くるり 岸田繁×氣志團 綾小路翔、フェス主催アーティスト赤裸々対談 コロナ禍による中止から2022年の開催まで

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2022年09月16日 12:11  リアルサウンド

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綾小路翔、岸田繁(写真=池村隆司)

 海外アーティストの来日や現地での開催など、コロナの影響を受けた2020年以来、最大の盛り上がりを見せる2022年のフェス。リアルサウンドでは現在、その動向に注目した特集『コロナ禍を経たフェスの今』を展開中。その締めくくりとして、様々なイベントに出演するアーティストであり、自身の地元でフェスを開催するくるり 岸田繁(『京都音楽博覧会』主催)と氣志團 綾小路 翔(『氣志團万博』主催)の対談を行った。(編集部)


 2007年に始まった『京都音楽博覧会』と、二度のワンマンでの開催を経て、2012年から多数のアーティストが出演する野外フェスになった『氣志團万博』。自身で野外フェスをオーガナイズするミュージシャンは、コロナ禍以降の状況とどう向き合って来たのか。それを教えてほしいというのが、このくるり 岸田繁と、氣志團 綾小路 翔の対談の趣旨である。


 毎年開催している、地元で行うことが重要なテーマになっている、「近い音楽性のアクトが集まる」のとは逆で、「幅広いジャンルの音楽が一堂に会する」というブッキングになっている、など、実は共通項の多いフェスを運営するふたりは、お互いに腹を割って(というか割りすぎて、カットせざるを得ないことにまで話題が及ぶくらい)、本音で語り合ってくれた。(兵庫慎司)


(関連:【写真あり】岸田繁×綾小路翔赤裸々フェス対談


■『音博』と『万博』、それぞれのスタートの経緯


──この間、氣志團の対バンツアーにくるりが出ましたよね(2022年4月16日、Zepp Haneda)。お互いキャリアは長いですが、それ以前は接点はなかったんですか?


綾小路 翔(以下、團長):そう、この間初めて対バンさせてもらうまでは、本当に全然──。


岸田繁(以下、岸田):イベントで一緒になるとかはあったけど。


團長:でも自分の中では勝手に、すごくシンパシーを持っていて。僕たち、生年月日、1日違いなんです。


岸田:そうそう。歳も一緒で。


團長:デビューはくるりの方が早くて、僕らがバンドを始めた頃にはもう有名だったので、「ああ、同世代の人たちがあんなに活躍してるんだ」と思って。まわりのバンドはみんな、相当な影響を受けていたし、自分たちもすごく意識していて。対バンツアー、ずっとお声がけしてたんですけど、コロナで動けなくなってしまって。なので、やっと対バンが実現して、『氣志團万博』にもご出演いただける。いつもスケジュールがかぶっていたので。


──ああ、『京都音楽博覧会(以下、『音博』)』と『氣志團万博(以下、『万博』)』、どちらも9月の3連休の開催だったけど、今年は『音博』が10月9日になったから。


團長:そう、ここしかない! ってお願いしたら、ご快諾いただけて。うれしいです。


岸田:僕らも「やった、(オファーが)来たよ」って。


──『万博』は、最初はワンマンでしたよね。1回目の『木更津グローバル・コミュニケーション』が2003年、次の富士急ハイランド2デイズは2006年。


團長:はい。3回目で、みなさんを呼んでフェスのスタイルになってからは、今年で10回目です。


──『音博』の1回目は?


岸田:バンドの10周年にあたる2006年に、大阪のイベンターから、「大阪で野外イベントをやりませんか?」って言われたんですけど、「いや、京都出身なんで」みたいな感じで、京都府内、できれば京都市内でやりたいな、と。その年はとにかく「場所を探そう」ということで、親父とかにも協力してもらって。もともと京都市内って、鴨川とか御所とか山があるから都市公園が少ないんですよ。平安建都1200年の時に、新しい地下鉄を作って、京都駅を建て直して、貨物のヤードの空いている土地に、公園を作りましょうと梅小路公園ができたんですけど、近所の人が来るぐらいで、市民の認知度も低かったんですね。それで、いろいろ掛け合って、1年かけて準備して、とりあえず一回限りでやってみようと始めたんです。ブッキングも、呼びたい人を呼んだだけで。小田和正さんとか。


