過去のインディカー移籍で考える佐藤琢磨のRLL離脱。2022年のシートの行方は?

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2021年10月25日 12:11  AUTOSPORT web

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2個目のミニ・ボルグワーナートロフィーをボビー・レイホールと喜ぶ佐藤琢磨
2021年のNTTインディカー・シリーズが終了し1カ月が過ぎようとしている。チップ・ガナッシから参戦2年目のアレックス・パロウが最終戦ロングビーチでタイトルを決めた後、もう来シーズンに向けて各チームは動き始めている。

 今年ルーキーイヤーで活躍したロマン・グロージャンはデイル・コイン・レーシングからアンドレッティ・オートスポートへの移籍を発表し、メイヤー・シャンク・レーシングにはペンスキーからシモン・パジェノーも移籍する。

 また元F1ドライバーのニコ・ヒューケンベルグもアロウ・マクラーレンSPのテストに参加することを発表。ここ数年若手ドライバーが台頭し、ヨーロッパから参戦も増え、インディカー・シリーズは新陳代謝も顕著になった。

 その中でレイホール・レターマン・ラニガン(RLL)は、10月6日に佐藤琢磨の離脱を発表し、その後ジャック・ハーベイが45号車に、F2からスポット参戦してきたクリスチャン・ルンガーを30号車に起用する事を明らかにした。

 日本のモータースポーツファンとしては、RLLから離れる佐藤琢磨の行先がどうなるか気になるところだが、現時点でまだ発表はない。

 2012年、そして2018年から21年と計5年間在籍したRLL。インディカーに来てから最も長い時間を過ごしたチームとの離別には、それなりの判断と葛藤があったのだろうが、琢磨はSNS上でチームに最大級の感謝を述べた。またチームもこれに応えるように、思い出のシーンの写真を並べて5年間を振り返った。

 しかし2022年を考えるにあたって、次のチームの契約が発表されないのはファンをヤキモキさせる。すでに離脱発表から1カ月の時間が経とうとしているし、かつてニュースで流れたチームとの契約が本当ならば、そろそろ発表になっても良い頃だろう。他チームは、来季の体制を固めて年内にもテストに入ろうとしているのだ。

 発表をただ待つしかないのだが、それはいかんともし難い時間ではある。その待っている間に琢磨がインディカーで過ごした12年間で行った4度の移籍を思い起こしてみれば、今回の移籍の要因を見えてくるのではないだろうか。

 ドライバーがチームを移籍するには理由がある。それは公になるものもならないものもあるが、チームが出すリリースの中にすべてが書かれていると思う人間は少ないはずだ。

 佐藤琢磨は2010年にKVレーシングからインディカー・デビューする。2009年のシーズン終わりから、2010年の初頭までF1チームとの交渉を続けていたが、それが実らず水面下で進めていたインディカー行きを決める。


 一年半のF1浪人の末、「もう僕には待っている時間がない」と言った琢磨。

 F1チームの決断を待ったが故に、インディカーチームの選択肢は少なくなるというジレンマはあったが、ジミー・バッサーとケビン・カルコーベン率いるKVレーシングでインディカーデビューを果たす。

 このKVレーシングとの2年間で琢磨は日本人初のポールポジション獲得や、リードラップも記録するが最後まで表彰台に届かず、2012年にRLLへの移籍を決断した。

 RLLはインディカーへの参戦を休止していたが、この年から再開し琢磨の1台体制で臨むことになった。SAF1時代のエンジニア、ジェリー・ヒューズを招聘するなど、ある意味自由にやれた琢磨は、成績を出し始めた。

 サンパウロの市街地レースで3位初表彰台を獲得。エドモントンでも2位となり、そしてインディ500では、2番手を走行しながらファイナルラップでトップのダリオ・フランキッティのインに飛び込んでスピンを喫したのだが、このシーンはアメリカのファンには猛烈にアピールした。


 結果的にはオーバーテイクは失敗だったものの、反対により多くのファンを生むという結果には琢磨自身も驚いたが、それ以上にこのシーンに目を奪われたのがAJ.フォイトだった。

 AJ.フォイトは言わずと知れたインディ500を4回制覇したアメリカンモータースポーツのレジェンドだったが、ファイターの琢磨に陶酔し、翌年に自チームに招く事になる。

 実際にはAJの息子であるラリー・フォイトがチーム代表であり、ラリーは琢磨に猛烈なラブコールを送った。

 RLLには御曹司グラハム・レイホールが来ることもわかっていたし、高待遇でエース扱いとなるAJフォイト・レーシングは琢磨にとっても好条件だった。


 チームの期待に応えるように2013年の琢磨は序盤から好調だった。ロングビーチでインディカー初優勝を飾り、またもやサンパウロで2位獲得と2戦連続で表彰台を獲得。ポイントリーダーでインディ500に臨むという好成績だった。

 琢磨は以後も表彰台に上がりポールも取るなど活躍したが、2016年の暮れにチームとの訣別を迫られた。

 AJフォイトのチームがシボレーエンジンで17年から戦うことになり、琢磨としてはチームに残留する選択は出来なかった。チームから唐突に切り出された形で琢磨は次のチームを探すことになったが、幸いにもカルロス・ムニョスの離脱でシートが空いたアンドレッティ・オートスポートに収まることができたのだった。

 このタイミングはまさに渡りに舟といった感じだったが「アンドレッティ・スポートに決めたのはインディ500で勝てるチームだから」と本心を隠さなかった。アレクサンダー・ロッシ、ライアン・ハンター-レイ、マルコ・アンドレッティと不動のドライバーがいる中で4台目としてチームに入る琢磨の心中は穏やかでなかったろうが、行く以上インディ500を狙うと腹を据えた覚悟だった。

 そして、その通りに琢磨は2017年のインディ500を制すのである。


 ならば、そのアンドレッティ・オートスポートに別れを告げて、なぜ再びRLLに復帰することになったのか。アンドレッティにいれば、2年連続でインディ500を狙うこともできたであろうし、RLLにはグラハムというエースがいるのに……。

 2017年シーズン後、マイケル・アンドレッティは翌年のエンジンをホンダにするかシボレーにするか決めかねていた。これにはいろいろな思惑が絡まっていたが、もしシボレーを選択されれば、琢磨はまたもやエンジンを理由にチームを去らねばならない。

 だから琢磨はあえて先手を打ってRLLへの移籍を決めたのだった。ボビ−・レイホールもマイク・ラニガンも、2012年以降いつでも戻って来いと琢磨に声をかけていたという。
 移籍した2018年から毎年のように勝利を挙げて、2020年にはインディ500二度目の制覇をRLLとともに成し遂げた。「RLLとインディ500を勝って恩返しがしたかった」という琢磨の思いは果たされた。

 RLLの在籍の間4勝も挙げ、蜜月時代が続いていたチームと袂を分かつことになった琢磨。過去4度のチーム移籍で、これだけドラマがあったように、今回の移籍にもきっとそれなりの理由があるのだろう。

 それが明かされるのはもう少し先になりそうだが、過去のチーム移籍をことごとく成功させていることを思えば、果報を寝て待つ時間も、さほど悪い時間ではないと思う。

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