重くうねる低音が伝える「沖縄の苦しみと喜び」。沖縄ベースミュージック界の顔役、DJ NU-DOHが語る

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2022年09月14日 18:00  CINRA.NET

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Text by 大石始
Text by 山元翔一

ここは沖縄県・与那原町にあるBAR MOHICAN。国際通りから車でおよそ30分、沖縄のベースミュージック界の顔役ともいえるDJ NU-DOHが営むミュージックバーだ。

その一角には2台のターンテーブルとミキサーに大きなスピーカー、壁にはびっしりとヴァイナルが立てかけられており、店内はクラブ営業もできるくらい広い。しかしここがただのDJバーではないことは、沖縄民謡のレジェンド・大城美佐子の写真がさりげなく、そしてどこか恭しく飾られていることからも察しがつく。

われわれがBAR MOHICANを訪れたのは、「連載:#沖縄返還50年とウチナージャズ」の締めくくりとして、クラブDJの目線からDJ NU-DOHに沖縄のジャズの取材をするためだった。沖縄の民謡、ジャズ、そしてベースミュージックに共通して流れるスピリット、その背後にあるこの島を取り巻く政治、そして歴史……沖縄の「ソウル」といっていいかもしれない何かについて、文筆家の大石始とともに迫った。

これまでの連載で取り上げてきたように、沖縄のジャズは戦後この地がたどってきた複雑な歴史に翻弄されながらも、沖縄という地の風土のもとで独自の魅力を育んできた。そして、そこには時代やジャンルを超えたリアリティーがあった。

では、そのリアリティーとはどのようなものなのだろうか? 今回はとあるDJにインタビューを試みた。

DJ NU-DOH、沖縄島南部の与那原町生まれ。重低音が鳴り響くベースミュージックを通して沖縄の民謡・民俗芸能を再構築するユニット、Churashima Navigatorの中心メンバーだ。DJとしても長いキャリアを誇り、地元・与那原でBAR MOHICANを経営。沖縄クラブシーンの頼れる兄貴分として後進からも慕われている。

Nu-doh(Churashima Navigator / BAR MOHICAN)
1993年よりDJを開始。1996年に上京。AUDIO SUTRAなどでの活動を経て2004年から沖縄へ戻り、2005年から地元・与那原町で「夜の人間交差点」BAR MOHICANを営む。SINKICHI、堀内加奈子とのユニットChurashima Navigatorで『PLAY TIME FESTIVAL』(モンゴル)ほか多数のフェス等にライブ出演。シングル、アルバムリリース。2019年、イアン・シモンズのアルバムリリースツアーに参加。ワールドミュージック、琉球民謡好き。深みのある島人(シマンチュ)になるべく日々精進中。

沖縄のベースミュージック界で名の知れたDJ NU-DOH。そのルーツのひとつはジャズにある。

1990年代末から2000年代初頭にかけて彼がホームとしていた東京・青山のクラブ「BLUE」は、当時のクラブジャズシーンの中心地のひとつであった。ジャズのエキスパートであるDJ NU-DOHは、沖縄産ジャズにどのような魅力を感じ取っているのだろうか?

DJ NU-DOHがDJをはじめたのは1993年ごろ。沖縄のクラブシーンにおいて重要な役割を果たしながらも、2014年に惜しまれながら閉店した「火の玉ホール」が最初の舞台だった。

「当時はソウルやレゲエをかけていました。そのころ米軍基地のフリーマーケットで沖縄のレコードを初めて買ったんだよね。

子どものころはエイサーをやってたし、そこで流れてる音楽に触れていたけど、それぐらい。東京の友達に『沖縄の音楽っていいよね』って言われても当時は答えられなかった」

東京での活動を経て、2004年には沖縄へ帰郷。BAR MOHICANがオープンしてから民謡のディープな世界にはまっていく。

故郷の文化への関心が高まるなか、沖縄へ移住してきた京都出身のDJ / プロデューサー、SHINKICHIと出会い、Churashima Navigatorを始動する。

「最初はワールドミュージックの一部として関心を持ったんだけど、調べるほどこの島の歴史を知っていくわけじゃないですか。この島ってこんなにすごい島なんだという。そこから引き込まれていったのかな。最初は音楽的に関心を持っていたんだけど、少しずつ沖縄そのものと向き合わないといけなくなってきた」

Churashima Navigatorは沖縄民謡のレジェンドである大城美佐子の愛弟子、堀内加奈子をメンバーとしている。クラブ発のユニットでありながら、民謡の歌い手たちや関係者たちとのつながりも強い。そこにある思いについて、DJ NU-DOHはこう話す。

「そもそも民謡をエレクトロニックミュージックにしていいのかという葛藤がありました。何よりもオリジネイターの人たちに筋を通さないといけない。それが一番大変な作業だった。でも、そこから人と人とのつながりとか大切なことを学びました」

「沖縄って年上の人のことをすごく大事にするんですよ。ただ単に礼儀作法を重んじるということではなくて、先に生まれた人たちから何かを引き継ぎ、さらに次の世代につないでいかないといけないという思いが強いんです。ジャズのプレイヤーにもそういう意識はあると思う」

