お前にもできる。DJキャレドが地元でつなぐフックアップ精神は、フロリダのシーンに何をもたらした?

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2022年09月28日 12:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by アボかど

8月、猛暑には暑苦しすぎる男、DJ Khaled(DJ キャレド)がアルバム『GOD DID』をリリースした。

毎回超豪華なゲストが多数集結するDJ Khaled作品だが、本作にはKanye West(カニエ・ウェスト)とEminem(エミネム)、Lil Baby(リル・ベイビー)、Juice WRLD(ジュース・ワールド)……などなど、ヒップホップ界のオールスターのような布陣が揃っている。

タイトル曲でのJay-Z(ジェイ・Z)のヴァースも各種ヒップホップ系メディアを賑わせており(*1)、今回も当然のようにBillboardチャート1位を獲得。いつも曲で叫んでいる「We the Best!!!」を証明していた。

DJ Khaled(DJ キャレド)
1975年11月26日生まれ、米ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のDJ / プロデューサー / 実業家。1992年、17歳の時に地元のレコードショップ「オデッセイ」で働きながらDJとしての活動をスタート。これまで13枚のアルバムをリリースしており、2016年にリリースされた『Major Key』は自身初の全米チャート1位を獲得。最新アルバム『GOD DID』を2022年8月にリリースした。

DJ Khaledは今年、Latto(ラトー)のシングル“Big Energy”のリミックスにマライア・キャリーとともに参加したり、NIKEとコラボスニーカーを販売したり(*2)と何かと活躍していた。

年明けにはウイルス検査サービスを行なう企業「eMed」が展開した、COVID-19検査改善キャンペーン「Keep America Healthy」に参加。

「俺の家に来る人は全員検査を受けなければならない。eMedの素晴らしいところは、家でも、プールでも、オフィスでも、スタジオでも、どこにいても検査が受けられることだ。その場で検査を受けて、15分後には携帯電話で結果を知ることができる」とeMedの仕組みとメリットを話す動画を投稿した(*3)。

そんなDJ Khaledは、今年4月には映画や音楽などエンターテイメントの分野で活躍した人物を称える「Hollywood Walk of Fame」にも選出。授賞式にはJay-ZやDiddy(ディディ)も出席した。

Diddyは以下のようにスピーチし、その功績を称えていた(*4)。

「君は誰よりもハードに働き、より大きな存在になろうとしてきた。世界にインパクトを与えたかった。自分以外の人たちのモチベーションや刺激になるようなインパクトを与えたかったんだろう。

それはレコードの売り上げのためだけではない。自分が輝くためでもない。君がこの世代に『自分たちの手で問題を解決し、なりたい自分になることができる』ということを伝えるためだった」 - 「Hollywood Walk of Fame」でのDiddyのスピーチ「Hollywood Walk of Fame」のサイトではアーティストとしての功績のほかにも、レーベル運営や映画出演、慈善活動といったマルチな活躍が紹介されていた(*5)。音楽のみにとどまらないDJ Khaledのさまざまな活動の背景には、どんなものがあるのだろうか?

まずはDJ Khaledの生い立ちとブレイクまでの道のりを簡単に振り返る。

パレスチナからの移民だった両親のもとニューオーリンズで生まれたDJ Khaledは、幼い頃に一家でフロリダ州オーランドに移住し、ジャマイカと行き来する生活をはじめる。そんな環境でDJ KhaledはDJとしてキャリアをスタートさせ、ヒップホップとレゲエを一緒にプレイするスタイルでサウンドクラッシュ(※)に顔を出しつつその腕を磨いた。

18歳の頃にはニューオーリンズに戻ってレコード屋で働き、のちに組むBirdman(バードマン)とLil Wayne(リル・ウェイン)とも知り合う。

その後、ふたたびフロリダに移住し、2 Live CrewのLuke(ルーク)からのサポートを受けてマイアミのラジオ番組で人気を固めていく。プロデューサーとしてのキャリアを進め、2006年には1stアルバム『Listennn... the Album』をリリースした。

以降もアルバムを精力的に発表し、途中でDef Jam South社長就任やレーベル「We the Best Music」の立ち上げなどを挟みつつ、日常の些細なことを「これが成功への鍵だ」と話すSnapchatでのバズなどもあり人気を拡大し現在に至る(*6、*7)。

この経歴を踏まえてそのキャリアを見ていくと、「ジャマイカ」「フロリダ」の2つの地、特に活動拠点のフロリダを大切にするような動きを取っていることがわかる。

デビューアルバム『Listennn... the Album』ではKanye WestやPaul Wall(ポール・ウォール)といった(当時の)人気ラッパーを多く迎えつつも、参加アーティストを地域別に分けるとフロリダ勢が最多となる。

Pitbull(ピットブル)とTrick Daddy(トリック・ダディ)、Rick Ross(リック・ロス)が「生まれも育ちもデイド郡(※)」と歌う“Born-N-Raised”をシングルカットしていることからも、そのフロリダ愛が伺える(主役の生まれはニューオーリンズでしょとツッコミたくなるが……)。

同曲をはじめ、デビューアルバムをリリースする直前のRick Rossを複数曲で起用。フロリダのスター候補をサポートする姿勢を見せていた。

その後の作品でもそのときどきで旬な豪華ゲストを招きつつも、必ずフロリダ勢を起用し続けてきた。本格ブレイクのきっかけとなった2007年リリースの2ndアルバム『We the Best』では、“Born-N-Raised”と同じようなフロリダ勢を集めたフッド賛歌“I’m So Hood”をシングルカットしている。

