いま、ロックスターには何が求められている? マネスキンが語る、ステージに立つ人間としての使命と役割

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2022年09月16日 18:01  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by つやちゃん
Text by 伴野由里子
Text by 安江幸子
Text by 岩元崇

初来日での単独公演、『SUMMER SONIC』での熱狂、テレビはじめ各種メディアへの出演など、この夏、日本ではMåneskin(マネスキン)旋風が吹き荒れた。怒涛のステージとパフォーマンスを見せ、風のように去っていった彼らに対し、「Måneskinロス」を叫ぶ声も多く聞かれている。

たしかに、凄まじいパフォーマンスだった。「バンドが発するメッセージ」と「音楽が発するグルーヴ」が渾然一体となって空気を掌握していく様子は、感動を通り越して笑いがこぼれてしまうようなダイナミズムにあふれていた。言葉で言うのは簡単だが、「メッセージとグルーヴが渾然一体となる」パフォーマンスというのはなかなか目撃できるものではない。彼ら・彼女らの、形式にとらわれない確固たる思想、柔軟性や持続可能性といった価値観はそのまま「強くて柔らかい」ともいうべきサウンド / 音楽性に反映されていた。

たとえばロックの様式にヒップホップのファンキーなグルーヴ、ラップ調の歌唱を導入した事例といえば初期のRed Hot Chili PeppersやArctic Monkeysが想起されるが、そういったハイレベルな折衷に加え、2010年代以降に顕著になった(ラッパーに象徴される)思想や価値観をダイレクトに楽曲の機微へと落とし込むムードとも地続きではないだろうか。

その点、仮にロックを「さまざまな音楽を吸収し折衷することでかたちを変え続ける中心不在の音楽」と定義づけるならば、いまMåneskin以上にロックなアーティストもいないだろう。さらに言うならば、これら禅問答のような評を喚起する懐の深さを持ち得ながら、一聴するとダイナミックなそのサウンド自体が極めて本来的なロックミュージック然としている。

今回は、Måneskinのメッセージとグルーヴについて、背景にある文脈を探るべくインタビューを実施した。初の単独公演の翌日、『SUMMER SONIC』を控えた4人の、熱のこもったリアルな声をお届けする。

Måneskin(マネスキン) / 左から:イーサン・トルキオ(Dr)、ダミアーノ・デイヴィッド(Vo)、トーマス・ラッジ(Gt)、ヴィクトリア・デ・アンジェリス(Ba)
イタリアはローマ出身のZ世代4人組バンド。メンバーは小学校低学年からの知り合いで、一緒に音楽をやるようになったのは4人が高校時代の2015年から。影響を受けたアーティストはブルーノ・マーズからArctic Monkeysを経てRed Hot Chili Peppers、ハリー・スタイルズまで。2021年5月、ABBA、セリーヌ・ディオンを生んだヨーロッパ最大の音楽の祭典『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト2021』(5月22日決勝大会)に出場し、メンバーが作詞・作曲を手がけた“Zitti E Buoni”を披露し見事優勝。毎年約2億人が視聴すると言われる同コンテストでイタリアのアーティストが優勝するのは31年ぶりの快挙となった。これまでに3枚のアルバムをリリースし、2022年8月には豊洲PITの単独公演、『SUMMER SONIC』で初めての来日を果たしている。

―昨日の単独公演、素晴らしかったです。最後に「Amazing Crowds!」とおっしゃっていたのが印象的でした。世界中を飛び回ってギグをするあなたたちの目に、日本の観客はどのように映りましたか?

