いじめる役の私に「もっとやって!」冨士眞奈美が語る、新珠三千代さん『細うで繁盛記』の思い出

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2022年01月28日 05:10  週刊女性PRIME

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写真冨士眞奈美
冨士眞奈美

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、『細うで繁盛記』について振り返る。

嫌われ役が意外にも人気に

 私の思いがけない代表作のひとつに『細うで繁盛記』がある。

 原田正子に扮した私は、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、伊豆弁で「おい加代!犬に食わせる飯はあっても、おみゃーに食わせる飯はにゃー!」なんてまくしたて、憎まれ役に徹した。

 本来であれば、視聴者からは疎まれ、嫌われる役のはずなのに、インパクトが強かったからか、意外なことに人気を得るまでになってしまった。原田正子をパロディーにしたテレビCMまで製作され、憎まれ役が人気者になることもあるんだなんて、びっくらこいただよ。

 憎まれ役にもかかわらず、みなさんから支持していただけたのは、主演の新珠三千代さんのおかげにほかならない。

 ドラマの中で、私は新珠さんをいじめる役だったけど、新珠さんはいつも私に対して、

「いいのよ眞奈美ちゃん。もっとやってちょうだい。蹴ったっていいのよ、殴ってもいいのよ」なんて声をかけてくださった。

 いじめればいじめるほど視聴者が喜ぶから、新珠さんも「もっとやって!」とリクエストされる。まるでSMのような関係性よね(笑)。

 あのころはとても忙しく、現場に向かう際は、自分でジープを運転して向かっていた。あるとき、真夜中の甲州街道を走っていたら、おまわりさんに止められて、「いい車だけどスピードを出しすぎじゃないですか」と牽制された。

 事なきを得たい私は、すぐに「すみません」と謝ると、おまわりさんは冨士眞奈美だと気がついたみたいで、「新珠さんをいじめないと約束したら、今日のところは見逃してあげます」と、まさかのひと言。「はい!もういじめません!」と、その場では誓った私だったけど、その後も新珠さんをいじめ続けたのは、周知のとおり。あのときのおまわりさん、約束を破ってごめんなさいね。

 その昔、小沢昭一さんに、「長いこと俳優をやってきていちばんきれいだと思った女優さんは誰?」と聞いたことがあった。すると彼は、少し顔を赤らめて「新珠三千代」と口にしたことがあった。あの小沢昭一をもうっとりさせてしまう女優。それが新珠さんのすごさでもある。

 昭ちゃんは、俳優座付属俳優養成所の2期生で、私の大先輩。俳人でもあり永六輔さんらとともに「やなぎ句会」を発足したことでも知られる。男性ばかりの句会にもかかわらず、ときどき私をゲストで呼んでくれたりもして、公私ともに大先輩。だけど、私はいつも昭ちゃんと呼んでいた。

 昭ちゃんは競馬が大好きで、スポーツ新聞が真っ赤になるまで赤鉛筆で予想を書き込んでいた。その昔、昭ちゃんと一緒に優駿牝馬(オークス)を見に行ったことがあった。私を含め一緒に行った人たちがおけらになり肩を落とす中、昭ちゃんだけがうれしそうに笑みを浮かべていた。

「昭ちゃん、いくら勝ったの?」と聞くと、「まず奥さんに電話をしてから。そのあと教えてやる」ってニカッと笑うの。彼は競馬に勝つと、まず奥さんに報告するらしく、「喜ばせたい」そうだ。

 こんな些細なやりとりひとつに、見識とユーモアと優しさを持つ活眼の士・小沢昭一の人間味が表れる。まさしく、『小沢昭一的こころ』。私は外国へ行くとき、必ず『小沢昭一的こころ』と池波正太郎さんの『剣客商売』を持参していた。外国で読むと、より味わいが深く、心がゆったりするのだ。

 ソダシという競走馬がいる。白毛馬として史上初めて芝の重賞勝利やG1勝利を達成した人気馬だ。私は、大谷翔平、藤井聡太、羽生結弦、そしてソダシこそ今の時代にときめく傑物だと思っている。

 強いだけではなく、その姿がなんとも色っぽい。負けても勝っても美しい。ソダシが馬群を白波のようにかき分けていく姿を見ると、昭ちゃんたちと競馬場で笑い合った記憶が、白糸をたぐるようによみがえる。

冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉

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