「……状況は暗い」。ブライアン・イーノを突き動かすものとは何か。いま、自ら歌い訴えることを明かす

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2022年10月14日 18:01  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 坂本麻里子
Text by 三田格

知的な作品はペシミズム(悲観主義)と手を組みたがる。考えれば考えるほど暗い結論に達してしまうのは正直なところだろうし、ありもしない希望を謳うよりも誠実だといえる。

ニューウェイブサウンドの先駆者であり、アフロビートやダブをいち早くロックサウンドに取り入れ、さらには「アンビエント・ミュージック」を提唱したことで注目されたブライアン・イーノが特異だったのは、しかし、彼の作品が知的であるにもかかわらず未来に対して楽観的だったことも大きい。

彼の音楽を聴いていると人類の一員であることに喜びが感じられ、「午後の空気」や「匂い」を楽しむ余裕を持つことができた。「落ち着く」ことで得られることがあると、彼の音楽はいつも教えてくれた。そのブライアン・イーノが2016年にリリースした『The Ship』はそれまでのどの作品とも異なり、異様に暗く、不安のなかを突き進んでいくサウンドスケープだった。『The Ship』が放っていたのはまさしくペシミズムだった。時代が変化し、イーノが楽観的ではなくなってしまったことは明らかだった。

気候変動(Climate Change)を主題とした新作『FOREVERANDEVERNOMORE』は『The Ship』のナラティブな手法を踏襲し、同じように「楽観的にはなれない気分」を表現したアルバムである。リリースに先駆けてイーノは、「感情の探求」のために自分は「感情の商人」になることを受け入れたと偽悪的な説明をプレスに流している。ミュージシャンが感情を表現することは普通のことなのに、そのような修辞を使ってまで彼にはいままでとは異なった方針があり、訴えたい「気持ち」があったのである。

ブライアン・イーノ史上、最も感傷的なアルバム『FOREVERANDEVERNOMORE』について、30分ほどの短い時間で、訊けるだけ訊いた。

ブライアン・イーノ / Photo by Cecily Eno ©
ミュージシャン、プロデューサー、ビジュアルアーティスト、アクティビスト。1970年代より40枚以上のアルバムをリリースし、Talking HeadsやU2、Coldplayなどのプロデュース、デヴィッド・ボウイらとのコラボレーションといった音楽活動と並行して、光や映像を使ったビジュアルアートの創作活動を続け、世界中で展覧会やインスタレーションを行う。ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめ、広範囲に渡ってアート・エキシビションを行なっている。長期に渡るスパンで文化的施設や機関の基盤となることを目的とする「Long Now Foundation」の創設メンバー、環境法慈善団体「ClientEarth」の評議員、人権慈善団体「Videre est Credere」の後援を務めている。 2021年4月には「EarthPercent」を立ち上げ、音楽業界から資金を集めて、気候変動の緊急事態に取り組む最も影響力のある環境慈善団体への寄付を行なっている。

―かつて『Another Green World』(1975年)を構築したあなたが47年後の新作では「RealなGreen World」の危機をテーマにしています。気候変動に対してあなたの意識が明確に変わったのはいつでしたか?

イーノ:1990年代からだったと思う。かなり遅かったわけだね(苦笑)。というのもその20年前から多くの人間がこれに関して語っていたわけだから……だがまあ、私は90年代の終わり頃に気候変動を意識し出したし、同時にこの惑星上でうまくいかなくなっているさまざまな問題にも気づきはじめた。

最初に気づいたのは社会格差の広がりだった。この点は、さまざまな証拠を調べるうちにはっきりしていったというのかな、生産性は上がっているにも関わらず賃金は横ばいのまま。企業経営者側の非常に富裕な層と、そうした企業で働く者や一般人層、そのあいだの格差が広がる一方だと。このレベルの不平等は健全な状態ではないと私は思った。

そのうち、この図式が世界全体でも繰り返されていることに気がつきはじめた。私の暮らす豊かな西側と発展途上国との差がますます開き、我々は彼らからどんどん離れていくようになり出した。我々自身の側、イギリス、オーストラリア、アメリカといった国々のことだけれども、それらの内部で格差が増していたし、至るところで不平等が増大していた。