継承に対する強い思い――たしかにそれは、ここまでに話を聞いた上原昌栄や真栄里英樹の話からも感じとることができた。そして、DJ NU-DOHもまた、そうした思いを抱きながら音楽活動を続けてきたわけだ。

そんなDJ NU-DOHが沖縄産ジャズを意識するきっかけとなったレコードがある。与世山澄子の『INTRODUCING』(1983年)だ。

1940年生まれの与世山は若くして米軍基地内のクラブでジャズボーカリストとしてデビュー。1984年にはビリー・ホリディの伴奏者としても知られるピアニスト、マル・ウォルドロンとの共作『With Mal』を発表し、ディープな歌唱が高く評価された。いわばウチナージャズの象徴ともいうべきボーカリストである。

「(『INTRODUCING』に収録された)与世山さんの“Summer Time”はとにかく衝撃的だった。こんな演歌みたいな歌を歌える人が沖縄にいるんだと思って、強烈に惹かれました」

Nu-doh所有の与世山澄子『INTRODUCING』のレコード

もう一枚挙げるのが、山下洋輔のプロデュースによる国仲勝男『暖流 イントロデューシング国仲勝男』(1979年)。

「これも大切なアルバムですね。与世山さんもそうだけど、ジャズをやっていてもなぜか沖縄風に聞こえる。そこに興味が湧いたところでもあって。

沖縄ってこれまで日本や薩摩(鹿児島)、アメリカや中国、東南アジアとの交流があったうえで、すべてを沖縄流に昇華してきたわけですよね。たとえクラブミュージックであろうがジャズであろうが民謡であろうが、沖縄のものにしてしまう。それが特徴のひとつなんだよね。チャンプルー文化というか」

Nu-doh所有の国仲勝男『暖流 イントロデューシング国仲勝男』のレコード

もう一枚のフェイバリットが、屋良文雄カルテットの『南風』(1983年)。

屋良もまた米軍基地のクラブで活躍し、2010年に死去するまでウチナージャズを引っ張ってきたピアニストである。DJ NU-DOHは「どっちかといったら、ジャズでもスピリチュアルな感じが好き」だそうで、屋良にとって代表作のひとつといえる『南風』にはスピリチュアルジャズ的ともいえる深淵な響きが満ちている。

「このレコードにはオーラがあるんだよね。ピアノのタッチ一つひとつが素晴らしいし、こんな繊細な表現をする人が沖縄にいたんだと驚いた。“テイダヌファ”という曲があるけど、この曲名は(沖縄の方言で)『太陽の人』という意味。そういう曲名のつけ方もかっこいいよね。

(1曲目の“南風”を聴きながら)沖縄はこれまで背負ってきたものがあるし、屋良さんのピアノのなかにもどこか重たいものが含まれている。それが沖縄なんだ、という感じはする」

Nu-doh所有の屋良文雄カルテット『南風』のレコード

光と影が同居した音世界は、Churashima Navigatorにも共通するものだ。沖縄民謡のメロディーが前面に出ていても、その背後にはヘヴィーでダークなベースラインがうねっている。DJ NU-DOH自身、「言葉で表現しなくても沖縄の苦しみと喜びを音で伝えたいと思ってる」と話す。

いうまでもなく、沖縄は単なる南の楽園ではない。

全国的に見ても最低レベルの所得水準。つねに取り沙汰される基地の問題。近年、社会学のフィールドで沖縄の現状について調査が進められ、現代の沖縄社会の「影」についても注目されるようになった。だが、沖縄の音楽について語られるとき、その「影」はどうも忘れられがちという気がしてならない。

内地では「なんくるないさー(何とかなるさ)」という言葉がまるで沖縄のキャッチコピーのように軽々しく使われる。だが、「何とかなるさ」という言葉の前には、つねにどうにもならない現実が立ちはだかってきた。

沖縄の人々は古くから民謡や音楽を通じてそうした現実に立ち向かい、ときにはその苦しみから逃避してきた。屋良文雄のロマンティックなピアノのタッチひとつにも、そうした「影」のトーンが秘められているように思えてならないのだ。

本連載で幾度となく取り上げてきたように、2022年は沖縄の本土返還50年の年にあたる。そのことに対する思いを、DJ NU-DOHはこのように語る。

「『返還50年』といってもお祝いじゃないよね。自分たちはいま日本という国に組み込まれているけど、はたしてそれがよかったかどうか誰もわからない。

今後の50年のことも考えます。沖縄はいったいどうなっていくんだろうかと。いまも沖縄にはこれだけ基地があって、いろんな問題があるわけだけど、一方では基地があったからこそ、沖縄のジャズシーンが生まれたという面もある。何が正解かわからないけど、冷静に沖縄のことを見ていかないといけないよね」

現在、Churashima Navigatorは活動休止中。ただし、DJ NU-DOHは複数のプロジェクトを動かしていて、年内にはリリースも控えているという。

取材後、DJ NU-DOHは自身が制作したという新しい音源を聴かせてくれたが、それはとある民謡の大家が幼少時代に残した楽曲の強烈なダブステップ・リミックスだった。そこでは生きる喜びと悲しみ、苦しみ、すべてが渾然一体となっていて、ベースラインが鳴った瞬間、BAR MOHICANの壁がビリビリと震えた。

その重低音は、確かにウチナージャズと同じ地平で鳴り響いていた。
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