ダミアーノ(Vo):日本の観客は、曲の最後の最後まで拍手しないとかあまり騒がないとか聞いていたんだけど、実際はみんなすごくエネルギッシュで熱意を感じた。

めちゃくちゃ歓迎されている気がして嬉しかったよ! 日本でやった最初のコンサートということで、いつまでもポジティブな印象を持ち続けると思う。

―ということは、他の国と比較してそんなに違いは感じられなかったということでしょうか。

4人:(口々に)ノー。

ダミアーノ:ノーと言えるね。

―たしかに、単独公演はすごい熱気でした。ライブではロックスター然としたあなたたちの存在そのものに加えて、バンドサウンドの迫力、音の厚みがとても印象に残りました。ギターとボーカルが音域を食い合わないように棲み分けされていますよね。ダミアーノのボーカルが比較的低めの音域で、声を張り上げなくてもセクシーでかっこいいからこそ、ギターも中高域で存在感を示し続けられると感じました。

ダミアーノ:それはサウンドエンジニアが最高だからだよ(笑)。

一同:(笑)。

ヴィクトリア(Ba):ベテランのエンジニアがやってくれているからね。

ダミアーノ:そうなんだ。あとは単純に、バックアップトラックは使わず、(楽器の)3人だけですべてが回るようにしているからすごくタイトに聴こえるんじゃないかな。

ダミアーノ:それから、ポップスみたいに声があちこちに散らばらないようにもしている。メンバーはそれぞれがバンドに貢献している重要な存在だからこそ、全員に「スポットライトが当たる瞬間」があって、それをみんなに見てもらえるようにしている。

トーマス(Gt):俺たちの曲の構造はライブに向いてるんじゃないかな。ベース、ギター、ドラムス、ボーカルのミックスが、いい組み合わせになっているんだと思う。曲を書くときもライブを念頭に置いて書いている。そのほうがオーディエンスとコネクトできるからね。

ヴィクトリア:あと、ほとんどの曲をライブバージョンで変えているのもある。構造を変化させたり、新しいパートを入れたりね。

―特に、観客はギターサウンドに反応し熱狂していたように見えました。ギターのサウンドは、なぜ人々を熱狂させると思いますか?

この質問の際、4人は「ふふふ」と笑いながら聞いていた

トーマス:日本のリスナーはロックに夢中な人が多いよね! どうしてかはわからないけど、昨夜はそう思った。エレクトリックギターはロックの歴史のなかでもアイコニックな楽器だから、バンドらしい音として認識してくれているのかも。もちろん俺たちにはそれ以外にもいろんなテイストの曲があるけどね。

ヴィクトリア:昨日はギタリストが大きなアクションをするとみんな「イエーイ」って感じで盛り上がっていたけど、ベーシストがやっても誰も気づかなかったよね!(爆笑)

―気づいた人もいたと思いますよ(笑)。

ダミアーノ:そうだよね(笑)。

ヴィクトリア:ジョークだってば(笑)。

トーマス:でも、たしかに俺の前にはたくさんのファンがいた。「オー、イエー!」って感じだったよ。みんな本当にロックミュージックに夢中なんだなと思った。

ドイツでも『Rock am Ring』ってフェスに出たときに同じことを思った。彼らもロックミュージックが大好きだからね。昨日はドイツと同じエネルギーを感じたよ。

―みなさんは、楽器やマイクをまるで自身の身体の一部のように扱いパフォーマンスされますね。クールに楽器を演奏するミュージシャンも多いなかで、Måneskinのその身体感覚はどのようにして身についたのでしょう?

ヴィクトリア:自由を感じてその瞬間を楽しんでいれば、自然にあんな感じになるんだと思う。昔から、あれが私たちのステージアクション。

私たちがいまよりずっとシャイで、お客さんも3人くらいしかいなかった頃から、フィジカルで音楽を演奏しているという感じだった。もちろん場数を踏むごとに自信もついてきたけど、自分たちで計画したり強制したりしていることじゃなくて、自然にあんな感じになるんだよね。

ダミアーノ:多くの場合はギタリストやベーシストもコーラスをやるから、カメラの前にいないといけないのかもしれない。幸いこいつらは音痴だからね、コーラスはいらない。だから動けるんだよ(笑)。

ヴィクトリア:(笑)。

イーサン(Dr):まぁ、一般的にはプレイしているパートが難しすぎて動けない人もいるけどね!

