王道作戦との“4秒差”に敗北も『もてぎリベンジ』一部成功/労働時間“半減”への30年【トムス東條のB型マインド】

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2021年07月29日 17:01  AUTOSPORT web

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トムスでチーフエンジニアを務める東條力氏
スーパーGTのGT500クラスを始め、国内の各カテゴリーを最前線で戦うトムス。そのチーフエンジニアである東條力氏より、スーパーGTのレース後にコラムを寄稿いただいています。

 第4回となる今回はスーパーGT第4戦ツインリンクもてぎ戦の分析と、レースエンジニアの“働き方今昔”に関する洞察です。東條氏が業界入りしてから30年、技術の進歩によってエンジニアの労働環境はどう変わったのでしょうか。

 まずは灼熱のレースとなったもてぎ戦を受け、東條氏からの“多少の怒り”を伴った提案からお読みください。

 * * * * *

 オートスポーツweb読者みなさん、こんにちは。トムスレーシングのチーフエンジニア・東條です。

 灼熱のスーパーGTもてぎ戦が終わりました。どれくらいの灼熱度合だったのかと言うと、ストロベリー・フラ●チーノなら5秒で飲み干すくらいのLEVEL-5。気温34度/路温53度、真夏の鳥取砂丘と同程度の環境下で、レースが行われました。

 熱中症の注意喚起がある中でのレース開催は倫理的にどうなのだろうと、我らB型は多少の怒りを伴って考えるわけです。

 安直にレース時間を夕方にしたり朝にしたりすると、お客様のご都合が諸々悪くなります。中の人たちは、準備や片付けで前泊後泊が必要になり、反対意見がこぼれだすので、そこは先回りした結果、

『真夏はやらない』。

 冬は寒いからとか雪が降るからとか、そういう意味合いも込めてオフシーズンとしているのですから、『暑いからやらない』というのも悪くないと思うのです。

 真夏と真冬は付属イベント期間として、大いにファンサービスに努めましょう。

 たとえば、オンラインシリーズをかつてない異次元のレベルで行うとか、ファン参加型としては、レースクイーン+ドライバーのBE●MSコラボイベントとか、さまざまなイベントをたたみ掛けるように行い、全宇宙に向けたオンライン配信はプライスレス。

 そして、春秋には集中的に本戦を行うのです。4〜6月で4戦、9〜11月で4戦。昨シーズンの経験から、無理なく出来る範囲に収まりますよね。

 ……と、責任もなく思い付きで言ってみる(汗

 最近ではB型仲間の皆さんに同調を頂くことが増えてきまして、世間的には少数派でありながらもレース業界ではしっかり根を張っていることに感謝しています。

■ベースセットを底上げ。高温低μ路面への対応は奏功
 さて、もてぎのレースの振り返りから初めましょう。

 我がトムスでは、優勝必達で臨んだ36号車au TOM’S GR Supraは3位表彰台。表彰台を目標にしていた37号車KeePer TOM’S GR Supraが7位入賞と、サクセスウエイトを感じながらも概ね好成績ではあったものの、どちらも目標には及ばず。ピットは微妙な空気感に満たされておりました。

 しかし、シリーズ上位の14号車ENEOS X PRIME GR Supraと17号車Astemo NSX-GTが無得点でレースを終えたことで、得点差はグッと少なくなり、選手権は面白くなりました。

 優勝は1号車STANLEY NSX-GT(BS)で、ポール・トゥ・ウィン。2位は19号車WedsSport ADVAN GR Supra(YH)。19号車は序盤でトップを奪う好走を見せましたが、ピットで逆転されてしまいました。

 1号車と19/36号車で比べれば、その差は約4秒。各種ロスタイムや、燃費MAP等の影響が推測されますが、戦略的に見てもGRスープラより数周早くピットへ呼び込むことができているので、王道作戦を完遂されてしまいました。

 36号車は予選4番手。スタート直後にひとつ上がって、燃費をコントロールしながら序盤は追走。スティント中盤からのチャージでは、1号車の背後に迫るチャンスはあったもの、トラフィックに遮られてしまいました。

 第2スティントでも好走は続き、順調にギャップを詰めているところへ2度のFCY。1号車や19号車の方がグリップダウンが大きかった様子でしたので、36号車にとって2度のFCYが悪い方向へ働いてしまいました。

 37号車も予選は5番手の大金星。最初のトラフィックまでは36号車の背後へピタリとつけていたのですが、GT300のトラフィックが絡んできたころから、じりじりとポジションを落とします。

 ピットインを予定よりも1周早めたのですが、エンジン始動に5秒ほどロスがあり、ポジションを9番手まで落としました。ECUの始動ロジックに何らかの不具合が生じた可能性があり、調査対策を進めています。FCY後の再スタートでは、一気に2台を抜き去り7位まで順位を戻すことができました。

 もてぎの路面は、全般にスムースでグリップは低めです。タイヤ的にはいわゆるソフトコンパウンドが主力となるのですが、真夏ですから50度超えも想定しなければならず、ソフトな中にも耐熱性の高いコンパウンドが必要となるのです。YH勢は事前にタイヤテストを実施しており、その成果が表れました。

