瀬戸内寂聴の病状を秘書が明かす「咳がひどく、とてもしんどそう」

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2021年10月16日 16:00  AERA dot.

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写真瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。単行本「往復書簡 老親友のナイショ文」(朝日新聞出版、税込み1760円)が発売中。
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。単行本「往復書簡 老親友のナイショ文」(朝日新聞出版、税込み1760円)が発売中。
 半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。


【横尾忠則さんの写真はこちら】
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◆横尾忠則「創造するということは透明人間になること」



 セトウチさんのピンチヒッター、まなほ君へ。


 先週に続いて今週もよろしくお願いしますよ。センセはこの際、ゆっくり身体も頭も休めていただくとして、さて、どうしましょう。あなたの疑問のセンセがおっしゃる「嘘を書くのが小説家」と言って、作家の身辺の事実を面白おかしく「創作」してしまって、あなたが「違いますよ!」と反論したくなる、さあ困りましたね。


 僕も絵を描く合間にエッセイを書くことがありますが、それを職業にしているわけではないので、気分転換と健康のための趣味と考えています。絵は本性がそのまま表れてしまうので嘘のつきようがありません。正直になろうと思わなくても、絵そのものが正直なのです。絵は自己の思いに忠実です。


 じゃ、それに対して、エッセイで嘘でも書くか、ということになりますが、このエッセイというのも絵に似ていて嘘がつけません。その点、「嘘を書くのが小説家」という小説家はいいですね。絵は嘘の思いや考えを持っているとそのまま絵に反映してしまうので、心の中身をそのまま露出しているようなものです。絵は常にバレバレです。


 小説家の中でも小説と混同してしまっているのか、エッセイでも嘘を書く人もいるようです。小説で嘘をつかれても、それが創造された表現であればあるほど、その嘘が光り輝いて芸術になることがありますが、小説家は頭のいい人が多いので、日常生活そのものも創造領域に組み込んで、そこでも嘘をつく。この嘘は人を騙(だま)す目的も多少あるとしても、どこかで受け線を狙った妙な大衆意識がそうさせるようです。


 中でも売れっ子作家になると常にスポットが当たっていないと自己の存在意識が危ぶまれるようです。だから、ついあることないことをしゃべって注目を求めるのです。僕の知っているある有名な小説家は毎日、新聞に、テレビ欄でも広告でもいい、自分の名前が出ていると、その一日は安泰なのです。業の深い職業ですよね。



 だからスポットに当たるためにはエッセイでも嘘をついてしまうのです。でもエッセイは特別面白おかしく書く必要などなく、ありのままの心情を正直に自然体で書くのが一番好感が持たれます。エッセイで嘘を書くと途端に文章が曇ります。ですからエッセイで嘘を書いていると、その人が次第に曇って行きます。芸術は透明であるべきです。エッセイはその透明を計る測定器みたいなものだと思います。


 まなほ君のエッセイが面白く評判がいいのは、あるがままの自分を晒け出して自己の想いに忠実に書いているので評価されているのです。面白く書こうという気持ちがないので面白いのです。


 最後に僕の好みを書いておきますが、僕は日本特有の私小説というジャンルの小説がどうも好きになれないのです。それはその吐き出し方が違うんじゃないかな、ということです。生活をバラすことで週刊誌的興味はありますが、本当に自己の不透明性を吐き出すのは、自我滅却性を目的にしないと、逆に不透明なものになりかねません。ものを創造するということは結局透明人間になることではないでしょうか。


◆瀬戸内寂聴「少しの間でしたが、ゆっくり休めたと思います」


 横尾先生へ。


 瀬戸内の様子はおかげさまでだいぶ良くなりました。


 小説家として20代から書き続けてきた瀬戸内は、もう全身が作家になっているのでしょうから、ペンをおくということは、私で言うと歯磨きをしないくらい違和感のあることのような気がします。書くことは仕事でもあり、日々の習慣です。


 来客もなく、対面取材やテレビ取材も受けておらず、執筆の仕事と時々電話取材を受けるという一見、ゆったりと過ごしているようですが、原稿の締め切りをすべて放り投げて、本当の意味で「何もしない」ということが、病気にもならない限りないのだとわかりました。少しの間でしたが、ゆっくり休めたのかと思います。


 私が朝、瀬戸内に会っても、体がしんどいのか目をつぶり、横になったままぽつりぽつりと私が話しかけることに応えます。私に背を向けたままなので、私もだんだん面白くなくなって、「先生、目を開けて私の顔を見て下さい」と言うと、「まなほの顔見たって仕方がない。何かいいことでもあるの?」ですって。確かに、いいことなんてありませんけど。



 今回は痰も絡むような咳がひどく、咳き込むととてもしんどそうでした。背中を叩いてと言われ、叩くと「痛いよ!」と怒られ、思わず笑ってしまいました。今は何しても役に立ちそうにありません。


 横尾先生の絵とエッセイは嘘がつけないというお話、とても興味深いものでした。絵も心の中身をそのまま露出しているようなもの、そう思うと横尾先生の作品を見る目がまた変わります。いつも横尾先生の絵を拝見しますと、私には思いもつかない世界が広がり、圧倒されます。「ここに骸骨!?」「こんなところに男の子がいる!」など穴が開くほど見てしまいます。


 私のエッセイへのお褒めの言葉を聞き、とても嬉しかったです。ありがとうございます!


 私自身、嘘をつけない人間で、例えば自分の身長が「165cm」となっていると、「いいえ、違います! 『163cm』です!」と訂正したり、三人姉妹なのですが、瀬戸内が「お姉さんが一番綺麗だと思う」と言うと、「違います、これは正真正銘、三人の中では私がダントツです! これはきっと誰もがそう思うでしょう」などと、本気で言います。(これは嘘とは言わず、ただの思い込みなのでしょうか)


 なんとなく、そういうことにしておこう、という緩やかな気持ちが持てず、「違う!」と反論や訂正をしたくなるのです。話を盛ったり、面白おかしく事実と違うことがどうしても書けず、そのままのことしか書けません。


 実生活では口が悪く、素直になれないので、書く時ぐらいは素直でありのままでいたいと思っているからです。


 横尾先生は絵もお描きになりますし、書くこともされる。反対に苦手なことはありますか? 例えば、料理だったり、運動だったり。特にお料理をされるのか、とても興味深いです。瀬戸内が昔、北京で生活し、主婦だった時は毎日食事を作っていたと言います。餃子やタンメンが上手だそうです。


 長い付き合いのある横尾先生は瀬戸内の手料理を召し上がったことはありますか? まなほ

※週刊朝日  2021年10月22日号


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