團長:すごいなあ……。


岸田:「話を聞きたい」って言われたから、事務所まで行って。脇汗ばんばんかきながら、小田さんとマネージャーに、「京都でこういうことをやりたくて」って話して。でもなんのこっちゃわからないじゃないですか? 小田さんは「で、おまえら結局、何がやりたいの?」って言いながらも「よくわからないけど、出るよ」ってOKしてくださって。他に、ルーマニアからジプシーの大所帯のバンドを呼んだり。


──アメリカとイギリス以外の海外からアーティストを呼ぶ、という感じでしたよね。


岸田:そうなんですよ、いわゆる洋楽じゃなくて。当日の天候はゲリラ豪雨が降ったりして、けっこう大変なことになったんです。トリの僕らの演奏時間を本当は50分取ってたんですけど、いろいろあって押して、20分ぐらいしかできなくて。


團長:ええー!


岸田:でも、お客さんが「来年もやって!」って言うてくれたから、その気になって続けちゃっています(笑)。


──團長は、最初の2回はワンマンだった『万博』を、フェスにしようと思ったのは?


團長:その頃、自分の中で、なんかモヤモヤしていたというか「世の中的に氣志團って必要かな?」みたいに思って、すごく落ちていた時期で。僕たちはべらぼうに歌唱や演奏がうまいわけでもないし、とんでもないヒット曲があるわけでもないけど、ライブには意味があるんじゃないだろうかと思っていたんです。でも世の中的には誰もそう思ってないかもしれない、という話から、だったら超ライブの強い人たちに勝負を挑んでみようと思って、まず対バンツアーを始めたんです。それで、いろんな人たちとやっていったら、打ち上げで一緒に飲んで盛り上がっていくうちに、土手で殴り合った後に「おめえ、やるな」ってなるような、奇妙な友情が生まれるようになって。アマチュアの頃からずっと孤立無援で来たんですけど、その対バンツアーのおかげで、次に会った時に、声をかけてもらえるようになったりして。それがたまらなくうれしかったんですよね。よっぽど孤独だったんでしょうね(笑)。


 で、友達ができたからみんなで集まりたい、だったらフェスをやればいいんじゃない? っていうだけのことで。単純(笑)。スタッフが会場としてアクアラインの最初の出口の近くにある袖ケ浦海浜公園を見つけたんですよ。見に行ったら大きすぎず、海やアクアラインも見えるから、田舎だけどある意味いいロケーションも良いかもしれないねって。ただ、会場周辺の住人が漁師さん達っていう問題があって。皆様はめちゃくちゃ早寝だから。


岸田:ああ、そうか。


團長;すごく交渉して、20時まで音出しOKになったんですけど、いまだに「そろそろ寝んぞ!」って電話は時々。ホント毎度すみません(笑)。でも大きかったのは、和田アキ子さんが来てくださった時(2014年)。どんな人気者が出ても興味を持たなかった方から、その年は「アッコさん来るんだって? 大したもんだね」なんて言われて、周囲が少しやわらかくなった。「国民的なスターってすごいな」と改めて思いましたね。アッコさんはじめ、皆様ありがとうございます(笑)!


──『音博』も、石川さゆりさんが最初に出た時は(2009年)──。


岸田:やっぱり音の問題で苦情は来てました。今は建て直してホテルになったんですけど、近くにJRの官舎のビルがあって、そこの住民からは会場が見えるんですよ。だからみんなベランダから観ていて。僕らがサウンドチェックしてる時は、苦情の電話が鳴るんですけど、さゆりさんや小田さんやと一切鳴らない(笑)。さゆりさんを呼んだことは、一つトピックになりましたね。一切そういうフェスやイベントに出なかったのに、僕らの妄言に乗って「出ようかしら」って言ってくださって。


──どうやって口説いたんですか?