イーノ:気候変動に関して私が最初に気づいた点もここで、気候変動はこれらの不平等を加速させる――気候変動は最も貧しい層に真っ先に打撃を与えていくし、まず苦しむのは彼ら低所得者層だろうと。もっとも豊かな連中はいろんな意味で気候変動の影響から防護・遮断されているし、彼らにまで影響が及ぶのにはかなり時間がかかる。

―気候変動の影響がもっとも少ないのが北米といわれています。

イーノ:うん、だけど、それは奇妙な、新たなかたちで、彼らにも影響を与えることになるだろう――移住というかたちでね。

現在の物事の進み方から考えると、世界のなかでももっと辺境な地帯、その多くでの暮らしは厳しくなる一方だ。砂漠は拡大し続け、海の恵みも減りつつあり、魚の数は減少している。そのせいで田舎から人々が都市部へと向かわざるを得なくなっている。それは日本でも起こることだよ、君たちの国でも移民が増えはじめるだろう。

我々は……じつは誰も、その問題を長期的な観点に立って考えていないんだ。そして、それはいずれ巨大な、計り知れない社会問題になっていくことだろう。我々は、ここヨーロッパですでにその状況を目の当たりにしている。

難民の受け入れ問題にどう対処すればいいかわからず、彼らを海に送り返そうとする。それは……我々のすべてから人間性を奪う行為だ。というわけで、この問題に対する自分の感情も、きっとそこからはじまったんだろう。

イーノ:ほかにも、たとえば昆虫が消えてしまったことに気づきはじめた。私はイギリスのカントリーサイドで育ったから、夏に車で田舎をドライブしているとフロントガラスに虫がびっしり貼りついていたことを憶えているんだよ。それが当たり前だったし、それくらい昔は虫が多かった。ところがいまや、虫をまったく見かけなくなった。

イーノ:ということは、たかだか私の生きてきたこれまでの時間のなかですら、とても大きな変化が起きてきたことになる。それなのに、石油会社の経営者や政府を仕切っている面々が「気候変動は存在しない」と語っている姿を目にする。

そこで私は我々の政治システムについて考えあぐねはじめたんだ、一体なんだって我々は、自分たちのリーダーとしてもっとも頭の悪い連中を選出するようなシステムにたどり着いてしまったんだろうと。

―(苦笑)。日本でも学歴の低い総理大臣が続いていて、議会よりも少数で構成される有識者会議で法案が検討され、優秀な官僚がやる気をなくすという事態が常態化しています。

イーノ:そもそも、民主主義の根本のアイデアは「なんとかして、自分たちのなかでもいちばん賢く知的な人々をリーダーに選ぼう」ということだったわけだよ。どうにかして社会全体の知性を活用すること、それが民主主義のポイントだった。

ところが現在、我々は正反対の事態を経験している。もっとも愚かな人々が、もっともパワフルな権力者になっている。これはまた別の論点になるけれども、我々には本当に、自分たちの社会制度をあらためてデザインし直す必要もあるのではないかと。その動きはすでに起きているんだけど、そのスピードが状況に追いついていないんだ。

Photo by Cecily Eno ©

―あなたの観察は正しくて、昆虫類は1970年代の3分の2に減ったそうです。同じ期間に人類は45億から80億に増えていて、なんというか、人類は栄え過ぎたと思いますか?

イーノ:まあ、我々のパワーは過去200〜300年のあいだで急激に増大してきたよね。100年、あるいは200年前であれば、ごくごく限られた、史上もっとも裕福な人々にしか手にできなかったようなパワーを我々一人ひとりが手元に備えている。いまの我々はとんでもなくパワフルな生物だ。

パワーはあっという間に増大したものの、でも、我々の責任感はそうはいかなかった。自分たちの行動のもたらす結果がどんなものになるのかを我々はよく理解していない、というかそこをあまり深く考えていない。だから、ある意味、我々はパワフル過ぎるんだろうね。

友人のスチュアート・ブランド(※)が言うには、「大変な力を持つ神々として、我々が神の役目を上手に果たせるようになるに越したことはない」と。でも現状は、我々は神に等しい力を得ても、精神面はまだ子どもなんだ。というか、サルのレベルだろうね。

―“Icarus or Blériot”の歌詞は人類の文明を視野に入れています。ギリシャ神話のイカロスも、発明家 / 飛行家ブレリオも、空の高みを目指したものの、限界に負けたと言えます。あの曲で繰り返される「Who are we?」という問いかけは、ただの戸惑いと取ったほうがいいのでしょうか? それとも「人間は小さなクリーチャーであり、神にはなれない」という意味を含ませているのでしょうか?

