『鬼滅の刃』遊郭編の最大の見どころは? 根底に流れる主題から考察

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2021年12月04日 12:01  リアルサウンド

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『鬼滅の刃(9)』

※本稿には『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)


 2021年12月5日から、フジテレビ系列にて、テレビアニメ『鬼滅の刃』「遊郭編」の放送が始まる。


 今回の舞台は、男と女の欲望うずまく夜の遊郭。炭治郎、襧豆子、善逸、伊之助の主要キャラ4人と、“音柱”の宇髄天元が、“上弦の陸”と呼ばれる凶悪な鬼と妖しき色里で死闘を繰り広げる。


 そこで本稿では、私が常々考えているこの「遊郭編」のテーマについて書いてみたいと思う。いや、それはもしかしたら「遊郭編」に限らず、吾峠呼世晴の作品すべてに通底するテーマだと言っていいかもしれない。


 ではその吾峠呼世晴の作品に通底するテーマとはいったい何か。それは、ひと言で言えば、「人間と怪物の境界線を超えた者と、超えなかった者との戦い」である。


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■吾峠呼世晴の初期作品に共通するヒーロー像とは?


 「処女作にはその作家のすべてがある」とはよく言われることだが、たしかに『吾峠呼世晴作品集』に収録されている初期短編4作を見てみると、おのずとこの漫画家が描きたいテーマというものがぼんやりと浮かび上がってくるだろう。


 収録されているのは、「過狩り狩り」(『鬼滅の刃』の原型的作品)、「文殊史郎兄弟」、「肋骨さん」、「蠅庭のジグザグ」の4作だが、いずれも、先に述べたような「人間と怪物の境界線を超えた者と、超えなかった者との戦い」が描かれている。


 興味深いのは後者の存在であり、怪物を退治する正義のヒーローである彼らもまた、いつ“向こう側”に行ってもおかしくないような、“悪”の要素を身の内に隠し持っているのだ。むろん、毒をもって毒を制すというか、そうしたダークヒーローだからこそ、魔性のものを“狩る”ことができるのだという考え方もあるだろうが、だからと言って、彼らがその“一線”を超えることはない。


 それはなぜか。それは、彼らが、人知を超えた魔性の力を手に入れてもなお、“人の心”を失ってはいないからである。そしてこの考え方は、そのまま吾峠呼世晴の初の長編作である『鬼滅の刃』にも受け継がれていく。


■『鬼滅の刃』とは鬼と鬼が戦う物語


 『鬼滅の刃』における「敵と味方の構図」をひと言で説明すれば、それは、「血鬼術を使える鬼」と「呼吸法を使える鬼」との戦い、ということになるだろう。後者を「鬼」扱いすることに抵抗をおぼえる向きもおられるかもしれないが、広義の「オニ」とは、「特殊な力を持った者(異能者)」のことであり、ならば、「呼吸法」と「日輪刀」(という魔性の剣)を操ることができる鬼殺隊の剣士たちもまた、ある種の鬼だと言えなくはないのである。


 さらに言えば、彼らの多くは、かつて鬼に家族を殺された辛い経験から、いつ闇の世界に堕ちてもおかしくはない“負の感情”を秘めてもいる。それでも彼らがその忌まわしい過去に押し潰されることなく、日々の厳しい鍛錬に耐え、鬼と戦う異能を高めるために努力しているのは、人を守るためにあくまでも人でありたいと願っているからだろう(第82話では、「怒りという感情だけで勝てるのならば もうこの世に 鬼は存在していないだろう」というナレーションも入る)。


 そしてその願いが、いちばん色濃く描かれているのが、「無限列車編」を経たあとの「遊郭編」ではないかと私は思っている。


■人間であることを誇りに思う、宇髄天元の熱い言葉


 たしかに「無限列車編」でも、“炎柱”煉󠄁獄杏寿郎が、宿敵・猗窩座を相手に計り知れない“人間の底力”を見せてくれた。「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ(中略)俺は 如何なる理由があろうとも 鬼にならない」(第63話より)


 だが、この煉󠄁獄のまっすぐな想いは、「遊郭編」の実質的な主人公である宇髄天元の「ド派手な」生きざまにも通じる部分があり、何度でも立ち上がる彼のタフな姿は、部下の炭治郎たちの心に熱い火を灯す。


 たとえば、上弦の陸との戦いの最中、敵の毒にやられ、瀕死の重傷を負いながらも、天元はこんな啖呵を切る。「余裕で勝つわ ボケ雑魚がァ!! 毒回ってるくらいの 足枷あってトントンなんだよ 人間様を舐めんじゃねぇ!!」(第88話より)


 そしてそんな“音柱”の勇ましい姿に、炭治郎は、かつて「心を燃やせ」と言って散華した“炎柱”の幻影を重ね合わせるのだった……。


 いずれにせよ、ここで天元が言った「人間様を舐めんじゃねぇ!!」という力強い言葉こそ、吾峠呼世晴が初期作品から一貫して描き続けているテーマそのものだと言ってよく、こうした想いを抱き続けられる限り、人は鬼にならずにすむだろう。また、この「遊郭編」では、襧豆子の鬼化がもっとも進行してしまう場面もあるのだが、結果的に彼女を人間側に引き戻したのは、妹のことを想い、兄が歌った、懐かしい母の子守り唄であった。


 そう――繰り返しになるが、人間と怪物との違いとは、誰かを守りたいと思う、“人の心”があるかないかなのだ。


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