岸田:普通にお声がけしました。オファーを喜んでいただけたみたいで、ご快諾いただいて。「どうせやるなら」と、すごく丁寧にやってくださったんです。どういうことが求められているか、具体的にお話ししていないのに、バチッとわかってくださって。1曲目に「津軽海峡・冬景色」を──。


團長:うわ、すげえ。


岸田:それも、とんでもない演奏で。『紅白』に出る時みたいなオーケストラつきのフルバンドで、ドラムのカウントからダーンとイントロが始まった時の、お客さん全体のバイブスが、もうヤバすぎた。「あ、もう勝ちや!」と思って。あの曲、イントロが二段階あるじゃないですか。二段階目で、さゆりさんが袖からマイクを持って出てきて、歌い出した時はもうすごくて。そのあとにくるりやったんですけど。くるりのライブ、憶えてないです(笑)。それぐらいすごかった。


團長:(笑)。想像するだけで鳥肌立つ。


岸田:逆に和田アキ子さんのブッキングは?


團長:僕はジャンルとかよくわからずに、音楽は手当たり次第なんでも聴いて育ってきたところがあったから、アッコさんも大好きで。大人になってから、みんながジャンルとか世代で聴いていない音楽があることを知ってびっくりしたんです。そこで、いろんなジャンルや世代のモンスターたちがゴロゴロいるんだぜ、っていうことを伝えなくてはならないという謎の使命感に駆られて。その時に、和田アキ子さんのベスト盤を久々に聴き直して「やっぱりすげえな!」と。それで、もしかしたら出てもらえるのは今が最後のチャンスかもしれない、と思ったんです。オファーしたらスタッフさんたちは大喜びしてくれたんですけど、アッコさんご本人が「いや、そんなん、したことないから」って。自分はこれぐらいのキャパシティの会場でしか歌ったことがないし、ましてや屋外は経験ないからちょっと、っておっしゃっていたんですけど。


──キャリアと立場を考えると、何十年もやってこなかったことを、急にやれと言われてもできないというのは分かります。中途半端なパフォーマンスはできないでしょうし。


團長:だからスタッフさんたちに必死でお願いして「前日にリハーサルの時間もお取りします」と。で、人生初のイヤモニをつけてもらって「なんやねんこれ、わからへん!」とおっしゃいながらもやってくださって。やっぱり本番はすごかったですね。the GazettEやHYDEさんを観に来たファンの子たちも泣いてましたから。きっとアッコさんにも楽しんでいただけたんじゃないですかね。そのあたりから、他の大御所の方たちも「おもしろそうだね」と出てくださるようになりました。そういう意味では第一回に出てくださったキョンちゃん(小泉今日子)も大きかった。彼女が「楽しかったよ」とおっしゃってくださっていたことを聞いたことでオファーを受けてくださった方もいました。


■“フリーザ”を倒したと思ったら、2020年はまさかの“魔人ブウ”登場?


──で、そんなふうに毎年続けてきたフェスが、コロナ禍で2020年に止まりますよね。


岸田:團長の話をきいて思ったんですけど、ちょっと似てるなって。氣志團も、僕たちも、自分がライブをやりたいっていうよりは、集まってくれたお客さんが知らないものとか、こんなにおもしろいのがある、っていうのを届けたい。『音博』の場合、フェスって山奥まで行かなあかんって思ってたけど、そうじゃなくて、近いところでそれを楽しめるっていうことを提供しないといけない(※2019年までは毎年京都・梅小路公園で開催。2020年、2021年はオンライン開催)。それをある程度のキャパシティの中で運営しないといけないから、かなりブッキングもシビアになる。石川さゆりさんを呼んだりすると、来年どうするかっていうのが……(笑)。


團長:そうそう! ほんとに!


岸田:「さっきフリーザやっつけたとこやん!」みたいな。強さのインフレになってきて、気楽にできなくなってきてたんですよね、年々。だから2020年、開催できなくなった時、正直に言うとそういう悩みから解放された、という気持ちが僕はあって。


團長:ああー……。


岸田:『音博』は11,000から12,000キャパなんですよ。本当だったら2日間開催しないといけないんですけど、それができない。パブリックな公園を、設営や撤収も含めると、数日間閉めきっちゃってますから。だから、実は商売としては効率が良くなくて。集客はどうしてもブッキングに左右されるから。けっこうシビアなんですよね。