 昨年、GRスープラ勢はもてぎで大苦戦しました。もてぎはハイダウンフォースサーキットのくくりなのですが、コースレイアウト的にはブレーキイナーシャが大きく、やや特殊寄りのコースです。今季、TRDはベースセットアップの底上げを図りました。トムスは高温低μ路面への対応が奏功し、昨年よりも戦えたと実感しました。ただし次のもてぎ戦(11月)は低温になるので、違うアプローチが必要になります。

 2回目のFCY実践レースは、機能したように感じています。明らかな減速違反は少なくなり、複数台がペナルティ対象となりました。レースの連続性もありました。

  一方で、富士大会でのGT500、もてぎ大会でのGT300優勝車両は、共にFCYのタイミングでピットに居合わせていました。これもレースで、正解なのです。このようなケースは、これからも多くあると思われ、SCからFCYにしても変わりありません。

 運営側から見れば、SCよりも介入のハードルは低いはずです。刻々と変化するコース状況によって、FCY発動を予測したピット戦略はSCと変わりなく、岡山のようにSC(FCY)宣言までに時間がかかるケースでは、ピットへの大量流入はあり得ることになります。

 これを防止するには、アクシデント即FCYの判断が必要となりますが、乱発は避けたいはずですから、これをどう読むのかで“ギフト券”の行き先が変わることがあると思っています。

■亜久里さんのダイナブックと、中嶋さんのEPSONと。データ比較が“光学式”だったあの頃
 さて、もてぎの話はこれくらいにして、今回はエンジニアの仕事の『今昔』について、少し書きたいと思います。

 私がレースエンジニアとなったのは、バブル崩壊が人知れず進んでいた1992年ですから、30年程前になります。トムスではGr.C、F3、Gr.Aの3カテゴリーに参戦しており、私はGr.Aを担当することになりました。

 前職のトヨタディーラーでは、PCによる純正部品の発注や売り上げの管理システムがあり、PC操作には比較的慣れておりました。個人用としては、亜久里さんのダイナブックが目新しく、特に使用目的もなく手に入れています。

 フロッピーディスクを入れてMS-DOSを立ち上げ、一太郎やロータス1-2-3だったか、MS-WORKSだったのか、主にワープロとしての用途でしたが、技術レポートは手書きでした。インターネットの普及はなく、20MBのハードディスクに驚愕していた時代でしたから、MACやPC9801を持っている事で満足しているような、そんな時代でした。

 エンジニアにとっての三種の神器とも言えるデータロガーは、Gr.CやF3000等トップカテゴリで、ようやく使い始められてきた頃だと思われます。日本ではエンジン部門の方が、この分野では先輩でした。トムスのGr.Aでも、例外なくエンジンの燃調マッピング専用でした。

 シャーシ用としては数チャンネルを間借りしている程度。データ比較に便利な距離軸での表示機能はありません。1データ毎にプリントアウトし、それを2枚重ねて天井の蛍光灯にかざす、“光学式”を用いてデータ比較をしていました。3枚では透過に無理があり、感熱紙では光学式が使えず、リボン印字のプリンターが必需品でした。モチロン中嶋さんのEPSONです。

 数年後、ニューツーリングカーへ移行します。トムスではそのタイミングでPiデータロガーを導入することになりました。輸入代理店の方に教えをいただきながら、毎晩遅くまでいじくり倒していた記憶があります。

 時を同じくして、私はレーシングカーエンジニアリングにのめり込んでゆくのですが、ロールセンターとかロール剛性とかブローオフなんていうキーワードを耳にすると、B型はすぐに興味を持ち始めます。

 レーシングオンやオートスポーツ、会社にある本で調べ始めるのですが、それらでは物足りないものでしたので、度々東京の大型書店へ出向いていました。スマホでググってわずか数秒後に知識が手に入る現代とは、その量も質もスピードも比べ物になりませんでした。

 部品の製作スピードは、大幅に向上したもののひとつです。私は始めにドラフターでの手書き製図を覚え、その後急速にPCが普及し、2DのCAD〜3Dへと進化しました。並行して、各種シミュレーション技術においても、最近では大変身近なものとなっています。

 この30年で、僅か1MBのFDが、数TBのSSDに変わりました。誰もがスマホを手にする時代です。あらゆる技術の発展は、社会様式のみならず、レースにも大きな変化を与え続けています。

 トムスでは働く時間が実質1/2程度となり、とても健全になりました。簡単に知識や技術が手に入る一方で、エンジニアやメカニックとして、独り立ちするまでには時間がかかるのかなと思っています。いまの方が圧倒的に良い環境でありますし、これから10年また10年と、必ず変化を感じてゆくことでしょう。

 * * * * *
 さて、スーパーGTは延期されていた鈴鹿戦を迎えます。4月のテスト結果は6割無駄になってしまいましたが、レイアウトや路面に対するアプローチに変わりはありません。+10度とウエイト増量への対応、外乱要素の夕立とFCY。そして、GT-Rのポジションが気になるところです。

 8月21日予選、8月22日決勝。熱いレースを観に来てくださいね!

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