保守的な生き方に何を思う?『オリバーな犬』共演の池松壮亮×佐藤浩市が語る、挑戦し続けるキャリア論

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2022年09月20日 18:01  CINRA.NET

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Text by 吉田真也
Text by SYO
Text by 松木宏祐

オダギリジョーが脚本・演出・編集、さらに警察犬役で出演も兼ねたNHKドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』(以下、『オリバーな犬』)。その続編となるシーズン2が2022年9月20日より放送される。

2021年9月に放送されたシーズン1では、NHKらしからぬユニークな設定と展開や真面目にふざける豪華俳優陣の姿が話題を呼び、同年10月度『ギャラクシー賞』のテレビ部門月間賞を受賞するなど好評を博した。

当時、オダギリジョーは「あえてNHKでコンプライアンスを逆手に取った作品づくりをした」と語っていたが、続編でも挑戦的な仕掛けが散りばめられている。そんな破天荒な作品において引き続き重要人物となるのが、主人公の警察官・青葉一平役の池松壮亮と、スーパーボランティア・小西幸男役の佐藤浩市だ。

二人は、『オリバーな犬』の作風やオダギリの意思をどうとらえているのだろうか。本作に限らず刺激的な作品選びを貫く二人に、制限の厳しい時代で「どう遊ぶのか」を語り合ってもらった。そこに通じる、保守的な生き方に対する理解と反発、そして仕事を選ぶ際の信条とは。

―昨年に放送された『オリバーな犬』が大きな話題を呼び、シーズン2を制作すると聞いて、お気持ちとしてはいかがでしたか?

佐藤:気持ちなんか、特にないよな?

池松:(笑)。

佐藤:ぶっちゃけていうと、役者は引き受ける側なので「おっ、来やがったか」って思うくらいですよ。もちろん、監督の立場であれば、続編をやるなら同じ世界観を継承しながらも膨らませないといけない部分もありますし、いろいろ思うことも多いでしょうけど。

それでいうとオダギリは、シーズン1の内容ですでに継続的なニュアンスを出していたから「まだまだやりたいんだな」とは感じていました。それはきっと前回から参加している役者みんなが思っていたんじゃないかな。

佐藤浩市(さとう こういち)
1960年12月10日生まれ。東京都出身。1980年にNHKドラマ『続・続事件 月の景色』で俳優デビュー。多数の作品に出演し、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞、ブルーリボン賞の主演男優賞などの賞を受賞。2022年9月20日から放送されるNHKドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』の続編シーズン2にスーパーボランティア・小西幸男役で出演。

『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』シーズン2より

―視聴者からすると、佐藤さんが小西さんというかなり個性的なキャラクターを演じられたのが衝撃的でした。

佐藤:ぼくの場合、モデルは明らか(※スーパーボランティアの尾畠春夫さんと、作家の志茂田景樹さん)だったので、「もし今後の展開として、この人が悪役だったらオダギリはどうするんだろう」とか、いろいろなことを考えました(笑)。

まぁ、いまのは半分冗談ですが、みんなが知っているスーパーボランティアのルックス的なインパクトと内面的なインパクトをどういう風につくっていくかはつねに意識していましたね。

もしかしたら、すでに気づいている方もいるかもしれませんが、小西は作品全体で背負っているものもあって……。そうした一筋縄ではいかないキャラクターではありました。

―池松さんは『オリバーな犬』で佐藤さんと共演して、いかがでしたか?

池松:あの衣装ですごく早くから現場に入られて、出番を待っている姿にはやっぱり目がいきますし、ひやひやしました。浩市さんでこんなに遊んじゃダメでしょって(笑)。いつか怒り出すんじゃないかと(笑)。でもなにより浩市さんがあの役を、このドラマを楽しそうにやられていて、その姿を毎回見せてもらえるのが嬉しいです。

シーズン2は特にそうでしたが、浩市さんがこのドラマを楽しんだり喜んだりする姿に、この作品自体も引っ張られている感じがありました。シーズン2での小西さん、さらに大活躍です。

池松壮亮(いけまつ そうすけ)
1990年7月9日生まれ。福岡県出身。2003年『ラストサムライ』で映画デビュー後、数多くの映画・ドラマに出演。キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞、日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞、ヨコハマ映画祭 主演男優賞など数々の賞を獲得。2022年9月20日から放送されるNHKドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』の続編シーズン2に主人公・青葉一平役で出演。

