【洋楽を抱きしめて】リンゴ・スターが歌っていたかもしれない「幸せの黄色いリボン」

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2021年11月27日 09:10  OVO [オーヴォ]

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写真『The Definitive Collection/Tony Orland&Dawn』(輸入盤)
『The Definitive Collection/Tony Orland&Dawn』(輸入盤)

 1973年のトニー・オーランドとドーンによる大ヒット「幸せの黄色いリボン」(Tie a yellow ribbon round the old oak tree)をもしかしたらリンゴ・スターが歌っていたかもしれないという。曲を作った一人であるラッセル・ブラウンが明らかにした。

 ラッセルがウェブサイト「クラッシックバンズ」の2009年のインタビューに答えて言った「曲が出来ると私たち(ラッセルとアーウィン・レヴィン)は最初にリンゴ・スター(が採用するようにと彼の関係者)に演奏してみせたのです」。

 だが、聞いていた人々の反応は冷たかった。ニューヨークのアップル・レコーズのA&R部門の責任者だったアル・ステッカーが「こんな歌を人に紹介するなんて君は恥じるべきだ。木にリボンだって? バカげている。君たちは恥じるべきだ」と断じたのだ。

 ラッセルらは打ちのめされてしまった。だが紆余(うよ)曲折を経て、'72年の終わりにトニー・オーランドとドーンのプロデューサー、ハンク・メドレスとデイヴ・アペルのもとに曲が預けられた。ハンクとデイヴは、メンバーのテルマ・ホプキンスに電話を入れ、ニューヨークで歌を吹き込まないかと言った。「幸せの黄色いリボン」である。

 オーランドの最初の反応は「古臭い」というものだった。だが、ハッピーエンドの人情味あふれる歌が受けたのだ。'73年4月から5月にかけて4週間、米ビルボード誌のチャート首位を獲得する大ヒットを記録した。’73年の年間チャートでも堂々の1位となった。

 この歌は実話をもとに書かれた。もともとは「ニューヨーク・ポスト」に載ったピート・ハミルによる半ページにも及ぶコラムだったが、ラッセルが読んだのは、それが転載された「リーダーズ・ダイジェスト」だった。そのコラムは次のように始まっていた――「これは私がグリニッジ・ヴィレッジのパブで聞いた、南北戦争中にアンダーソンビル牢獄から出所してきた兵士について何世代にもわたって語り継がれてきた話です」。

 南部連合国の監獄に3年間入れられていた兵士は出所が決まり、妻に手紙を出していた――もし自分のことをまだ愛しているのならば、町の外にある大きなオークの木にハンカチを結んで自分に知らせてほしい、と。乗合馬車がそこに差し掛かると、男にはとてもオークの木を見ることが出来なかったが、他の乗客から歓声があがった。見るとオークの木がハンカチで覆われていたのだ。そして男はみんなから祝福された。

 このコラムを読んだ翌日、ラッセルはソングライティング・パートナーであるアーウィンの家に車を走らせ、その話を伝えた。ラッセルは「いい話だ」としたが、「ハンカチじゃ、鼻水がついているようだ。ハンカチをリボンに変えよう。そのほうがかわいいじゃないか」と言った。あと「乗合馬車」も古いので「バス」に変えることになった。

 そうして誕生した「幸せの黄色いリボン」。'77年の山田洋次監督、高倉健、倍賞千恵子主演の「幸せの黄色いハンカチ」は、そのコラムと歌に基づいて作られた日本映画である。

文・桑原亘之介

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