イーノ:なるほど。じゃあ、君のその解釈とは違うバージョンを披露しようかな。イカロスとブレリオはそれぞれ、人類はどんな存在になり得るか、その異なるふたつの概念を体現しているんだと思う。

イカロスは「自分はなにをやってもいい」と考えているタイプ。「自分は神様だ、好き放題にやれる」と思っているし、そこから生じる影響や結果は関係なし、気にしていない。で、太陽に翼を焼かれ、海に落ちたのはイカロスだった。

一方、ブレリオは技師だった。彼は航空機をつくろうと何度も挑戦し、ついに製作に成功し、その飛行機で彼がやったのは英仏海峡横断飛行だった(※)。ということは、ブレリオははるかに謙虚な人だったわけだよ(苦笑)。ディテールをこまごま検討したうえで、実際に機能し飛べるものをつくろうとしたんだから。

イーノ:だからある意味、私は、イカロス的な存在――私の目には、そうだな、こう……ユートピア主義の、シリコンバレー人種というのかな、「なにもかも素晴らしいことになる! テクノロジーがあればなにもかもできる!」と考えているように映る連中――と、ブレリオのように質素で知性のある技師だった、なにかを慎重に構築していき、そんなに野心的でもなかった人物――彼は太陽に達しようなんて大それたことは考えていなくて(苦笑)、たかが英仏海峡を渡ろうとしただけだからね! たった24マイルの距離だ――との対比を描いているんだと思う。

だから私は、自信過剰(hubris)と謙虚さ(humility)とを対照させているんだと思う。ゆえにあの曲で私が「Who are we?」と問うのは、「では、我々はそのふたつのどちらを選ぶのだろう?」ということなんだ。

―なるほど。それで思い出しましたが、イーロン・マスクは火星への移住計画を進めていて、極端な試算では23世紀に地球の表面温度が150度になるというものもあります。仮に富裕層だけになっても人類が生き延びることに価値があると思いますか?

イーノ:ふむ……私がその手の発想全般に対して「問題だな」と思うのは……(苦笑)、だったらそれだけの努力や労力を、我々が実際に暮らすこの地に傾けてはどうだろうということでね。

この星から我々は生長したんだし、ここで我々が生息できることもわかっている。では、この不可能なくらい複雑な、「他の惑星への跳躍」という課題、それに挑むことのポイントはどこにあるんだと。そして、それは……君が言うように、ひと握りのリッチな白人層向けの計画になるんだろうね。そうなるのは確実だと思う。

―(苦笑)。あなたもたぶん、そのひとりに選ばれるんじゃないでしょうか。

イーノ:(苦笑)。ああ、おそらく、私もそのリストのひとりとして記載されるだろうね。でも、仮にそうなったら、火星に行くことに罪悪感を感じることだろう(苦笑)。

……いや冗談はともかく、私からすると連中は思春期の夢のなかに生きているんだな。彼らはある意味、ティーンエイジャーなんだ。SFのファンなんだよ。非常に幼い。

とはいえ、子どもっぽさはときに非常に役に立つんだよ。子どもたちはアイデアの宝庫であり、そのなかにはよいものもある。しかしながら私はやっぱり、生活を子どもたちにすっかり支配されたくはないなあ(苦笑)。こうした議論には経験を積んだ、他者の思いを理解・共感できる大人も何人か混じっていてほしい。でも、現時点でほかの惑星に移住するというアイデアは、かなりくだらないことだと思える。

それこそタイタニック号の乗員乗客が、氷山に衝突する航路にのんびり乗ったまま、まったく別のタイプの船を設計することに決めたようなものだ。氷山をまっぷたつに粉砕して進めるであろう船をね。けれども、その課題について考えるのはタイミングとして間違っている。それには、もはや手遅れなんだ。

―あなたの作品でこんなに悲しくはじまるアルバムはなかったと思います。気候変動をテーマとしたことで否応もなく暗く沈んだものになってしまった?