佐藤:というか小西に限らず、すべてのキャラが確立しているよね。それこそがこの作品の特異性にもなっている。だから変な話、その場のかけ合いによって必然的にシーンが成立してしまうんですよ。

それはもうオダギリもわれわれもわかっていたから、いわゆる事前の「話し合い」みたいなのもほとんどなかったし、それをしなければならない物語でもない。

ストーリー展開や世界観を理解したうえで、どこまで弾けていいのかのバランス感覚をそれぞれ確認するくらいでしたね。ただ一人、どこまでも弾けていく人もいましたけど(笑)。

―麻生久美子さんですね(笑)。

佐藤:われわれもそれを見て楽しんでいました。

池松:そうですね(笑)。

―いまお話しいただいた「どこまで弾けるか」は、オダギリさんが昨年おっしゃっていた「コンプライアンスを逆手に取った」という作品づくりの考え方とつながるようにも思います(関連記事:オダギリジョー×永瀬正敏 日本のテレビドラマが抱える課題と未来)。佐藤さんご自身も気にされていた部分だったのですね。

佐藤:いまでいえば、「コンプライアンスを逆手に取る」という考え方になるのかもしれないけど、われわれ世代に馴染みがある言葉でいうと「アナーキズム」ですよね。つまりは、権力に対する破壊。

コンプライアンスを受け止めざるを得ない状況だし、それをつくり手も観る側もわかったうえでの作品にはなるけど、忠実に従いすぎた結果、中途半端にまとまってしまったら絶対に面白くならない。やっぱり予定調和にならない「外し」や「遊び」をどこかに入れたほうが面白くなるし、ふざける場面も思いっきりやらないと。

池松:浩市さんはシーズン1のときからこのドラマに対して「とにかく中途半端にやっちゃダメだ。突き抜けろ」とおっしゃっていて、みんなその言葉にすごく背中を押してもらえたんじゃないかと思います。

芝居のうえでも、浩市さんが台本の字面のままやってくるわけがないし、先頭を切ってこの作品と戯れてくれる姿、その凄みをこれまでもたくさん見てきました。そのなかでも今回は、より「遊び」の部分を追求していて、ぼくもそこに強い影響を受けました。

『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』シーズン2より

―視聴者側からすると、特に地上波のドラマはコンプライアンスに引っ張られすぎて遊びの少ない作品が増えてしまっているのではないか、という感覚が広がっているようにも感じます。

佐藤:最大公約数的なことを大事にしなければならないドラマも、たしかに必要だとは思います。一方で、『オリバーな犬』と同じように「おふざけ」でやっているようで、じつは真面目なんだという作品もやっぱり必要。

そういう作品をつくるには、世間の風潮に合わせにいくのではなく、視聴者に「この感覚についていけないと、自分が遅れているのかも」と思わせるようなサジェスチョンを示していくべき。それこそが、ものづくりの面白さでもありますからね。

池松:表現の規制によって視聴者を退屈にさせてしまっている状況は大いにあるだろうなという感覚はあります。つくり手側からの提案が少ないというか、安心・安全に観られる作品が多いと思います。

そこに対する問題意識というか引け目はすごく感じますね。だからこそ『オリバーな犬』のような挑戦的な作品は演じる側にとっても、視聴者側にとっても、新鮮に映るものだったと思います。

佐藤:まさかNHKという「遊び」から最も遠いと感じていた会社が、「こんなドラマをやるのか!」という驚きもあるしね。

『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』シーズン2より

―佐藤さんは直近ですと2021年12月に歌手として初アルバムをリリースされましたし、11分30秒にわたって夜の大阪の町を歩くさまがワンカットで撮影された三島有紀子監督の意欲作『IMPERIAL大阪堂島出入橋』(2022年に公開された短編映画「MIRRORLIAR FILMS Season2」の1篇)に出演されたのも印象的です。現在のご自身の思いとして、「より挑戦的にいく」という意思があるのでしょうか。

佐藤:「自分から」というよりも、周りから提案されたり、誘ってもらえたりすることが大きいですね。60歳を過ぎて新しい挑戦をさせてもらえる状況や、「こういったことをやろう」と投げてくれる人がいることは、まだ期待されているなと感じられて嬉しいです。「こんなのできます?」と言われているうちは、まだまだ自分はやっていけるのかなと思えるので。

