BTS、個人活動への集中は有効な選択に? グループを取り巻く複雑な背景をメンバーの発言から考える

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2022年06月19日 10:01  リアルサウンド

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BTS『Proof』

 デビューから9年目を迎えたBTSが、過去にリリースした曲の中から自分たちも楽曲セレクトに参加してまとめた、3枚組のアンソロジーアルバム『Proof』をリリースした。J.Cole「Born Sinner」のトラックを使用しているため、YouTubeでの発表のみだった「Born Singer」のような曲や、未発表のデモバージョンに加えて新曲3曲も含まれている。


(関連:BTS、世界的ポップアイコンになるまでの軌跡 アルバム『Proof』に見るサウンドの変遷


 今回のタイトル曲「Yet To Come」のMVは、「Spring Day(春の日)」や「血、汗、涙」「RUN」「Just One Day」「Euphoria」「First Love」など、過去の楽曲のMVからのオマージュで構成されていると言ってもいいほどだ。また、歌詞の内容も、今まで共に歩んできたファンへの告白とこれからのことを語っている。「花様年華 on Stage:prologue」のJUNG KOOKの場面から始まるMVは、ラストはデビュー曲の「NO MORE DREAM」のMVに登場したスクールバスを思わせる黄色いバスへとメンバー達が集まっていき、凍てつく冬の寒さの中で春の訪れを「会いたい」と乞う「Spring Day」をオマージュしたような場面で終わる。数々の記録や賞を残してきた華やかな道のり=花様年華を思い返しながらも、「まだ最高の時は来ていない」「君と僕の最高の瞬間はこれから」と語る歌詞は、新たなステージを求めていくグループの前向きな変化と捉えられるような内容だ。


 一方で、デビュー記念日前後に毎年行われる恒例行事の「BTS FESTA」では、メンバー達が本音を語り合う会食動画がアップされた。ホワイトハウス訪問の前に撮影されたというその動画では、冒頭からSUGAの口から「しばらく休む」という趣旨の言葉が出たり、「それぞれがやってみたい個人の活動に力を入れる」という言葉があったからか「活動休止」のように受け止められることが多かった(実際、英語の字幕では休止を意味する“hiatus”が使われていた)。しかし、その後の公式からの発言やメンバー自身からの説明を合わせてみると、『Run BTS!』のようなバラエティコンテンツは続くとのことだし、「グループとして納得のいくような体制が整うまでは7人全員での楽曲リリースはしばらくなくなるが、メンバーそれぞれが個人でやりたいことをやって、クリエイティブ面での充電をする」ということのようだ。


 通常のK-POPグループではキャリアをある程度重ねていく中で、メンバー個人の活動やユニット活動を交えながら、新たな経験やグループとしての活動スタイルを活性化させていくのが一般的と言えるだろう。しかし、BTSの場合、全くソロ活動がなかったわけではないが、基本的には常にグループとしての活動を優先させてきたし、ファンもそれを誇りにしてきた部分もあるのではないだろうか。ソロワークがアルバムという形態ではなくミックステープというスタイルでリリースされてきたのも、あくまでグループの中のメンバーとしてのファンサービスの一環という意味合いが強かったように思う。それもグループとしてのひとつのあり方ではあるが、問題があったとすれば、そのような活動路線の変更について言及しなければならないような状況そのものではないだろうか。


 以前の長期休暇の時も同様だったが、半年や1年ほど長い場合は別として、通常特にファンの側に知らせなくても活動の合間に数カ月休むグループもいるし、1カ月程度ならもっと珍しくないはずだ。今回そのことについてあえて説明があったというのは、「周囲(ファンダム・社会)がそれを求めている」もしくは「そのような振る舞いが求められていると本人(あるいは事務所)が思っている」かのどちらかではないだろうか。活動スタイルの変化自体は自然なことだが、グループを取り巻く状況の中で自分たちの意思以上に“外からの目線”を重視するような状況が続いているのならば、それは問題と言える。RMが吐露していた「K-POPやアイドルのシステムのなかでは成熟が難しい」という言葉も、以前からアイドルを育成するトレーナーの間では指摘されてきた。特にデビュー後も共同生活の元で24時間管理されることが多い韓国のシステムでは、そうすることでパフォーマンスのクオリティやグループの結束を保っている面もあり、ファンや社会もクオリティのためならそのような生活は当然と思っているのが現在のK-POPアイドルの置かれている状況だ。近年練習生の若年化が進んでいる状況ではなおさらだろう。


 一方で、“自作するアイドル”というグループのアイデンティティを考慮すれば、このようなネガティブな感情こそコンテンツの中で吐露するだけではなく、作品に落とし込むことで昇華することはできないのか、それができなかったり踏みとどまるような状況なのだとしたら、それは果たして「K-POP/アイドル」というビジネスのあり方だけの問題なのか、ということも、同時に思わざるを得なかった。発言内容自体は「Yet To Come」の歌詞の中に織り込まれている部分もあるが、この発言が各メディアの見出しになるような状況というのは、歌詞の中のポジティブなイメージとは相反するようなネガティブさが本質にあるのを感じた人が多かったということで、曲だけでは伝わっていない感情が表れたからこそショックを受けた人もいたのだろう。


 メンバーの発言から窺える大きなプレッシャーや抑圧の影には、ビジネス的なシステムだけの問題ではなく、K-POPアイドルを取り巻く韓国内の社会的な目線や、韓国外での文化的・社会的なバイアスがある中での取り扱われ方、K-POP特有の濃密なファンとの関係性など、複雑な背景が絡み合っているように思う。会食中に何度もファンに対する感謝や「ネガティブにとらないでほしい」という発言が出たことは、ファンとアイドルの関係性がSNSを通じてダイレクトかつ濃密に思える時代の中で、ファンによる熱心な自主広報や応援の後押しの恩恵を誰よりも受けて人気や知名度を獲得してきたグループが、背後に背負うものの重さを感じさせるものでもあった。BTSのアルバムの内容自体、イレギュラーなリリースだった『BE』を除いて、韓国活動で最後に出た『MAP OF THE SOUL: 7』の収録曲のテーマにグループとファンの関係性を歌うものが多くなっていたことを振り返ると、“その先”について考える間もなく、柱であるはずの韓国での活動やリリースがない状況で、アメリカ活動における“欧米社会の中でのポップスター”を演じ続けることがメインになってしまう状況が続いたことでアイデンティティが曖昧になるというのは十分に納得できる。また、「曲に込めるべきメッセージやテーマがわからなくなった」「歌詞を書かなければいけないのに、今は絞り出さないと出てこない」という発言にも頷けるものはある。


 とはいえ、これらの感じ方もメンバーによって異なり、乗り越え方もそれぞれ違うはずだ。そういうズレや違いが補い合えない状態になるほどであれば、やはりそれぞれがグループよりも個人の活動に集中することはリセット方法のひとつとして有効なのかもしれないし、エンタメを生業とする“グループ”としては真っ当でよくある選択だろう。今回の「Yet To Come」では、「ON」以来2年ぶりの音楽番組での活動も積極的に行なっている。久しぶりの事前収録でのファンとの触れ合いや“エンディング妖精”など“ザ・K-POP”の現場を楽しんでいるメンバーの様子を見ると、新曲のメッセージはつまるところシンプルに「普通のK-POPグループに戻りたい」というようなことなのかもしれない。(DJ泡沫)


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