『シン・ウルトラマン』斎藤工が愛するSF映画『サンダ対ガイラ』や『ブロブ』の魅力

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2022年05月28日 09:02  日刊SPA!

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正統派の二枚目から全身緑の宇宙人まで。これまでに演じてきた役柄の幅広さでは他の追随を許さない俳優、斎藤工。5月13日公開の『シン・ウルトラマン』では、彼のフィルモグラフィのなかでもインパクト抜群の“ウルトラマンになる男”という役を演じている。

その撮影秘話や作品の魅力、『ウルトラ』フリークの叔父さんとのエピソード、“すごい”と“面白い”が混同されつつある映画業界への思いなどについて、幅広く語ってもらった。

◆ウルトラマンは想像の起源のような存在

――まずは『ウルトラマン』に抱いていた印象からうかがいます。

斎藤 日本はもちろん、世界中の人にとっても当たり前のものとして“そこ”にあるアイコンのようなキャラクターであり、シリーズであると思うんですが、僕の場合はちょっと違ったんですよ。

子供の頃、シュタイナー教育というものを受けていて、家にテレビがなかったり、とにかく娯楽が制限されていたというか、その数が限られてたんですね。でもなぜかウルトラマンと怪獣の人形が数体あって、そこからいろんな物語を想起していったんです。だから、僕にとって創造の起源みたいな存在なんですよ。

あとになって知ったんですが、うちの父は映像業界に入る前に円谷プロダクションでアルバイトをやってたらしいんですよ。『ウルトラマンタロウ』(’73)の爆破なんかを担当してたみたいで、その兼ね合いもあって人形があったんだと思います。

◆ウルトラマンフリークだった叔父の存在

――お父さまは、まだ少年だった斎藤さんにその話はされなかったんですね。

斎藤 まったく聞いたこともなかった(笑)。それこそ『シン・ウルトラマン』のお話をいただいて、そのことを報告したときに聞かされました。あと、叔父がかなりのウルトラマンフリークなんですよ。

だから、僕にウルトラマンを見せてくれたのは叔父なんです。ちょうど小学校高学年くらいだったと思うんですが、これは本物の映像ではなく、ミニチュアのセットで撮影されたものなんじゃないかと疑念を抱いたとき、叔父が「いや、あれは本物だよ!」って熱弁して信じ続けさせてくれたというエピソードがありまして(笑)。

たぶん、それまで好きだったものと距離を置くための要素を探し始めるような時期だったと思うんですね。つまり次の娯楽に、次のフェーズに移行してしまうようなタイミングだったんですけど、そこで叔父に引き戻してもらったという感覚があるんです。

今になって考えてみると、あの曖昧な感覚で過ごした期間が、自分にとって非常に大きかったと思うんですよ。こういうものにロマンを見出すことができる素地を作ってもらったというのかな。そういう意味では、非常に叔父孝行にもなってますね。僕の周りで、誰よりも『シン・ウルトラマン』の公開日を気にしてくれてますから(笑)。

◆“影”の部分を描いた実相寺昭雄氏

――なるほど。ちなみに『ウルトラマン』をご覧になって、特に印象的だったエピソードはありますか?

斎藤 やっぱり実相寺昭雄さんが撮られたものは印象深いですよね。フタを開けてみると、「あっ、これも実相寺さんがやってた回なのか!」と思わされることが多い。

子どもの目線から、一番観たいであろうサビの部分、ウルトラマンと怪獣の戦いはあまりしっかり描かれず、むしろその前後のドラマ……たとえば、その怪獣がどうして怪獣になってしまったのか? みたいなすごくおどろおどろしいけど、同時に自分のこととも捉えられるようなことを描いてるじゃないですか。

光と影でいえば、影の部分ですよね。ああいう実相寺さんの直球を投げないスタイルみたいなものが、いろんなクリエイターが芽吹いていく瞬間に養分を与えていたんだろうなと。

樋口真嗣さんや岩井俊二さんとかと話していると、いかにその影響力がすさまじかったかということが伝わってきます。樋口さんに関していえば、映像の世界に入られてから作られてるものと直結してる感じがしますけど、岩井さんのウルトラマンオタクぶりにも、ちょっと引いちゃうくらいのものがあったりするぐらいで(笑)、実はものすごく影響を受けられてるんですよ。

もしもウルトラマンが存在しなかったら、既存の多くの名作が生まれてなかったかもしれない。そういったスケールの大きさ、深みのようなものを日に日に感じるシリーズなんですね。

◆お気に入りの怪獣映画は?

