は慶喜公の11番目の娘の孫にあたります。親戚の人々から「曾祖父はこんな人だったよ」という話を聞く機会もありましたので、徳川慶喜という人は歴史上の人物というよりとても身近な存在なのです。徳川の家でも「よしのぶさん」とか、「けいきさん」とか呼んでいますので、いずれでも結構です。

 慶喜公は15代の将軍となりますが、大河ドラマの中でも、草なぎ剛さん演じる慶喜公が、当初は将軍になりたくないと言っています。父・斉昭公も慶喜公を将軍にしたいとは考えていなかったと思いますし、私もその通りだと思います。親は混乱する政治に自分の息子を巻き込みたくないと考えたと思います。

 ただ、慶喜公はとても立派な方だったと思います。それは父・斉昭公の教えがあったからです。

 斉昭公は慶喜公を自らがつくった藩校「弘道館」に入れます。そこでは、「わが君主は天子」と教えます。それは光圀公以来、受け継がれてきた尊王の教えです。日本は天皇をその中心にいただいた国であり、武家は朝廷から国を預かっているという考え方です。その教えが慶喜公にもしっかり受け継がれているのです。

 慶喜公にとってこの尊王の教えがその後、国を治める判断の基準になっていたのは間違いないでしょう。

 鳥羽・伏見の戦いで江戸に逃げ帰った腰抜けと評する方もおいでですが、突然将軍に祭り上げられ、国難に対処しなければならなかった慶喜公は腰抜けなどではないと、慶喜公の名誉のためにも強く言いたいですね。天皇に対して弓をひくことなど許されないことだと考えていたからだと思います。それこそ尊王の教えに逆らうわけですからね。生母の吉子様は皇族です。自分の母の親戚を敵にすることもしたくなかったと思います。

大政奉還、そして鳥羽・伏見の戦いでの撤退も国を守るための英断だったと思っています。

 今後、慶喜公はドラマでどう描かれるかわかりませんが、草なぎさん演じる慶喜公は強い意志を持った人だったということを知ってほしいですね。

 そういう慶喜公を祖先に持つことをとても誇りに思っています。

 私は現在、公益財団法人徳川ミュージアムの理事長をしています。水戸徳川家に伝わる宝物などを保存展示しています。そういえば、ドラマ内で竹中直人さんが力強く書いた「尊攘」の本物の掛け軸もありますよ。

 大政奉還の上表文で、「廣ク天下之公議ヲ盡シ……」(広く天下の議論を尽くし……)と記し、心を一つにして協力して日本の国を守っていったならば、必ず海外の諸国と肩を並べていくことができるでしょう、と記しています。

 これは慶喜公が未来へ託す願いであったと私は考えています。「青天を衝け」はその思いを今一度私たちの心に刻み込んでくれるはずです。

とくがわ・なりまさ 1958年生まれ。水戸徳川家15代当主。慶応大学卒業後、東京海上日動火災保険に入社。現在は同社の常勤顧問と徳川ミュージアム理事長など多くの役職を兼任している。

※週刊朝日  2021年5月21日号

このニュースに関するつぶやき

  • 戦略やろ?渋沢栄一の認知度低いからナビでキョーミ引こうというw
    • イイネ!0
    • コメント 0件
  • 家康は徳川幕府もいつかは滅びると分っていた。だから幕府は滅びても自分の子孫は絶えないよう水戸だけは敵(勤皇派)に味方するべく布石を打っておいた。つくづく先の見通せる人だと思うわ。
    • イイネ!30
    • コメント 4件

つぶやき一覧へ(53件)

ニュース設定