坂口健太郎が考える、エゴを捨てて“流される”ことの強さ 「本当は空っぽのリュックで旅立てるはず」

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2022年01月29日 10:01  リアルサウンド

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坂口健太郎

 NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』やTBSドラマ『婚姻届けに判を捺しただけですが』などに出演し、2021年大きく注目を浴びた俳優・坂口健太郎。12月24日に発売されたフォト&ワードブック『君と、』は、四季折々の情景で撮影された写真と自ら綴った詩的な散文で、29歳から30歳に移り変わる日々のゆらぎを映し出した作品だ。刊行に寄せて、この一冊に込めた想いを聞いた。


参考:【写真】坂口健太郎のサイン入りチェキ画像


■「優しくて美しい」というテーマ


――打ち合わせで坂口さんがこぼした「優しくて美しい役柄に興味があります」という言葉が、『君と、』のテーマになったんですよね。


坂口健太郎(以下、坂口):たぶん、そのときの僕が「優しくて美しい」ものを心のどこかで求めていたんだと思います。自分のなかに欠けていたから、撮影を通じて補完したくなっていた。文章は、写真にあわせるのではなく撮影の合間に書いていたものなんですが、最初の頃は、自分で思っていた以上にピリピリした言葉が集まっていて。ひとつひとつはそうでもなくても、まとめて読むと妙な緊張感があったんですよね。あ、喰らってたんだな、って思いました。自分はポジティブな人間だと思っていたけれど、それでもコロナ禍で、無意識のうちにネガティブな感情を溜めこんでいたんだなって。そんなふうに自分を知ることができたのは、おもしろかったですね。


――坂口さんにとって「優しくて美しい」というのはどういうことなんでしょう?


坂口:最初は、マッキーで力強く書くような言葉を多く集めていたんですよ。儚くてさらりとしたような言葉は、ほとんどなかった。強い言葉ばかりが琴線に触れる、そういう精神状態だったんだと思います。なんだか、10代の反抗期みたいですよね。明確な原因があるわけじゃないのに、心が妙にささくれだっているという。でも、言葉を集めたことで自分のそういう状態を自覚できたし、撮影を重ねるうちに「優しくて美しい」にもいろんなジャンルがあるなってこともわかってきました。夕焼けをバックに撮った写真は、地元の人にも「こんな色になるのは珍しい」と言われたほど美しい空が映っているし、割れたガラスに指で触れている写真には刹那的でドキッとさせられる。自分の写真だけでなく、道行く人を見ていても、働く人の流す汗ってなんて美しいんだろうと感じるようになったり……そんな発見を重ねていくうちに、「優しくて美しい」というテーマにぴったりの一冊ができあがっていった気がします。


――言葉は、どんなふうに拾い集めたんですか?


坂口:なんとなく、ですね(笑)。でも、写真にあわせて書かなかったのはよかったなと思います。どの言葉も、写真にフィットしすぎてないのがいいなあって。どういう意味だろう?って思うことが、読む人にとっての余白になるじゃないですか。その時々で引っかかる言葉も、好きだなと思う写真も異なるだろうし、解釈もすべて読者のみなさんに委ねたいって思っています。


坂口健太郎『君と、』


――たとえばどのあたりがお気に入りですか。


坂口:えー、恥ずかしいな。小鳥と一緒に手だけ映っている写真は、「優しくて美しい」を体現している感じがしてよかったな……。あと、真っ白な雪の上で、真っ赤な服を着て倒れ込んでいるやつ。不思議で、よくないですか?……って、僕も、その時々で好きだなって思う写真が違うんですよね。時間をかけて、季節ごとに撮影したから、髪型や身体の状態も少しずつ違っているんですが、それもまた奥行きが出てよかったです。言葉だと、さっきも言った夕焼けの写真に添えた〈なんとかかんとか、夏〉っていうのがわりと気に入ってます。最後に季節がつく言葉って、よくないですか?


――『愛なんていらねえよ、夏』とか。


坂口:甲子園の〈繋ぐ想い、挑む夏〉みたいなキャッチコピーも好きで。写真との共通点は夏しかないけど、でも好きなんだよなっていう言葉も、いろいろ載せてみました。


――カラスには何か思い入れが? 〈白いカラスがいてもいいじゃない〉〈カラスは昔金色に輝いていたんだって〉と別々の場所に二つの言葉があったので、気になったのですが。


坂口:それはたまたまです。黄金色のカラスについては、昔、そんな童話を読んだことがある気がして。白いカラスっていうのは……「絶対」なんてないみたいなことを言いたかったのかな。カラスといえば黒、というのが常識だけど、そうじゃないものがあってもいいじゃない、っていうゆるやかな感じ。基本的に僕は、断定しない人でいたくて。断定した瞬間に“それ”しかなくなってしまうと、たとえ正しいことであっても、鋭利で尖ったものになってしまう。だから今回の本に限らず、言葉を選ぶときはいつも、伝え方を誤らないようにしようって気をつけています。どんなふうに解釈してもらってもかまわないけれど、押しつけるものではありたくない、というか。


――だからでしょうか。『君と、』には「わかってもらえなくてもいい」というスタンスが貫かれている気がするんです。でもそれは理解されることを諦めているのでも、相手を突き放しているのでもなく……受容する深さがある、というか。


