村治佳織 大病を患い、演奏スキルが身につく…その技術とは

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2021年11月27日 11:30  AERA dot.

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写真村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)
村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)
 ずっと旅をしていた村治さんが、コロナ禍で、演奏旅行ができなくなった。「今できることを」と熟考して生まれたのは、時間と空間を旅することができるベストアルバムだった。


【前編/村治佳織 “女子高生ギタリスト”の肩書に違和感があったころ】より続く


【村治佳織さんの写真をもっと見る】
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 12月1日に、7年ぶりのベストアルバム「ミュージック・ギフト・トゥ」が発売される。コロナ禍でなければ、オリジナルアルバムを出す予定だった時期。イギリスのチームともやりとりしながら、今できることを模索し、「コロナ禍だからこそ『村治佳織ならこの一枚!』と自信を持ってお薦めできるベスト盤をリリースしよう」という結論に辿り着いた。


「演奏会で取り上げた曲の中から、自分も好きで、お客様の顔がほころんだ実感のある曲を中心に選びました。1曲目の『愛はきらめきの中に』は、かなり前にレコーディングしたものですが、最近はあまり弾いていなかった。友人知人が、YouTubeで私の以前の番組を観て、『これがいい』とリクエストしてくれて。今年に入ってから、コンサートの1曲目で取り上げるようになった曲です」


 世界中が閉塞感を感じている時期だからこそ、いい気持ちになる曲を選びたい。大事な人にプレゼントしてもらえるようなアルバムになったらいい。そんな思いで、曲を選ぶ楽しさに熱中しながら作っていったという。村治さんのホームページには、「旅するギタリスト」とあるが、まさに旅をしている気分になれる。


 2019年に上梓したエッセー本『いつのまにか、ギターと』には、村治さんの半生が、音楽家らしく、軽快なテンポで綴られている。病気になったときの葛藤も、すべてをポジティブに転換し、離婚の経験についても、「バツイチではなくマルイチ」と表現している。「若い頃よりも表現の幅は広がったと思いますか?」と質問すると、「大病を経験して、自然と若い頃はできなかったスキルが身につきました」と茶目っ気たっぷりに答えた。




「音に揺らぎを加えるビブラートという手法があるんですが、子供の頃は、どうしても肩に力が入って頑張っちゃう。つい緊張してうまくできなかったんですが、数年間お休みしたことで、肩の力、手首の力、指の力が抜けて、自然にできるようになった。これは意外な発見でした」


 ビブラートがラクにできるようになった後の曲、できる前の曲の両方が、ベストアルバムには収録されている。「そのときしか弾けない音があるので、その辺も楽しんでいただけたら」と微笑んだ。


「デビューするまで海外に行ったことがなかった私は、デビューアルバムでヨーロッパの曲を弾くとき、その街のことを想像することしかできませんでした。でも、当時の自分の演奏を聴くと、人間の想像力ってすごいなぁ、なんて思うんです。今回のアルバムにも、04年頃の演奏が入っていて、今弾いている感じとは違うけれど、ちゃんと過去と未来をつなぐものになっていると思います」


 村治さん自身、音楽で旅をしているのは、場所以上に時間なのだという。言葉がない器楽曲というのは、言葉がないからこそ、容易に、違う世界へと旅することができる。


「クラシックって分業制ではないので、一人の作曲家が、心を込めて紡いだものを、一人の演奏家が聴衆に届ける。精神と音楽の関係性が濃いんです。人に受け入れられようとして書かれたものではなく、作曲家の宗教心からだったり、誰かのために書かずにいられなかったり。その背景にたくさんのストーリーがあって、そこに思いを馳せることで、心が清められる。エンターテインメントは人を元気にするものですが、クラシックは、普遍的な何かに触れられる瞬間があります。この間、IT関係の人と話していたら、『100年先の未来のことも、100年前の芸術のことも考えたことがない』とおっしゃって、芸術の時間の捉え方に驚かれましたけど(笑)」


(菊地陽子 構成/長沢明)


村治佳織(むらじ・かおり)/東京都出身。1993年、デビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。翌年、日本フィルハーモニー交響楽団と共演し、協奏曲デビュー。97年、パリのエコール・ノルマルに留学。2003年、英国の名門クラシックレーベル、デッカ・レコードと日本人として初の長期専属契約を結ぶ。これまでに出光音楽賞、村松賞、ホテルオークラ音楽賞、2度の日本ゴールドディスク大賞など、受賞歴多数。

※週刊朝日  2021年12月3日号より抜粋


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