ナイツ・塙宣之が語る 「細野晴臣さんは神」であり「YMOが“ヤホー漫才”の原点」

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2022年05月20日 17:30  AERA dot.

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写真ナイツの塙宣之さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)
ナイツの塙宣之さん(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)
「“ヤホー漫才”の原点はYMO」「自分にとっての神は、細野晴臣さん」と公言しているナイツの塙宣之さん。今年3月には『細野晴臣 夢十夜』(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)で小説家デビューも果たした塙さんに、細野さんの魅力を語ってもらった。


【動画】ナイツの漫才はこちら。
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 1978年生まれの塙宣之さんが音楽家・細野晴臣を知ったのは、中学生の頃。実兄で芸人のはなわさんとともに、深夜ラジオ『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(1991年〜1994年)にハマったのがきっかけだった。


「ラジオもハチャメチャで面白かったんですけど、そのうち(テクノグループの)電気グルーヴの曲を聴くようになって、その流れでYMOを知って。特に細野さんが作るフックのあるテクノに惹かれたんですよね。リズムが一定で、いきなり音階が変わったり、転調するのがとにかく気持ち良くて。もともとファミコンのピコピコした音が好きだったし、自分の体質に合ってたんでしょうね」


■ヤホー漫才のスタイルはテクノ音楽から発想した


 高校時代はファミレスのバイトで貯めたお金でYMOのCDを買い揃え、はっぴいえんど(細野氏が70年代に参加していた伝説のロックバンド)や細野氏のソロ作品も聴くようになったという塙さん。


「佐賀に住んでいたので、1993年に東京ドームで行われたYMO再結成ライブには行けなかったのですが、ずっと細野さんの音楽を聴いてました。はっぴいえんどや、ソロの作品はYMOとはぜんぜん違うし、その後に細野さんがやりはじめたアンビエント(テクノと環境音楽を融合させた音楽)なんてわけがわからなかったけど(笑)、聴いてる時の気持良さは一緒でした」


 2000年に相方の土屋伸之さんとナイツを結成。しばらくは売れない時期が続いたが、2007年頃から一気に注目を集めるようになった。そのきっかけは、現在のスタイルである“ヤホー漫才”を確立したこと。一定の会話のテンポをキープしながら、“塙が固有名詞を言い間違え、土屋がツッコミを入れる”スタイルは、細野のテクノ音楽から発想を得たという。




「ちょうどその頃にYMOを聴き直して、やっぱりいいなと。その時に、『テクノみたいに一定のテンポでボケとツッコミを繰り返すのはどうだろう?』と思い付いたんです。ヤホー漫才でいきなり下ネタを入れたり、急にテンションを下げるのは、細野さんの特徴であるメロディの展開や転調の影響かな(笑)。その前にやってた漫才はロック音楽に近いというか、柄にもなく叫んだりしてたんですけど、今考えると自分たちに合ってなかった気がして。ほら、細野さんもぜんぜんテンションが高くないでしょ。僕も目に力がないし(笑)、淡々としゃべったほうが面白いのかなと。とにかく気持ちよく聴いてもらえるのがいちばんだと思うので。それで僕らのYMO……、あ、ヤホー漫才オーケストラが誕生したんです(笑)」


■細野晴臣さんのコンサートに出演も


 ヤホー漫才で頭角を現し、瞬く間に人気コンビとなったナイツ。塙さんがとある媒体のインタビュー記事で、「この世でいちばん好きな人は細野晴臣さん」と公言したことをきっかけに両者の交流が生まれ、2017年11月にはなんと細野氏のコンサートにナイツとして出演した。


 筆者はその公演を会場で観たのだが、「1969年にバンド“ほっぴいえんど”を結成し……」「“はっぴいえんど”ね。ホッピー飲み切ったみたいになってるから」「日本酒ロックの礎を築きました」「日本語ロック! 日本酒ロック、飲みづらいわ」という漫才は大ウケだった。


 尊敬する細野氏の前で“細野ネタ”で披露するのはかなり緊張したはず……と思いきや、プロの矜持を感じられるこんな答えが返ってきた。


「漫才は仕事なので、そこは切り替えて、“ウケたい”という気持ちでやってましたね。会場のお客さんはみんな細野さんのファンで、ネタの背景についての説明が必要ないので、テレビや劇場でやる漫才よりもむしろやりやすかったです。東京ドームで巨人のネタをやればウケるのと同じですね(笑)」




■細野さんとの仕事でなければ断ってた


 この春に刊行された書籍『細野晴臣 夢十夜』(KADOKAWA刊)は、細野氏が自身の見た夢を記した夢日記37篇と、その夢をモチーフに朝吹真理子、リリー・フランキー、塙の3氏が書き下ろした短篇小説9篇を収めたもの。塙さんは“もしも大谷翔平が〇〇〇だったら”をテーマにした「PLAYBALL」、師匠の内海桂子さんとの思い出を題材にした「うるせえ! くそジジイ!」、細野氏の夢に出てきた架空の沖縄の歌手を“ヤホー漫才”のネタにした「さとう龍平」の3篇を寄稿している。


「ここ何年かの仕事で、いちばん大変でしたね。夢ってツッコミようがないから、漫才のネタにもなりづらいし、何をどう書けばわからなくて。細野さんの仕事じゃなかったら、引き受けてないですね(笑)」


 また現在開催されている細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969−2021」(埼玉県所沢市「ところざわサクラタウン」にて6/26まで開催予定)では、星野源さん、高橋幸宏さん、水原希子さんとともに塙さんも音声ガイドを担当するなど、両者の交流はさらに深まっている。


 漫才、ラジオパーソナリティのほか、テレビドラマに出演したり、自ら主宰する劇団やYouTubeチャンネルを立ち上げるなど、精力的な活動を続ける塙さん。表現の幅を広げるのも、細野さんの影響だとか。


「細野さんは時期によってやってることが全然違うんですけど、ただずっと好きなことをやってるだけなんだろうなと思っていて。YMOは大ヒットしたけど、売れるかどうかは関係なく、他にやりたいことができたら、すぐにそっちにいっちゃう(笑)。それは理想だし、羨ましいですね。自分もまだ40代。“浅草の漫才師”というイメージがあるからこそ、自由にいろんなことをやってみたいですね。細野さんとも、もっと仲良くなりたいです(笑)」


(森 朋之)


塙宣之(はなわ・のぶゆき)/漫才師。漫才コンビ・ナイツでボケを担当。1978年千葉県生まれ。佐賀県育ち。2001年ツッコミ担当の土屋伸之とコンビを結成。03年の漫才新人大賞受賞をはじめとして数々の賞を得ている。08〜10年に「M−1グランプリ」決勝進出、11年「THE MANZAI 2011」準優勝。2007年には史上最年少で漫才協会の理事に就任し、15年からは副会長をつとめている。多くのテレビ、ラジオ、舞台で活躍中。近著に「細野晴臣 夢十夜」(細野氏が見た夢を題材に、朝吹真理子、リリー・フランキー、塙が書いた短篇小説集)。現在、埼玉県所沢市の「ところざわサクラタウン」にて開催中の展覧会『細野観光1969−2021』では音声ガイドも担当している。


■細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969‐2021」in ところざわサクラタウン
https://tokorozawa-sakuratown.com/event/hosonokankou.html











このニュースに関するつぶやき

  • 細野御大の音楽は「頭クラクラ・みぞおちワクワク・下半身モヤモヤ」がキーワード。でもヤホーは頂けない。あれは聞いてて恥ずかしかった。今の方がはるかに面白い。
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