――ご両親の影響もあって、少年時代から数多くの映画をご覧になってきたと聞きますが、フェイバリットムービーとして挙げられる怪獣映画はありますか?

斎藤 『(フランケンシュタインの怪獣)サンダ対ガイラ』(’66)ですね! 初めて観たのは小学校の中学年くらいだったと記憶してますが、その頃に観た怪獣映画の中でも特に物悲しく、なんて切ないんだろうと思わされた作品です。

サンダも哀しいし、悪役のガイラも哀しい。『泣いた赤鬼』じゃないですけど、怪獣の立ち位置が向こう側ではなく、ちょっとこっち側なんですよね。『ゴジラ』(’54)もそうじゃないですか。

その誕生をひも解いていくと、人間の欲望的なものが根を張っている。水木しげるさんの妖怪にも通ずるものがある気がします。切ないでいえば、『大魔神』(’66)も切ない映画だったな……。

◆エンターテイメントにとって重要なもの

――『ヒドゥン』(’87)や『トレマーズ』(’90)みたいな洋画SFもお好きだとか。

斎藤 めちゃくちゃ好きです! そのラインでいくと『ブロブ(/宇宙からの不明物体)』(’88)も大好き。あのあたりのSF映画は、日本のみならず、非常に特撮的でしたよね。いかにこれを描くかっていう現場の創意工夫によって、映画になにかが宿っている気がします。

今みたいに何でもVFXで処理することができなかったぶん、受け手側も自分の中で補いながら観ていくというか、これから観るものはこういうものなんだとチャンネルを合わせていく過程があった。結果、自分と作品の距離も近くなってたと思うんですよ。

去年、『DUNE/デューン(砂の惑星)』(’21)を観たとき――もちろん、ドゥニ・ヴィルヌーヴは本当に素晴らしい映像作家なんですけど――ちょっとすごすぎて、表現されすぎちゃってて、かえって作品に近づけないなと。

そういう意味では、決して成功とは呼べないバージョンの『デューン(/砂の惑星)』(’84)のほうが、あるいは『ホドロフスキーのDUNE』(’13)で描かれていたプロセスのほうが、『デューン(砂の惑星)』(’65)という作品に近づけていた気がするんですよ。

いつしか僕らは、“すごい”と“面白い”をイコールで結びつけてしまってたのかもしれない。それは『DUNE』に限らず、『エターナルズ』(’21)なんかを観てても同じことを感じたんですね。たとえば、演劇とかでもそうじゃないですか。「あぁ、この人がクラスのマドンナ役なのね。OK、分かった」と世界観を受け入れる瞬間があって、でもその世界ってのは、意外とすんなり受け入れられるものなんですよ。エンターテイメントにとって、意外とここが重要だったんじゃないかという気がしますね。

◆作り手と受け手の共犯関係

――確かに、より能動的な視聴体験になるかもしれません。

斎藤 そう、一種の共犯関係が生まれるんですよね。そういえば、自分のライフワークでやってる移動映画館で、近年は(チャールズ・)チャップリンのサイレント映画を上映してるんですけど、小さいお子さんは自分でアテレコしながら観たりするんです。

「こういう感情なんじゃないか」と、純粋に自分たちのクリエイティビティをかけ合わせながら観ている。特撮を観てるときの感覚と少し近いものを感じましたね。もしかすると昔ながらの特撮っていうのは、すべてがVFXで描かれて提示される現在のもの以上に、作品の根幹に近づける建て付けなのかもしれません。

◆『シン・ウルトラマン』の「あえてアナログ」なスタイル

――ひるがえって、今回の『シン・ウルトラマン』の映像はどう見ましたか。たとえばウルトラマンや怪獣に関しては、従来の着ぐるみではなく、CGIで表現されています。

斎藤 これが意外と、特撮的な撮影の多い現場だったんですよ。変身シーンなんか、本当にアナログな光で表現していて、むしろここはVFXで処理しないんだ! という制作サイドの強い意思も感じました。特に要点となるシーンに関しては、できるだけ特撮の遺産をいただきつつ、それを補うためにデジタルを使用するというスタイル。