團長:うん、うん。


岸田:やっぱり相当プレッシャーだった。で、2020年は僕らもツアーが全部飛んじゃったりして、自分たちの活動の計画とか、生活を変えないといけない、と、メンバーとスタッフで話し合って。その時、というかコロナのちょっと前ぐらいから、たとえば「Tiny Desk Concert」とか、「Apartment Sessions」とか、企画っぽい演奏動画配信っていうんですかね。そういうのに興味があったんです。お客さんを入れての興行が無理っていう時点で、ライブの体を成していてもしかたがない、と。音楽って、実際に作られていく過程がおもしろかったりする部分もあると思ってるんで、じゃあそれを見せるか、とか、いろいろアイデアを出して。とりあえず2020年は、くるりが演奏すると。僕も作曲家として、オーケストラが演奏する曲を書いたりしてたんで、小規模な室内楽オケぐらいの編成を組んで、そのために曲を書いて。京都の拾得っていうライブハウスで、2階の楽屋まで使って、パーテーションを組んで、演奏のシステムを作って、シンガーのゲストを何人か呼んで。せっかくなんかやるんだったら、新しいことをやらないと、と。当時は止まったら死にそう、みたいな感覚があったんです。


團長:そうですね。


岸田:ライブハウスも営業が止まっているから、こっちから働きかけて。本来一緒に『音博』をやる予定だったイベンターも、全面的にいろんな協力をしてくれたんで、ありがたかったですね。翌年も、実地での開催を検討はしたんですけど、みんな気持ちや体力やいろんなものが追いつかなくて。あと、J-LODとか、いろいろな援助ですね。どうやって集金するかってことも、いまだに考え続けてるんですけど。パトロンをつけるか、とか。でも、自分たちが音楽をやって、魂をお客さんの前でバッと燃やしてお金をもらうことから、やっぱり逃れられないっていうか。であれば、もう割り切って、公開レコーディングに近いものをやろうと。最新アルバム(『天才の愛』2021年4月28日リリース)は、ライブを想定せずに作ってるんですけど。それを再現するのは、普段のライブの現場では無理なんで、動画配信で、母校の立命館大学でやりましょう、と。


──では團長、同じ質問ですが──。


團長:我々は、2019年、開催の1週間前に千葉県に台風が激突しまして。僕も友達の家の屋根が飛んだのを見たりとか、すさまじい被害があったんですよね。それでも、すごく悩みつつ開催したんです。で、「あ、これか、炎上って」ということを知って。僕、それまでInstagramのDMを知らなかったんですけど、「なんだろう、これ」って見てみたら、信じられない数の人たちから、信じられないほどの罵詈雑言が届いていて。それでも、いろいろ考えて行政の方たちとも話し合いながら開催したんですけど。誤解を恐れずに言えば、今開催することで問題になるのって、気持ち的なことだけだな、って思って。


岸田:ああ。


團長:もし僕らがなんとなく配慮して中止にしたら、この日のために準備をしてくれていた方々すべてが相当なダメージを受けてしまうだけだな、それって本当に幸せなことなんだろうか、と考えて。それで、みなさんの心を波立たせないように、なんとかがんばって開催しよう、と。結果的に、開催したおかげで、出演者のみなさんのご協力もあってたくさんの寄付金にもつながりました。これまでもいろんなピンチがあったけど、なんとか乗り越えた、ついにフリーザを倒した、と思ったら、2020年はまさかの魔人ブウ登場(笑)。


岸田:はははは。


團長:「あれより大変なこと、あるの?」って。天災をなんとか乗り切ったと思ったら、コロナというどうにもならないものがやって来た。でも、僕も実を言うと……「良かった」って、ちょっと思ってしまったんです。


岸田:うん、うん。


團長:『万博』に限らずなんですけど、メンバーたちもいるし、何があっても自分が「なんとかなるから頑張ろう」って言ってやってきて。「ノー」とか「歩くのを止めたい」って言う選択肢が、自分自身になくて。ただこうしてコロナ禍があったから気づけたんですけど、「あ、けっこうヤバかったのかな、俺」みたいな。コロナ禍がなければ、絶対に言い出せなかった……というか、自分から言い出すという発想もなかった。だから自分のせいじゃなくて全部が止まる、っていうことに正直言うと救われて。