―ダミアーノのボーカルは、クラシックロックの力強い発声やオペラ的な歌唱、音数を詰め込んだラップ的歌唱を取り入れたりと、唯一無二のスタイルがありますよね。また、サウンドもときにファンキーでグルーヴィーです。さまざまな影響を吸収しつつ、どのような試行錯誤を繰り返していまのオリジナルな音楽性にたどり着いたのでしょうか。

ダミアーノ:オリジナルでいる唯一の方法はオーセンティック(本物)でいること。そしてオーセンティックでいる唯一の方法は、無理にオーセンティックになろうとせずにやっていくことだと思う。

ダミアーノ:「オーセンティックにならなくちゃ、こうならなくちゃ、ああならなくちゃ」と思ってしまったその瞬間から、もはやオーセンティックではなくなってしまう。

イーサン:俺たちはあまり「俺たちのオリジナリティーって何だろう」って意識していないんだ。というのも、全員好きなものがはっきりしているんだよ。

ヴィクトリア:うんうん。

イーサン:欲しいものもはっきりしている。そんな感じだと自然にオリジナリティーが出てくるんだよね。だから、決断するんじゃなくて、自分たちが望むことをやっていたら自然についてくるものだと思う。とてもシンプルな話。

―歌唱法についてはいかがでしょうか。現代のポップミュージックにおいては、自分の声の生々しさや性別をぼかすために、声を割れさせたりオートチューンなどを使ったりするミュージシャンも少なくないですよね。Måneskinはそういったアプローチとは真逆の表現をされています。

ダミアーノ:俺は、ボイスエフェクトは楽器みたいなものだと思っているんだ。それが、曲のスタイルやジャンルと合っていれば利点になる。もちろん、歌い方を心得ていることが大前提だけどね。

エフェクトというのは、使う先が楽器だろうと声だろうと、然るべきときに然るべきかたちで使えば、曲の存在感を際立たせるのに役立つと思う。だから俺たちは別にエフェクトを否定しているわけじゃない。

―Måneskinの音楽には生の声が合う、ということですね。

―ファンキーでグルーヴィーな演奏についてはいかがでしょうか。リズム隊はどんなところからインスピレーションを得ているんですか?

ヴィクトリア:インスピレーション源は、すごく多彩。

たとえばイーサンはファンキーな音楽が大好きだけど、私たちはある意味ダンスミュージック的なフィーリングも取り入れようとしているしね。それらを生の楽器でプレイするとビートが動き続けてエネルギーが生まれて、よりロックでアグレッシブなものになる。

いつもグルーヴィーでダンサブルなサウンドにしようとしているんだよね。そうすることによって曲のなかにさまざまな動きが生まれる。DJがビートをミックスするような感じ。

―DJがビートをミックスするように、というのは面白いですね。というのも、TikTokでMåneskinの音楽が数秒切り取られる際、非常にアテンションを惹きやすいように感じるんです。まさにバンドがストリートライブで培ってきた、人の足を止めるスキルがTikTokでも発揮されているようにも見受けられます。みなさんは、音楽において人の関心を惹くために最も必要なことは何だと思いますか?

ダミアーノ:オーディエンスがそのとき何を感じているかを察知する力かな。その瞬間に何を必要としているか、何を欲しがっているか。オーディエンスをちゃんと見て、彼らが何に反応しているのか、どう身体が動いているのか、インストゥルメンタルのパートにはどう反応しているかをきちんと捉えるんだ。

目の前のオーディエンスに適応することは大事だと思うんだよ。自分がこの部屋でプレイしていて、オーディエンスがきれいな恰好をして座っていたら、ワイルドになっても場違いだと思うしね。逆にフェスだと酔っ払ってシャツを脱いで叫んでいる人も大勢いるから、バラードなんてやっても退屈させちゃうし。

―あなたたちは、パフォーマンスを通して自由を謳歌し自分らしさを解放するという態度を表現していますね。実際、そういった部分に影響を受けているリスナーは多いですか?