もちろん、海外のヒーローものでもデジタルとアナログの融合は試みられてると思うんですけど、よりアンティークなほうを主としてるっていうところが、それらと『シン・ウルトラマン』の異なる部分なのかなと。

◆iPhoneで撮影したシーンも

――技術の恩恵という意味では、iPhoneも含めて十数台のカメラが同時に稼働していたそうですね。

斎藤 実は『シン・ゴジラ』(’16)のときも、iPhone撮影が採用されてたんですよ。僕の出演シーンって、おそらく1分にも満たないと思うんですが、あの戦車の中に数台のスマートフォンが設置されていて、自分でRECボタンを押すという(笑)。で、意外とその映像が使われてたりするんですよ。

昔のカメラって、それこそチャップリンとか(アルフレッド・)ヒッチコックの時代には冷蔵庫ぐらいのサイズがあって、絶対に入れないアングルというものがあったんですね。もちろん、今だってカメラが入り込めない場所はいっぱいあって、でもスマートフォンなら入れる。で、入れるなら入ろうよっていうすごくシンプルな好奇心を持ったクリエイターチームだなと感じた憶えがあります。

今回も、そのどこか無邪気なトライは活きていて、テクノロジーの進化と作品が融合していたと思います。たとえば、僕と長澤まさみさんのお芝居で、お互いのことをiPhoneで撮ってたりするんですよ。普通の現場でもカメラの傍に演者さんが立ってくれて、こっちのお芝居に付き合ってくれることはありますし、やっぱり役者さんのところにカメラがあると、ものすごくお芝居しやすいんです。

まあ、スタッフさんの存在を意識から外して芝居するってのは、俳優の生業のひとつではあるんですけど、ちゃんと感情をぶつける対象がそこにいるというのはメチャクチャ理にかなってる。もっとも14台ぐらい同時に回ってる状況なので(笑)、役者さんの世代によっては、ちょっとやりづらさを感じる方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、どのカメラで撮られた映像が使われるか分からないがゆえに、カメラに向かってなにかをするっていう意識が崩壊していくというか、変な作為みたいなものがなくなっていく感覚があるんですよ。そこが、この撮影方法のよさなんじゃないかと思います。

◆オーディションに落ち続けた若い頃

――斎藤さんのフィルモグラフィを見ていくと、正統派な二枚目役からドーランを塗りたくったり、着ぐるみを着ての宇宙人役まであってメチャクチャ幅広いじゃないですか。『シン・ウルトラマン』って、こういうメジャータイトルとカルト作の境界線にある作品に思えて、非常に斎藤さんらしい作品だなと思ったりもしたんですが。

斎藤 うん、確かにそうかもしれないですね。ただ、自分としては意識的に作品を選んできたわけではなく、たまたまそういう経歴になったというような感覚なんです。若いときはこれに出て、次はあれに出てっていう繋がりで自分を深化させていくようなイメージも持ってたんですけど、かなり早い段階で立派な経歴を作ってやろうみたいな考えはなくなりました。

――そのクールな視点を獲得したきっかけはあったんですか?

斎藤 若い頃は、ほぼ9割がたのオーディションに落ちながら過ごしてまして、そのときに俳優というものはニーズがあって初めて価値を生み出せるんだなと。つまりニーズがなくて価値が生まれてない状態を皮膚感覚で味わって、そもそも自分が思ってるほど、周りの人間は自分に対して興味を持ってないんだなということを思い知ったんですね。

まあ、オーディションに受からなかった空気みたいな時期を美談にしたいわけではないんですけど、でもそれを早々に知れたのは僕の強みだと思ってるんですよ。

だから、こうやってインタビューで来てくださる方には「これまで変わった役もやられてますよね」って言ってもらえるけど、多くの人がそう捉えてくれてるとカン違いしたら終わりだぞと自らを戒めて生きております(笑)。

◆点が線になる瞬間

――確かにそうですね。小さい女の子からは『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』(‘19)に出てたお父さんというイメージしかないかもしれないし……。