岸田:同じやなあ。


團長:「そうか、なんにもしなくていいのか」って思って。ずーっと何かに駆られている感じがあったんですけど、本当に人生で初めてずっと家にいた。僕は中学生ぐらいから全然家にいなかったんですけど、初めてぼんやり家にいて。実を言うと、この何年も僕、“ビジネスバンドマン”みたいになっていたんです。アルバムを作りますとか、タイアップがつきましたっていう時にだけ、曲を書く、みたいな。でも本当になんにもしないでいたら、曲を作りたくなって。そんな時にたまたま、フジテレビの仲のいいスタッフさんたちから「『家フェス』っていう特番をやることになったから協力してくれないか、音楽をやっている人がMCの方がいいと思う」って言われて。それで、バンドでも集まれない雰囲気の時期だったんで、僕も知り合いのミュージシャンたちに声をかけて家で演奏している映像を送ってもらって。それを観ながら僕がしゃべるという番組をやったことが、その時ものすごく自分の力になりました。


岸田:なるほど。


團長:スタッフを集めなきゃできないとか、バンドがいなきゃできないとか、そんなことないんですよ。普段はバンドでやっている人たちが、ただ鍵盤やギターを弾きながら歌う、しかも家で。それがすごくかっこよかったんですよ。「ミュージシャンってすごいな、なんにもなくてもこんなことができるんだ」と思ったら……それまで、今年は『万博』から逃れられる、と思ってたんですけど、「何かやらなきゃ」って思って。自分風情の音楽で人を救えるわけなんてないと思っていたんですけど、その時自分は音楽に救われたんですね。なので、2020年は「オンラインで何かできないだろうか」ということで、ちょうどZepp Hanedaができたけどコロナでまったく使えない、という状態だったので、じゃあ貸してもらおうと。それで『オンライン万博(氣志團万博オンライン2020 〜家でYEAH!!〜)』をやってみたんですよね。で、2021年はこのままいけばできるだろうと思ってたんですけど、より大変なことになってしまって。


岸田:うん。


團長:『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』が地元の医師会に反対されてできなくなっちゃったりとか、開催した『FUJI ROCK FESTIVAL』に否定的な意見があったりとか。それまでは「何があっても前に進もうぜ」っていう思いがあったんですけど、2021年は「これは前に進むべきではない」と思ってしまって。コロナの影響でいろいろと規制が入り始めて、急遽フェスの規模を縮小しなきゃいけなくなったんです。つまりは、声をかけたバンドのうち半分くらいを断らなきゃいけなくなって。最終的にそれが理由で「いや、無理!」ってなりました。誰かにごめんなさいとお断りして、誰かに出てもらうのが、どうしてもできなくて。これは前に進んでも、気持ち良くいかない気がする。だから2021年は開催をやめました(※11月にWOWOWでのオンエアーフェスとして『氣志團万博2021 〜ひとりぼっちの暴走 in 房総〜』を放送)。


■“バラエティに富んだ”ブッキングは直接的には集客につながらない


──では今年、2022年はいかがでしょう?


岸田:2020年、2021年と開催できなくて、「2022年、できるかなあ」って言ってたら、「あれ、できるんちゃう?」みたいな感じで準備を始めたのが、今年に入ってから。ただ、ブッキングは例年以上にすごく苦労しました。


團長:うん、うん。


岸田:みんなそれぞれやっぱり、思うところがあるんですよ。僕が尊敬しているあるアーティストの方にも声をかけたんですけど、「自分は今この現状で、フェス出演に関してはこう考えているから。こういう事情や関係とかもあるから、今年は出られない」って。それが、自分にとっては大きくて。だいたい、「あ、ここに出るからここには出ないんですね」とか、「このアーティストは次にこういう動きをするから、今年はこうなんですね」とか、傾向とかがあるし、長く業界にいるとなんとなくわかるじゃないですか。今はそれがそれぞれの事情になってきている、というか。だから、実はこんなにブッキングに苦労した年はない、っていうぐらいです。


團長:僕らは、一昨年に声をかけたけど、かなわなかった方たちを中心にブッキングしました。みなさん「もちろんだよ」と言ってくださったんですが、やっぱりそれぞれの予定が変動しまくっていて。ツアーが飛んで、ブッキングし直して、やっと動けるようになったから、みんな同じ時期にツアーが入っていたりとか。まさに今年の9月17・18・19日も、各地でフェスがいっぱいあるので、そういう意味でも大変で。あとは、うち的にいちばんの問題は、メインスポンサーが下りてしまったこと。


