星稜・奥川投手のお母さんに聞いた、子育て、教育方針(前編)

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2021年11月10日 22:40  ベースボールキング

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今夏の甲子園で大会ナンバーワン投手の称号にふさわしい活躍を見せた奥川恭伸投手(星稜)。投手としての凄さはあらゆる数字で証明されていますが、マウンドでの立ち振る舞い、周囲への謙虚な姿勢など、能力以外でも“ナンバーワン投手”である姿も目立ちました。その根底にあるものを探るべく、お母さんの真由美さんに、奥川投手の幼少期のことや教育方針などについてお話を聞かせていただきました。(2019年11月10日掲載記事の再掲です)



■謙虚で控えめな立ち振る舞いはどうやって身についた?
約3週間に及ぶ甲子園大会での大阪遠征、帰郷後まもなく始まったU18ワールドカップ大会の東京合宿、そして韓国遠征。約40日ぶりにゆっくりと自宅でくつろぐ息子の姿を母・真由美さんは安堵の表情で見つめていた。
「(台風の影響で)帰国が遅れてようやく帰ってきて、やすは“やっぱり家が一番いい”って言っていました。いつもなら帰ったらすぐ自分の部屋で寝てしまうんですけど(笑)。帰ってきた日は長男(兄・圭崇さん)と話して、のんびりしていました」

昨年も春夏の甲子園に出場し、最上級生になった昨秋からは、明治神宮大会、センバツ、そして準優勝した夏の甲子園とあらゆる全国大会を駆け抜けた。2度目の国際大会だったU18大会は5位に終わったが、スーパーラウンドのカナダ戦で見せた7回18奪三振の快投もあり、ベストナインを獲得。
甲子園や国際大会の舞台で見せたピッチングもさることながら、最も印象に残るのが試合後の奥川投手の立ち振る舞いだ。試合後に審判団や相手ベンチに一礼し、相手に敬意を表するコメントを口にする。常に控えめで周囲への配慮を忘れない。
「よく“どうやったらあんな子に育つのですか?”と聞かれるのですが…本当に特別なことはやっていないんです。どちらかというと、放っていた方ですよ」と真由美さんは笑う。

■遊びでやらせたバドミントン
父・隆さんは地元・石川の高校で野球部に在籍。真由美さんは小学校4年からバドミントンを始め、中学、高校、そして地元の実業団チームで約12年間プレーした。7歳上の兄も野球経験者というスポーツ一家で、幼いころから兄の背中を見て自然とボールに触れるようになった恭伸君。
外で遊ぶのが大好きで、3歳になる前にグローブが欲しいとおねだりし、一番小さいグローブを買ってあげたという。そんな中、真由美さんはバドミントンのとある“動き”に着目した。
「バドミントンのラケットの使い方は、ピッチャーのヒジの使い方ととても似ているんです。ラケットは構え方が横ですが、ヒジを前に振り下ろす動きがピッチャー同じ。(右投手の場合は)ラケットを振った時の足の使い方は逆になるのですが、投げるポイントは一緒なのかなと思っていました」。

真由美さんが競技生活の一戦を退いてから、週に1度、バドミントンに興じる機会があり、当時小学校1年だった恭伸君を連れて行ったことが始まりだ。遊び感覚でラケットを振るうちに、その振り下ろす動作が自然に自らの右ヒジに染み込んでいったのだ。自宅では部屋の中でバドミントンの羽打ちをすることも多かった。部屋の障子が破れることはしょっちゅうで、畳の下にじゅうたんを敷いて、その上でラケットを振り続けていた。



■2年生の冬から野球をやらせた理由
その後、2年生の12月から本格的に野球を始めることになるのだが、敢えてこの時期にしたのは理由があった。
「本当は1年生の時からチームに入りたいと本人は言っていましたが、1年生だと(指導者から)言われていることをちゃんと理解できるのか不安だったし、注意力も乏しくてケガをしかねないので、“2年生になってからね”と言っていました。12月はちょうど冬の練習で体作りをやっている時期で、野球は打って投げるだけではないことをまず教えないと、という主人の言葉もあって、12月からチームに入れました」

*後編に続きます

(沢井史/写真:ご家族提供)

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