ダミアーノ:ときどき、ファンから直接聞くことがあるんだ。俺たちのおかげで両親や友だちにカムアウトできたとか、男性がメイクやネイルをしたり、女性的な服装をするようになったとか、音楽のレッスンを受けるようになったとかね。

そういうことを言ってくれるファンがたくさんいる。すごく満たされた気分になるよ。なぜなら、明日メンバーが楽器の演奏の仕方を忘れてしまったり、俺が歌い方を忘れてしまったりしたとしても、俺たちはすでに何かを人々に遺したことになるからね。

―それは素晴らしいですね! Måneskinを聴いていると1960年代末〜70年代のロックを思い出したりもしますが、当時はフェミニズムや政治運動において現在と近い盛り上がりがあった時代です。当時は若者のなかに社会規範に対する反骨精神や革命意識があったとされますが、いまMåneskinが表現している態度にも、反抗や革命といったニュアンスはありますか?

ヴィクトリア:異なることはないんじゃないかな。当時の若者たちが闘っていたものの多くは、いまこの時代にもあると思う。いまも、そういう精神を力にして突き動かされているアーティストやリスナーはたくさんいるはず。

何か間違っていることや不正義があったらそれに対して声を上げて、変化を起こす。いまこの手のトピックスに興味を持っていて何とかしたいって思っている人は多いし、反骨精神がその人のいろんな面を引き出すことになっていると感じる。

納得いかないことや話し合いのなかで自分の考えが発展していって、それを自分の音楽なりプロジェクトなりアートなりで表現しているんだよね。

―思想や価値観の面では、イタリア出身のあなたたちと近年のGUCCIの共通点についても伺いたいです。今年リリースされた“SUPERMODEL”ではGUCCIの衣装を着用したミュージックビデオが話題になりましたね。メゾンの表現にはシンパシーを感じますか?

4人:(口々に)イエス。

ダミアーノ:あのコラボは絶好のタイミングで生まれたと思う。俺たちは知らないうちに、スタイル的に同じ方向に向かっていたような気がするんだ。いいことだし、ラッキーだったよね。

ヴィクトリア:表現の裏にあるビジョンの多くがすごく似ている気がするんだよね。「もっと華やかに!」という姿勢やアイデンティティーがあって、独特のジェンダーのノーム(規範)や衣服のノームを持っているところを私たちも楽しんでいるし、パーフェクトなミックスだと思う。

あと、多くのブランドはいまも「これはウィメンズコレクションだから男性が着てはいけません」とか「これはメンズコレクション」とか、とても厳格なんだよね。でも、GUCCIは私たちに完全な自由を与えてくれる。私たちが思いのままに着ていてもステレオタイプを気にしないしね。

旧態依然とした名残はまだまだファッション界には根強く残っているけど、彼らはそれに反してとてもクリエイティブ。だからこそGUCCIはたくさんあるブランドのなかでも、ずっと存在感が際立っているんだと思う。革新を重ね続けて、毎回とてもクールなものを生み出している。

“SUPERMODEL”で着用したGUCCIの衣装に身を包むMåneskin / Photo by Francis Delacroix

―Måneskinのアティチュードは「自由のままに、やりたいことをやるんだ」という熱量の高い表現に宿っていますよね。ただ、その自由さを追求するのは、ときに困難なことでもあります。もし『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』をきっかけに現在の成功を収めていなかったとしたら、いまの自分たちの信じるままの表現を追い求めていると思いますか?

4人:もちろん(口々に即答)。

ヴィクトリア:逆もあり得ると思う。成功していてもむしろ自分のやっていることに疑念が出てきたりとかね。

それから……私たちはいまも強い信念を持っているし、自分たちにとって何が正しいかわかっているけど、駆け出しで4人しか頼れるものがなかった頃は誰も意見を言ってくれなくて、自分たちの考えたことがすべてだった。だから、自分が正しいと思ったことをやって我が道を行くことが楽だったの。

ヴィクトリア:でも成功するといろんな人たち――ともに仕事をする人たちだけじゃなくて、ファンやオーディエンスのリアクションもあるから、できるだけ多くの人を喜ばせようと考えるかもしれない。

自分の気持ちだけじゃなくて、考えないといけないことがたくさん出てくるのは当然だよね。そのバランスをいかに保つかが大事なんじゃないかな。もちろん他の人たちの意見にも耳を傾けつつ、自分自身のパーソナリティーを手放さないこと。成功してからのほうが大変のような気がする。

―かつてのポップスターやロックスターは、高揚 / 鬱屈、創造 / 破滅……といった自身のなかの相反する二面性に苦しめられてきました。あなたたちにも、そういった二面性はありますか?