池松:ぼく自身、浩市さんとは不思議なご縁があり、長くおつき合いさせていただいていますが、その働き方や役者としてのあり方、ひいては生き様を間近で見せてもらってきたように思います。今年も3作品連続で共演させてもらったのですが、どのコラボレーションもとても充実していて。

『オリバーな犬』の撮影のあとに別の作品で親子役をやったのですが、近頃の浩市さんには突き抜けた、なにか熟練しきった先の狂気性を感じています。演じた瞬間の空気の変わり方が、普段ほかの俳優さんに対して感じないような怖さを感じます。

佐藤:ありがとう。

―佐藤さんは、池松さんのことをどんな俳優だと感じていますか?

佐藤:最初に池松と一緒にやったとき、「この人は大きくなっていくだろうな」と思っていたし、本当にそのとおりになった。いい意味で偏らない仕事の仕方をしていると思うし、キャリアのなかで作品ありきということを念頭に置いている気がします。

自分の関わった作品がキャリアの形成にもつながることをちゃんとわかっている人だからこそ、「池松さんがこの役をやってくれます」と聞くと「ああ、よかった」と思い、安心して現場に行けます。

池松:おそれ多いですがとても光栄です。

佐藤:じつは共演作の企画が1つ飛んでしまって、その次の作品でも一緒にやることになったんですが、「また池松かよ」とはまったく思わない。「また楽しもうぜ」となれる相手ですね。

―関わった作品がキャリアを形成していくというお話は、俳優の仕事論としてとても興味深いです。

佐藤:非常に誤解を呼んでしまいかねない言い方でもあるから難しいのですが、どうしてもやらなければならない最大公約数を考えた作品で扇の要にいると、周囲に合わせるべき場面がたくさん出てくる。

極端にいえば、つねに眉間にしわを寄せないといけないこともあるわけです。視聴者のシンパシーを得るには、その姿勢を最後まで貫きとおすべき場合もあるでしょう。

もちろんそうじゃない扇の要や、役どころもあるし、あらゆる作品において扇の要である自分の立場を死守するのも、役者としての大事な生き方の手段だと思います。

ただ、ぼくは基本的にそういう手段を第一優先にはしていない。自由に自分が遊べる範囲で行き来できるようなフットワークの軽さや、未知のことにも挑戦していくことが大事だと思っていて。役者としてのそういう価値観は、池松にも似たものを感じます。

池松:ぼくは自分のキャリアをまだまだ模索しながら築いている最中ですが、浩市さんのこれまでの仕事の仕方にも影響されている部分は多分にあると思います。

浩市さんを見ていると、どんな現場でも必ず創作しているんですよね。クリエイティブなことをやる姿勢にすごく刺激を受けてきたし、オダギリさんもそういう人だと感じます。

ときに足す必要のないことを足して遊んでいるというか、引くことも含めて創作をしている。なにか必ず仕掛けるという姿勢があって、ものすごく「表現」や「創作」に愛情を持っている人なので、近くで見ていていつもワクワクします。

「浩市さんがこの役をどうやるんだろう」と気になるし、多くの人が期待しているはず。浩市さんの高尚な遊びをこれからも見ていきたいですし、ぼくもそうありたいですね。

―コンプライアンスが厳しくなっただけでなく、失敗に対するバッシングなども目につきやすい現代において、「遊び」の塩梅の難しさや新たな挑戦のしづらさを感じている人もいると思います。チャレンジを続けるお二人は、そうした失敗をおそれる考えについて、なにか思うことはありますか?

