『トヨタ・チェイサー』JTCCラストイヤーのチャンピオンカー【忘れがたき銘車たち】

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2021年12月06日 10:01  AUTOSPORT web

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1998年に関谷正徳のドライブによってチャンピオンとなったESSO TOM’Sチェイサー。
モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、『トヨタ・チェイサー』です。

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 全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は、2.0リッターNA 4ドアのスーパーツーリングカーによって争われた自動車レース。このJTCCをトムスを初めとするトヨタ陣営は、シリーズ初年度の1994年にコロナ、2年目の1995年からはコロナ・エクシヴを主力車種に据えて戦ってきた。

 エクシヴがシリーズ最終年の1998年までプライベーターたちの手によって走り続けたのは、この連載で以前お伝えしたが、そのエクシヴに代わるトヨタのニューマシンとしてJTCCに送り込まれたのが、今回紹介する『トヨタ・チェイサー』だ。

 JTCCを走ったチェイサーは、JZX100型で、結果的にチェイサーとしては最終型となったモデル。現在もD1グランプリなどドリフト競技の最前線で活躍している車両だ。

 トヨタはそれまで、コロナやエクシヴといったFFマシンで戦ってきたが、1995年頃より敵陣のBMWを見て、JTCCの前後同サイズのタイヤを履く規定であれば、FRマシンのほうが有利であろうという見解から、FRマシンでの可能性を模索し始めた。

 実際に1996年から新型FRマシンの開発をスタート。トヨタのFR車のなかでも、“マークII 三兄弟”と呼ばれるマークII、チェイサー、クレスタから最もスポーティなイメージを持つという理由で、チェイサーが選ばれた。

 本来、チェイサーはスポーティグレードの“ツアラーV”で、2.5リッター直列6気筒の1JZエンジンを搭載するなど、エクシヴよりも上の車格を持つ車両だった。

 そんなチェイサーをレーシングカーとして開発していくうえで課題となったのが、衝突安全ボディ『GOA』の採用による剛性不足とボディサイズが大柄になったことによる、空力面の不利さである。

 剛性不足に関しては、当時のトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE、現TMG)の協力を得ながらロールケージ形状を最適化。さらに、各チームが独自に規定の範囲内でスポット増しを実施するなど、徐々に改善を図っていった。

 空力面については、チェイサーがデビューすることになる1997年にJTCCが国内独自ルールとして、『オーバーフェンダーの装着やリヤウイングの大型化』などを認めたことにより、結果的にチェイサーのデメリットを補うことにもなった。それに加え、トヨタとTRDの手によって風洞実験が行われ、ドラッグの低減を目指した改良が施された。

 さらに、コロナ時代から研鑽が重ねられ、チェイサーにも搭載された3S-GE型エンジンは、大柄で前面投影面積が大きくなったことによるストレートスピード不足を補うために改良された。

 エクシヴを走らせ始めた頃にはトムスとTRD、両方の開発したエンジンが投入されていたが、この時代になるとTRDのエンジンへと一本化され、性能アップが急がれた。

 こうして苦しみながらも、チェイサーは1997年に実戦デビューを果たす。デビューイヤーは、表彰台わずか1回とエクシヴの後塵を拝することも多かったが、シーズンを通して開発が進み、翌1998年に飛躍が期待されたチェイサー。

 しかし、1997年いっぱいでライバルのホンダ、ニッサンがJTCCからの撤退を表明する。残されたチェイサーは、同じトヨタ車であるプライベーターのエクシヴとともに1998年シーズンを戦い、チャンピオンを獲得する。

 本来戦うべきライバル車を失った状態で王者となったチェイサーは、シリーズの終焉とともに、わずか2年という実動期間でその役目を終えたのだった。

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