岸田:ああー……。


團長:やっぱり、協賛いただいている企業さんたち、どこもこの2年きつかったんだろうな、って。あと、外資の会社は戦争でダメージを受けていたりとか。


岸田:ああ、ありますよね。


團長:だからとにかく本当にみなさん来てください! っていう感じなんですけど(笑)。あと『氣志團万博』が何年も大変だったのは「バラエティに富んだ」って言われるブッキングが、実は直接的には集客につながらない。


岸田:そうですよねえ。


團長:武道館クラスの人が10組出たら、100000人来るかと思ったら集まらない。それより、普段500人キャパでやってるけど、熱い仲間たちが10組集まったら余裕で20000人来る、っていうふうに、ジャンルがしっかり決まっている方が直接集客につながる。そりゃあ全国各地のフェスのメンツはこうなるよね、って。各地のフェスを見ていると、ターゲットも20代から30代前半までって決めてるんだろうな、っていうラインナップですしね。もしくはそうじゃないキャンプ系のフェスとの2種類に分かれていて。そんな中で、「でも、おもしろいアーティスト、いっぱいいるんだけどなあ。みんなにいろんなものを観せたいなあ。僕は子供の頃に、よくわからないままいろんなものを聴いていたおかげで、今こんなに人生豊かだよ?」っていう、おせっかいなんですよね。


岸田:そう、僕らも同じです。


團長:ようやくこの数年間で、それを楽しんでくれるお客さんが増えてきた。「誰が出るかわかんないけど、今年も行こうぜ」みたいな。2年空いた分、「待ってたよ」って言われる機会が増えて。前は「メンツによっては『氣志團万博』、干す」って言われることもあったんですけど(笑)。


岸田:はははは。


團長:でも今回は「帰って来てくれてありがとう」と思ってもらえてることが嬉しくて。2年できなかったのも、悪かったことばかりじゃないなって思いながら、間もなく開催を迎えます。


──では最後に、フェスをオーガナイズしているミュージシャン同士として、お互いに聞いておきたいことがあれば。


團長:僕の方から聞きたいのは、やっぱりブッキングですね。それこそミスチル、どうやって呼べるんだろう? って。


岸田:対バンに一回誘われたんですよ。


團長:なるほど!


岸田:誘われたのがけっこう意外で。僕は「売れてる人、なんか怖い」って、いまだに思うんですけど(笑)。


團長:うん、うん(笑)。


岸田:でも、呼ばれて行ったら、すごくホスピタリティが良くて。僕らは超アウェイでしたけど、まずお客さんがあったかい。さらにミスチルは演奏が終わって打ち上げで一緒に飲んでくださって。で、僕らがハイエースで会場から出る時に、考えられないくらい出待ちのお客さんが待ってるわけなんですよ。もしかしてミスチルと間違えられてるかもと思ったから、窓を開けて「くるりです」って会釈したんですよ。ほんならもう、全員整列して「ありがとうございました!」みたいな感じで。本当にいいファンがついていて。それもあったんで『音博』でお声がけさせていただいて、僕らが一回出たからなのかOKしてくださって。ライブもすばらしかったです。


團長:そうか、まずミスチルから声をかけられてるんだもんね。そこだな! 僕、JEN(鈴木英哉/Dr)さんしか知らないんで。JENさんに相談すると「翔やんごめんな……俺、権限ないんだ……」しか言わないんですよ(笑)。


岸田:でも『万博』も大物の方、いっぱい出てるじゃないですか。


團長:うちは基本バカみたいに何も考えずにチャイムを押すっていうことを、ただくり返し続けて来ただけです。「あれ? あいつこないだ追い返したのに、なんでまた来たんだろう?」っていう。


岸田:はははは。


團長:ダメって言われても、「来年は?」「いや、来年の予定はまだ出てないんで」「じゃあまた来年来ます」みたいなことをくり返し続けて、何回目かでちょっとだけドアが開いた瞬間に、新聞の勧誘のおっさんみたいにバンと足をはさんで、「すみません、お話だけでも!」みたいな(笑)。あとは超遠いところから攻めたり。


岸田:ああ、ああ。


團長:わらしべ長者のようにつないでいってもらって辿り着くとか。それしかないなあ、と思って(笑)。


岸田:まったく一緒ですね(笑)。


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