佐藤:言い換えると、コンサバティブ(保守的)な思考に陥りやすいということですよね。その考えが必ずしも悪いとは限らないですし、自分のイメージを崩さずに現状をキープし続けるのもまた道のひとつだとは思います。

ただ、個人的には周りの目を気にするよりも自分の意思と向き合い、フットワークを軽くして「遊び」や「挑戦」を取り入れていきたい。その時々の選択で失敗して、世間からけちょんけちょんにいわれる場合もあるかもしれないし、自分の目標に対して遠回りになることだってある。

ただ、たとえ少し別の道に行ったとしても、それはそれでまた違う景色が見られるんだからいいじゃん、という考え方ではいます。

池松:合理的な生き方のほうがうまくいく確率は高いだろうし、そっちを選んだほうが安全なこともわかっているけど、それだとその後の人生が深まっていかない、広がっていかない気はしますよね。

仮に失敗しても挑むことで新たに得られる気づきがあるはずですし、その経験が後に活きることや、かけがえのないものになる可能性だってあると思います。

―たしかに。いまの自分が「やれること」「やるべきこと」はあるけど、「やりたいこと」にトライしなければ、自分の経験やスキルも広がりづらいですしね。

佐藤:「食べなきゃいけない」とか「家族を食べさせなきゃいけない」という生活と仕事の関係性、そこに自身なりの「遊び」や「挑戦」をどう取り入れてバランスとっていくかは誰にとっても難しい課題ですよね。

ただ、われわれの仕事の場合は、ほかの職業と比べて自由度が高いぶん、1、2回の失敗は絶対に取り戻せると思っていて。自分が研鑽することで新たな出会いが生まれ、それによって表現の幅もぐんと広がっていく仕事だからこそ、どんどん新しいことにチャレンジしていくしかないとも思っています。

そもそも「これをやったら、こんなメリットがありそうだぞ」と思ってやる俳優なんて多分いないよな?

池松:そうですね。

佐藤:もちろん、「これやったらすごい評判になるかも」と多少の色気を持って考えるときもありますが、思いのほかその予想が当たらないこともある(笑)。さらには、「いま、この作品が受けているの?」と、しばらくしてから評価が跳ね返ってくるケースもあるからね。

先のことは誰にもわからない。だから利益やメリットのために動くより、自分の「できること」を増やすためにも挑戦し続けることが大事な気がします。

池松:「浩市さんがこんな役をやるの⁉︎」という空間の広げ方は、やっぱりトップクラスですからね。そこすら楽しむような、自分をおもちゃにする狂気性は本当にすごい。そういうチャレンジングな姿を見ると、「ぼくは保守的で、まだまだ失敗を恐れているな」と思わされます。

―お二人が仕事を選ぶ際、信条としていることはありますか?

佐藤:ぶっちゃけていえば、「人」でしかない。脚本が面白いかどうかはもちろんあるけど、読む前に前のめりになれるかどうかはやっぱり「人」じゃないですか。

「誰が書いた脚本か、監督が誰で共演者が誰で……」というようなワンワードが入ることで読むときもグッと身が入るし。池松の仕事を選ぶときの信条は、個人的にも気になるな。

池松:ぼくは携わる作品に対しての気持ちが強いので、作品ありき。つまりはだれがどんな気持ちで、どんな物語を語ろうとしているか、ですね。

どこまで求めるかは置いといて、創作を楽しんでいたり、正しく創作しようとしたりする、「人の意志」を感じるものに惹かれます。それさえ感じられれば、どんな表現であれ、その作品に寄り添い続けることができます。

―『オリバーな犬』も、まさに創作の精神ででき上がった作品ですよね。

池松:そうですね。この作品の企画は、コロナ禍を経てオダギリさんが「いま自分はなにをやるべきか」を考えに考えた挙句、行きついていたもの。

2020年の末、みんな仕事が止まっているなかで、こういうお祭りのような作品づくりが可能になったのは、ひとえにオダギリさんのお陰ですし、ぼくも含めてみんなで撮影を喜びましたから。

シーズン2はいまの世の中の停滞を含めて、停滞自体を楽しみつつ、寄り道しながらでも一回物語を終わらせるというミッションがありました。最後の最後までみんなで楽しくワイワイできたので、観てくださる方にとって楽しい時間になってくれればと願っています。

佐藤:そうだね。とはいえ、やはり「オダギリジョーがオリジナルで脚本を書き下ろして監督する」ことでこの振り幅を許されたかもしれないし、すべての企画に制作サイドがOKを出すような寛容性が生まれたわけではまだまだないと感じます。

ただ、ぼくらがやれることはこういうことだと、この作品をとおして示せるはず。少しずつ枠が広がっていくような面白みを生む一翼を担えればいいですね。あとは池松も言っていたように、観てくださる方に楽しんでいただけたらいちばん嬉しいです。
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