坂口:ああ……そうかもしれないですね。昔より、なんでもいい、って思えるようにはなりました。それはおっしゃるとおり、完全に手放しているというより、「間違い」なんてものはないってことがわかったからなんですよね。今って失敗が許されにくい世の中だから、たったひとつの間違いですべてが台無しになってしまうこともたくさんある。だけどだからといって全方向に気を使いすぎていたら、心が荒んでしまう。かといって、間違えてもいい、失敗してもまた頑張ればいいとかそういうことでもなくて……。たとえば僕の周りにいる誰かが大きな間違いを犯したとして、それで僕との関係性が変わることはない。だから僕の周りにいる人たちには、最終的には僕がいるよ、ってことをわかっていてほしいんですよ。そして僕にも、家族なり仕事相手なり、間違えてしまったときにも手を差し伸べてくれる人はいるし、愛してくれる人たちがいてくれる限りは、何があっても生きていける。そんなふうに、僕がみなさんの存在を、日々をがんばる強さに変えているように、僕もみなさんが「坂口がいるから大丈夫」って思える存在になっていきたいな、って。そんなことを、フォト&ワードブックの言葉には託したような気がします。生きているだけで大丈夫、って読んでいる方々にも伝われば、と。


――距離感はあるのに、手を差し伸べられている感じがする不思議な味わいが『君と、』というタイトルにもぴったりでした。


坂口:ありがとうございます。輪郭だけでもわかってもらえたらいいな、みたいな気持ちもあるので、それが距離感というところに繋がっているのかもしれません。


■俳優としても飛躍の年


――坂口さんは読書家としても知られていますが、言葉を集めるうえで影響を受けた作家さんはいますか?


坂口:なんだろう。さっきの童話じゃないですけど、わりと古典が好きなので、そこから引っ張ってきていることのほうが多い気がするな。あとは、歌人の穂村弘さんが好きで、対談をさせていただいたこともあるんですけど、そのとき一緒に短歌をつくった経験は影響している気がします。誰かが発した短い言葉を穂村さんの感性で読み解いていく過程もすごくおもしろくて、それも「委ねたい」とか「断定したくない」って思いにも繋がっているかもしれません。


――ちなみに、寒い冬の時期に読むおすすめの本はありますか?


坂口:『さむがりやのサンタ』という絵本はおすすめです。クリスマスは過ぎちゃったけど(笑)。大人になってから、子どものころに好きだった本を読みかえすと、新しい発見がある……とまではいかないですけど、当時の感情を思い出したり、心地のいい瞬間をとりもどしたりすることができるんですよ。この絵本じゃなくてもいいから、ぜひためしてみてください。


――フォト&ワードブックに話を戻すと、巻末インタビューでは〈流されず動じない鈍感力みたいな良さをもっていると思っていた〉とおっしゃっていた一方、〈流されてみて初めて得をした〉という言葉も写真に添えられていたのが気になりました。


坂口:流行に流されない、筋の通った強さも生きていくうえでは必要だと思うんです。でもそのせいで頑固になってしまうと、豊かにはなれないような気がしていて。とくにお芝居をするときは、自分の持っているものだけで勝負すると、小さくまとまって終わってしまう。だけどゆるく構えておくことで、自分が用意していた演技とはまた違うアプローチを受けいれて、新しいお芝居をすることができるんです。一緒にお芝居をしている相手の生み出した流れを、自分のエゴでふんばって逆らうのではなく、その波に乗って相手と同じ場所に立つ。そのほうが正解なんだ、ってことを、仕事を通じて学んだから出た言葉だと思います。知らないこと、わからないことは、いったん自分の中に享受したほうが得だし、「なんか違うな」って思ったらまた元の場所に戻ればいい。流されてみないとわからないことってすごくあるな、というのは、僕の実感としてあります。


――『おかえりモネ』の出演をはじめ、2021年は俳優としても飛躍の年でしたね。注目を集めている実感はありますか?


坂口:映画『ヒロイン失格』や朝ドラ『とと姉ちゃん』に出演していた2015〜6年ごろは、僕の存在を一気にみなさんに知っていただいて嬉しい反面、自分自身を扱いかねてもいたんです。爽やかな好青年というパブリックイメージが先行して、僕の知らない「坂口健太郎」がどんどん育っていくことに対する恐怖がありましたし、求められていることに応えなきゃいけないとか、背負うものが大きくなって、自分で自分にメッキを貼り続けるような感覚も続いていました。本当は空っぽのリュックで旅立てるはずなのに、どんどん自分で砂を詰めて、身軽じゃなくしていたなと、ふりかえってみて思います。でも今はそのリュックを捨てて、「お前、売れてラッキーだなあ」って「坂口健太郎」に対して客観的に接することができるようになった。それは、先ほども言った「なんでもいい」って感覚を得られたからだと思います。


――フォト&ワードブックの撮影中、坂口さんは三十代を迎えました。これから先、どんな十年を過ごしたいですか?


坂口:それが、あんまり実感がなくて……。コロナ禍でいろんなものがストップしていたせいで、二十代最後の高揚を味わいきれないまま終わってしまったんですよね。30歳を迎えた去年の7月11日も、まだ気軽に外出できる情勢ではなかったし、想像していたよりも新しいスタートを切った感覚を得られなかった。まあ、逆に今しかつくれないフォト&ワードブックになってラッキーだった、とポジティブに捉えてはいますけど……。ただ、「観てもらう」ことに対して前よりは貪欲になったような気がしています。映画『仮面病棟』も『劇場版シグナル 長期未解決事件捜査班』も公開時期がちょうどコロナ禍にあたってしまったので、なかなか劇場にお越しくださいとは言えなかった。作品は、決してあたりまえに観てもらえるものではないのだと痛感するなかで、それでも芝居し続けることの意義……というと大袈裟ですが、誰に何を届けることができるのかということを改めて考える時間でもありました。これからもよりいっそう、観る人の心に響くものを表現できたらいいなと思っています。


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