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小学2年生の息子を持つ40代の父親。授業参観に普段着で行ってしまい、「きれいな服を選ぶべきだ」と妻から叱責されました。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。
【子育てNGワード、こう言いかえよう!】* * *
【相談者:8歳の息子を持つ40代の父親】
都内の公立小学校に通う息子を持つ40代の父親です。先日、入学以来、初めての対面の授業参観がありました。仕事の都合で行けない妻に代わって参加したのですが、Tシャツにジーンズという普段着だったので、妻から「信じられない。授業参観や懇談会などの学校行事には、デパートで買ったようなきれいな服を選ぶのが当たり前」と激怒されました。でも7割方の保護者がその辺のスーパーやコンビニに行くような普段着で来ていましたし、きれいな格好のほうが浮いてしまう感じでした。また、保護者のなかには持参したアウトドア用の折りたたみ椅子に座ったり、スマホをいじったりしている人もいて、私はその人たちに比べれば親としてきちんとふるまっていたと思います。授業参観は保護者の服装のお披露目の場ではなく、主役は子どもたちのはず。その感覚でいてはいけないのでしょうか。
【論語パパが選んだ言葉は?】
・「子曰(い)わく、敝(やぶ)れたるおん袍(ぽう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて、而(しか)も恥じざる者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか」
「そこなわず求めず、何を用(もっ)てか臧(よ)からざらん。子路(しろ)終身(しゅうしん)之(こ)れを誦(しょう)す。子曰わく、是(こ)の道や、何(な)んぞ以(も)って臧しとするに足らん」(子罕第九)
・「敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行う」(雍也第六)
【現代語訳】
・孔子はおっしゃった。「やぶれてボロボロの粗末な綿入れを着て、狐や貉(むじな)の上等な毛皮を着た人と一緒に立っても恥ずかしいと思わないのは、子路だろう」
「他人に害を与えず、無理な要求もしていないのに、どうして不善が発生しようか」。子路(しろ)はいつもこの一節を口ずさんでいたが、孔子がおっしゃった。
「それだけでは十分とは言えない。我々の目指す道はもっと遠くにあるのだ」
・自分の心持ちは慎み深くして、他人に対しては寛大に簡素に接する。
【解説】
対面で授業参観が行われるようになったことは、本当に喜ばしいことですね。子どもが授業に参加しているところを実際に見られることがどんなにありがたいことか、コロナ禍を通して我々は知ったのではないでしょうか。
さて、すでに、コロナ禍以前から「クールビズ」などによって、服装の簡素化は進んでいました。コロナ禍でZoomを使ったリモートワークが増えるにしたがって、スーツを着なくても商談や会議に出席することができるようになりました。
相談者さんが言うように、授業参観も「7割方の保護者がスーパーやコンビニに行くような普段着で、きれいな格好のほうが浮く」というのは新しい時代のスタイルなのではないかと思います。カジュアルな服装は、堅苦しくなく、くつろいだ気持ちも演出してくれますので、みんながカジュアルな服装だと、企画会議などでも、より自由な発想、より自由な発言ができると言われていますね。そういう点では、授業参観にも保護者が、カジュアルな服装で出席するのは、先生も子どもたちにも堅苦しくない雰囲気でいいことであるとは思います。
2500年前から人の生き方の規範として親しまれた『論語』の中でも、服装のことが話題に取り上げられている章句があります。
「子曰(い)わく、敝(やぶ)れたるおん袍(ぽう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて、而(しか)も恥じざる者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか」(子罕第九)
孔子の弟子のなかでも大変な志を持った子路は、ボロボロになった粗末なおん袍(綿入れ羽織)を着ていましたが、高い毛皮をまとった高位高官と会っても、まったく恥じたり、気後れしたりしない人物でした。
しかし孔子は、そんな子路を、見苦しいと思っていたに違いありません。どうしてそんな格好で立派な人物に会っても何とも感じないのかと、聞いたのでした。由(ゆう)とは子路の実名です。
子路は「こんな格好をしていたからって、他人を傷つけるわけでもない。無理な要求をしているわけでもないから、いいじゃないですか」と答えたのです。
孔子はこうたしなめました。「それだけではまだ十分ではない。我々の目指す道はもっと遠くにあるのだ」と。
カジュアルであるということには、もちろんいい点もありますが、それでいいのだとあまりにもくついだ状態が続くと、それに慣れて、心がたるんでしまうと孔子は考えたのです。
スーツは「ホワイトカラーの鎧」と言われることもあります。言い換えれば、スーツは、カジュアルな自分を、非日常の緊張した心に切り替えてくれる道具でもあったのです。古代から現代に至る服装、服飾の歴史を大観すると、簡素化していることに改めて気づかされます。それは繊維製造技術の発達とも無関係ではありませんが、技術の発達に伴って、心がすさむ方向に進むのは残念です。
『論語』には、立派な人の思考と行動のバランスについて「敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行う」(雍也第六)という言葉があります。つまり、「自分の心持ちは慎み深くして、他人に対しては寛大に簡素に接する」という教えです。
相談者さんは、父親として授業参観に行くのに、「自分の服装と心とが一致しているのか」どうかを考えることが最も大事なことです。教室にいる先生、児童、保護者に安心感を与えつつ、自分の心は、「子どもを温かく見守る愛情でいっぱいである」という姿勢を、服装で表すことができるようなチョイスをしましょう。そのためには、やはり妻の意見を取り入れて、カジュアルすぎる服装ならば見直すべきでしょう。
【まとめ】
自分の心はあまりにくつろいだ状態よりも、慎み深く。服装と心が一致しているか見直そう
山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ 0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。2021年12月に監修を務めた『チコちゃんと学ぶ チコっと論語』(河出書房新社)が発売。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。