斎藤 そうです、そうです。あるいはインディードのおじさんかもしれない。この人、いつもバイト探してんなって(笑)。でもそれでいいんですよ。点で僕らは過ごしていくしかない。もちろん、オーディションに落ちまくっていた時期にいただいたお話だったから、宇宙人役も厭わなかったみたいなことではまったくないですよ。

やっぱりバジェットやスケールは問わず、とにかく作ってる本人が観たいものを作ってるプロジェクトに好奇心を刺激されるんです。結局、どんな作品も同じように数枚の紙で企画書をいただいたりするわけで、それをめくりながら想起される興奮というものは、今も昔も大きな差異はないなと。

ただ、『シン・ウルトラマン』に関しては、これまで自分が過ごしてきた時間が、ここで結実したなという感覚もあるんですよね。たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』(’95)のテレビ放送が始まったのは、僕が中学2年生のときだったんです。その頃もまだ家にはテレビがなかったので、同時代性みたいなものは持ち合わせていないんですが、中学2年生のときに中学2年生の少年が主人公の物語が始まったことに、どこか感じ入るものがあったりはするわけです。

結局、僕にとってウルトラマンシリーズもエヴァンゲリオンシリーズもタイムリーなものではないんですよ。だから、ちょっと無理やりかもしれないけど、それでも僕の中ではいろんな点が線になったというか、40年間生きてきた物語のひとつのゴールというか、ここに着地したんだなぁっていう不思議な感慨があるんですよね。

◆『シン・ウルトラマン』の持つ魅力

――最後に、そんな『シン・ウルトラマン』の持つ魅力について、どんなふうに考えているのかお聞かせください。

斎藤 “外星人”という概念がいいなと思うんです。ウルトラマンは、ものすごく俯瞰して僕ら人間……知的生命体というものを捉えてるんですよ。正義でも悪でもなく、その狭間に立つ者の眼差しというんですかね。これはオリジナルの『ウルトラマン』にもあった視点ではあると思うんですが、それがより具体化されてるように感じました。

近年、どんどんダイバーシティな世の中になってきてはいるものの、同時に戦争、紛争、内戦もなくなってなかったりするじゃないですか。こういったものはどちらか側からではなく、ウルトラマンの目線で、知的生命体のある種愚かな行いを冷静に捉える必要がある。

もっと自分にとって身近な話をすれば、我々は弱者の立場にある人々の声を聞けていたのか? 偏っていることに気づかず、いつしか腐敗的な状況に陥っていた業界であることが明るみになってきて、今やシンプルで健全なクリエイティブをどう立て直すかという局面に、僕らは立ち会ってるわけですよ。

ひょっとすると『ウルトラマン』という作品が持つ中立的な優しさが、この世界に一番欠落していたものなのかもしれない。そういう目線を持ってるようで持っていなかったんですね。で、それを突きつけるようなタイミングでの公開になってしまったなと。

もちろん、ポスプロのこだわりも含め、いろんな兼ね合いがあって公開が先延ばしになり、この2022年というタイミングでの公開になったという事実はあるんですけど、でもそこに必然的な意味を感じずにはいられないんです。まあ、こうやって具体的に言葉にしてしまうことで、少しチープになってしまうかもしれません。

でもウルトラマンの目線、狭間にいることで見える景色があるんだよという考え方が、今の時代に最も必要なことなんじゃないかなと。そういう意味でも『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』、そしておそらく『シン・仮面ライダー』もそうなんじゃないかと思うんですが、みなさんが知ってるキャラクターと物語だからこそ伝えられるメッセージがあって、そのことで非常に強度の高いエンターテイメントになっている。

まさに現代に生まれるべくして生まれたプロジェクトですね。かつて映画少年だった僕は、ある種の気付きを得られる作品によって自身が形成されたと思ってるんですが、この作品もまた、多くの人にとって何かのきっかけになる可能性を持ってるように感じます。

【プロフィール】
‘81年、東京都生まれ。主演映画『シン・ウルトラマン』が公開中、主演作Netflixオリジナルシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』が配信中。映画監督としても活動しており、監督長編最新作、映画『スイート・マイホーム』(主演:窪田正孝)が’23年に公開予定

撮影/松田忠雄 取材・文/ガイガン山崎 スタイリング/三田真一 ヘアメイク/ 構成/森ユースケ 衣装協力/スズキ タカユキ

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