ダミアーノ:思うに、二面性というのは誰にでも何らかのかたちであるんじゃないかな。特に昔は、注目を得たいがためにメディアがそれを強調していた気がする。「誰それは天才だけどクレイジーでもある」なんて言ったほうが魅力的だろうし。

でも100%自分を出し切るためには、メンタルが健康じゃないといけないと思う。俺たちはそういう状態を目指しているんだよ。できるだけ心をクリーンな状態に保って、そのときやるべきことにフォーカスするようにしている。

ダミアーノ:もちろん俺たちだって他の人たちみたいに気分のアップダウンはあるけど、クレイジーで鬱なクリエイティブアートのストーリーは「ファンタジー」にしておきたい。

メンタル的に苦しいときは仕事もうまくいかないと思う。心が囚われてしまって自由な状態がないからね。と言いつつ、最悪の状態のときに素晴らしい曲が生まれることもあるけど……でもそれは例外だと思うよ。

トーマス:そうだね。俺は、超ハッピーと超鬱状態の二面性のある感情を持つクレイジーな状態で曲を書くこともある。曲の流れに身を任せるタイプだからね。

曲を書くときはできるだけポジティブな状態のときに書くようにはしているけど、悲しいときに「じゃあバラードを書こう」なんて思うこともあるし、ハッピーな気分のときはパワフルなリフを書いたりするかな。その日のムードを利用して曲を書く。

―2020年代における「ロックスター」にはどんなものが求められるのでしょうか。あなたたちの考える「ロックスター」の役割について、描いているイメージはありますか?

ダミアーノ:まずは人々を楽しませる力がないといけないよね。その人の曲を聴くことが楽しかったり、その人のライブの空間にいることが楽しかったり。

あと、コンサートでは健全で安全な環境を与えられるようにならないといけない。それってすごく大切なことだと思うんだ。誰も傷ついちゃいけないからね。

ダミアーノ:パンデミックでみんなステイホームになってものすごく退屈な生活を送ったあと、4人の若者がエネルギー満タンで上半身裸で、ステージ上で汗だくになっているのを見たら、オーディエンスは救われた気になる人もいるかもしれない。

「ここからすべてを打破できるぞ」というふうに、ストックしていた古いエネルギーを新しいものに替える力がライブにはあるはずだと信じている。

トーマス:そうだね。それから自分のやっていることを強く信じること。大人として自分に自信をしっかり持つこと。それでいて柔軟性があること。それってすごく大事だと思う。

ダミアーノ:うん。あとは識別可能なしっかりしたパーソナリティーが必要だよね。みんなは俺たちのようなステージ上の人たちに、代弁者になることを期待しているわけだから、つながれるものを見つけるのが大事だよね。

それが馬鹿げたことだとしても、好きなアーティストや尊敬する人とコネクトしている実感があれば、その人のなかに自信が生まれると思うんだよ。「あいつにできるなら俺にもできる」「不可能なんかじゃない」って。

俺はもっと若かった頃に、他のミュージシャンたちを見てそういう思いを抱いてきたから、「彼らにできるなら俺を止められるものは何もないはずだ」と思うことができた。「自分次第なんだ」ってね。俺もそんな気持ちをもっと若い子たちに与えられたらいいなと思っている。

イーサン:2020年代のいま、俺たちの歳でいることとロックスターでいることはちょっと別物のような気がする。単に「ロックをプレイするミュージシャン」ってわけじゃないから。むしろアティチュードの問題が大事。

トーマス:そうだね。

イーサン:ぼくにとってLizzoはーー

ダミアーノ:ロックスターだね!

イーサン:そう、彼女はロックスターだ。自由だし、諦めないから。

ダミアーノ:理に適っているね(と、Lizzoの“About Damn Time”らしき曲を口真似する)。

イーサン:だから大事なのはアティチュードの問題であり、役割だと思う。その人の求めているものによるけど、政治や一般社会への影響力だったり、ロックスターの多くは、音楽だけじゃないところに役割を持っている。
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