侍ジャパンを率いた稲葉篤紀さん明かした金メダル獲得に役立った“ノムさんの教え”とは?

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2021年10月22日 17:13  ベースボールキング

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◆ノムさんの教え

 現役生活32年、50歳までプロ野球選手として活躍を続けた日本球界のレジェンド・山本昌氏がMCを務めるトーク番組「マサNOTE 〜山本昌が記す球人の軌跡〜」(スポーツライブ+)。

 10月16日に初回放送された第19回のゲストは東京五輪野球日本代表の指揮を執り、金メダルに導いた稲葉篤紀さんが出演。

「私は北京に出させていただいたんですけど、北京ではメダルを獲れず非常に悔しい思いをしたので、北京の借りは東京五輪で返すという強い気持ちで臨みました」

「日本代表は結果が全て。結果が悪ければ周りからいろんな事を言われるというのを覚悟していました。たぶん采配で間違えれば、今後の野球人生に響いてくる。印象に残るという意味では、いろんな覚悟を持って臨まなければいけないと思っていました」

 “金メダル”獲得という大きな目標に“強い覚悟”を持って挑んだ稲葉さん。金メダル獲得の裏には、稲葉さんが現役時代に所属していたヤクルトで当時監督を務めていた野村克也さんの教えが多いに役立ったという。

 「“備えあれば憂いなし”。備え、準備というのはすごく勉強になりましたね。今でもやっています」

 「開き直りという言葉があると思うんですけど、開き直りってどれだけ準備したかで開き直れる権利が発生すると思うんですよね。(東京五輪に向けて)視察もたくさん行きましたし、監督、コーチ陣といろんな話をさせていただきました。選手の情報を含めて、吸収できるものはとにかく吸収しようと。事前の準備というのはそういうところでもやっていましたね」

◆決勝戦の舞台裏

 アメリカとの決勝戦では、先発の森下暢仁投手(広島)がアメリカ打線を5回まで無失点に抑える好投。稲葉さんは「しびれるなかでよく5回を投げ切ってくれたなと思います。5回を終わった時点で、無失点だったんですけど(森下を)代えるかどうか迷っていました」と明かした。

 交代か、続投かーー。迷ったときに相談したのが、東京五輪では背番号『10』もソフトバンクでは野村克也さんが現役時代に背負っていた背番号“19”を着ける甲斐拓也捕手。

 稲葉さんは「ちょっと球もすこしずつどうなのかなというなかで0点だったので、どうしようかというときに甲斐選手に『森下投手のボールはどう?』と聞いたら、『まあ良いんですけども』という反応をしたので、代えようということで。受けているキャッチャーが(投手の球の)勢いとかをわかっていると思うので」と甲斐捕手の言葉を受け、森下投手の降板を決断。6回以降は千賀滉大投手(ソフトバンク)、伊藤大海投手(日本ハム)、岩崎優投手(阪神)、栗林良吏投手(広島)のリレーで2−0で勝利し、悲願の金メダルを獲得した。

☆協力:スポーツライブ+『マサNOTE 〜山本昌が記す球人の軌跡〜 #19 稲葉篤紀編』

このニュースに関するつぶやき

  • ノムさんは山ほど書籍を遺したが、内容はどれもさほど変わらない。その分、主義も主張も最後まで一貫していたんだと思う。
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