同作の成功でスターになってからリリースした2008年の3rdアルバム『We Global』収録の“Bullet”では、Rick Rossに加えてかつて行き来していたジャマイカからCham(シャム)をフィーチャー。以降の作品でもジャマイカのレゲエ・ディージェイ(※)を毎回迎えている。

豪華ゲストがあまりにも多く参加しているため気づきづらいかもしれないが、じつはかなり自分を育んだ地域に還元する姿勢を持つ人物なのだ。

近年の作品では、SkipOnDaBeat(スキップオンダビート)やDJ 360といったフロリダの新進プロデューサーも起用している。現代のプロデューサーはSNSのプロフィールなどに誰の曲のクレジットを持っているか記載することが多いが、DJ Khaledがつなげた大物の名前を書けるようになるのは新進プロデューサーのキャリアにとって大きなことだろう。

また、DJ Khaledはスターになる前からプロデューサーのフックアップには積極的だった。現在ではCarter夫妻(※)の作品にも関わるなどすっかり大物になったCool & Dre(クール&ドレー)は、「The FADER」のインタビューでDJ Khaledを介してFat Joe(ファット・ジョー)とつながったことを明かしていた。

Fat Joe作品はCool & Dreにとって初のメインストリーム仕事だったが、そのきっかけをつくったのはDJ Khaledだったのだ(*8)。

2000年代、DJ Khaled関連作品の常連だったThe RunnersのDru Brett(ドルー・ブレット)も「DJ KhaledのおかげでUsher(アッシャー)やRihanna(リアーナ)とセッションできるようになった」と話すなど(*9)、そのフックアップの姿勢は一貫しているのだ。

DJ Khaledがフックアップした人物も今度はフックアップする側に回っている。

DJ Khaled作品の常連プロデューサーで『GOD DID』にも参加しているSTREETRUNNER(ストリートランナー)は、無名のアーティストとアメリカの音楽業界で働く人をつなぐサービス「Blazetrak」を通して知り合ったTarik Azzouz(タリク・アズーズ)というフランスのプロデューサーと契約(*10)。両者はともにDJ Khaled作品にも参加しており、Tarik Azzouzの各種SNSのプロフィールにはやはりDJ Khaledの名前が刻まれていた。

Tarik AzzouzのTwitterより。ヘッダー画像にはDJ Khaled、John Legend(ジョン・レジェンド)、Nipsey Hussle(ニプシー・ハッスル)の姿が(Twitterを開く)

なお、「Blazetrak」にはDJ 360や「We The Best Music」でA&Rを務めるAndy Boy(アンディ・ボーイ)も登録している。まだSTREETRUNNERのように新たな才能を見つけるには至っていないようだが、今後もこのフックアップの連鎖が続く可能性は高い。

また、Denzel Curry(デンゼル・カリー)との共演でも知られるローカルに根差したラッパーのIce Billion Berg(アイス・ビリオン・バーグ)は、「Vibe」のインタビューでDJ Khaledのスタジオを使っていることを明かしていた(*11)。

DJ Khaledはフックアップするだけではなく、シーンに多角的に貢献しているのだ。

DJ Khaledが本格ブレイクを果たした2007年頃から、フロリダのシーンは急激に成長していった。

その充実ぶりを受け、2011年には米メディアの「Complex」がマイアミのヒップホップの特集記事「The 50 Best Miami Rap Songs」を公開。50位にランクインした“I’m So Hood”で「冗談ではない。この10年間、Khaled bin Abdul Khaled(DJ Khaledの本名)ほどマイアミのヒップホップに巨大な影響を与えた人物はいない」とその功績を称えた(*12)。

同記事には3曲のDJ Khaled楽曲が含まれており、その偉業がクローズアップされていた。

また、2010年代後半から盛り上がったSoundCloudラップのムーブメントもフロリダ出身者を中心にしたものだった。「XXL」や「The FADER」といった各種メディアでフロリダのシーンの特集が組まれることも多くなった(*13、*14)。

直接の関係は定かではないが、DJ Khaledがつないだフックアップの連鎖はフロリダおよびマイアミのシーンの成熟を促し、新たな才能の輩出にも貢献しているのかもしれない。

DJ Khaledがサポートしているのはアーティストだけではない。2016年には教育関連のNPO法人「Get Schooled」の広報担当に任命されており、キャンペーンの一環でマイアミの高校を訪問したこともあった(*15)。

出席率が高いマイアミの中学校で一日校長を務めて資金や楽器などを寄付したこともある(*16)。また、教育関連の取り組みとしては、任意団体への奨学金の寄付も行なっている。これは主催する財団「We the Best Foundation」での取り組みで、財団ではマイアミのホームレスや困窮者を支援する団体「Miami Rescue Mission」も支援している(*17)。

先述したウイルス検査サービスを行なう「eMed」もマイアミの企業だ。DJ Khaledは多角的に地元コミュニティーをサポートしているのである。

DJ KhaledはGet Schooledでの広報担当に任命された際、「俺は自分自身をイチから築き上げてきた。アメリカ中の若者を刺激して、俺のようにもっと勝利してほしいと思っている。決意と集中力があれば何でもできることを俺の経験から学んでほしい」と話していた(*同15)。

「Billboard」が行なったインタビューでは「この物語を読んだ人たちが『Khaledにできたのなら、自分にもできる』と思えると信じている」と語っていた(*同9)。フックアップやサポート、そして成功する姿を見せながら後進にインスパイアを与えるような姿勢。Diddyがスピーチで語ったとおりの人物なのである。

「We the Best」の「We」の範囲は参加アーティストだけではなく、マイアミを中心にした周辺のコミュニティーすべての人たちのことを指しているのだ。
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