イーノ:そうなんだと思う。とはいえ、アルバム全体がすべて暗いとは思わないけれども。

―最後の曲はいつものあなたに戻っています。

イーノ:いくらか喜びも混じっていると思うな。けれども、作品全体を囲む基本的なフィーリングは「我々はクソ厄介な状態にいる」ということで(苦笑)。

要するに、我々は窮地に立っていると。でも、我々はここを切り抜けることができるだろう、私はそう思っているんだ。けれども我々は本当に困難が存在していることにちゃんと気づくところからはじめなくてはならない。

イーノ:ああ、そういえば……携帯はどこだろう?(と周囲を見回し)聞いてもらわないといけないフレーズがあって……先週末に、エッチェ・トゥメルカラン(※)というトルコ人作家と対談をしてね。彼女は素晴らしいライターで、最近出した本のなかに、とても気に入っているセンテンスがあるんだ。

彼女はテクノロジー系エリートたちの抱く類いのユートピア主義について述べている――いわゆるシリコンバレー人の夢のことだけれども、彼らはみな、というか正直、私もそうだったんだが、インターネットがはじまった当初は「よし、ネットがなにもかも解決するだろう」と思っていたんだよ。突如として我々すべてが互いに会話できるようになったし、きっとこれで万事解決だと。

というのも、これで人類の知性はすさまじく凝縮されることになるだろうし、政府だのなんだのはもう要らなくなるはずだと思っていた。それに対して彼女は「主体性を持つことにつきまとう政治的で倫理的な重荷、そこから自分たちは免除されていると想像することは、とても解放的だった」と書いているんだ。

彼女が言わんとしているのは「よし、我々はシステムを整えた。すべての疑問・問題はこれが解決してくれるだろうし、自分たちはそこに対する責任に関して一切憂慮しなくてよくなった」という思いだったと。

Photo by Cecily Eno ©

イーノ:過去50年間ほど、資本主義および富の創出とは自動的に全世界が向上し潤うことを意味すると、我々は騙され、そう思い込んできた。しかし、明らかに物事はそう機能していない。

トップ層に充分行き渡る富が生じれば、それはやがて他のあらゆる人間にも滴り落ちてくる、人々はそう教わってきた。トリクルダウン理論は、君も聞いたことがあると思う。

―新自由主義が1980年代にプッシュした理屈ですね。上が富めば下も自動的に潤う。

イーノ:しかし、現実はそれと正反対のことが起きた。富は下ではなく、上の富裕層に向けてドッと洪水のように押し寄せた。つまり、過去50年くらい、我々は「虚偽」のなかで生きてきた。

その嘘の一部が「心配無用です、あなたはなにもしなくていいんです」という物言いだった。「とにかくいつもどおりに暮らし、仕事をし、稼ぎ、モノを買って消費しましょう」、それらはすべて、問題なくつつがなく継続していくシステムの一部だと。にもかかわらず、いまや我々もわかりはじめているんだよ、「いや、これじゃダメだ」と(苦笑)。

イーノ:もうひとつ、エッチェの文章を引用させてもらおうかな。「現実から追放された見返りに、我々は『口止め料』として、終わることのない幼少期を、永遠に不注意でいられる権利を提示されてきた」。

私はこの、「永遠に不注意でいられる権利」というフレーズが気に入っていてね、というのも、過去50年間のイデオロギーはそれに尽きるわけだから。彼らはずっと「マシン(システム)には干渉するな、なにもかもうまくいくから」と言いつづけてきたわけだから。

―チャック・パラニューク『ララバイ』の「“ビッグブラザー”は監視しているのではない。歌を歌い、踊っている」(早川書房刊、池田真紀子訳)を思い出します。

イーノ:でも、システムが機能不全に陥っているのは、人々にも見えてきたんだと思う。大半の人間にとって状況は悪化している。必須な医薬品類さえ購入できない人がいる(※)。

イーノ:それに対する反応として、人々のなかにはもっとシンプルだった頃の生活状況に戻りたい、民主主義以前の状況に回帰したい、との思いもある。独裁主義的なリーダーから「ああしろ、こうしろ」と指図される、そういう時代にね。

(ドナルド・)トランプやトルコの(レジェップ・タイイップ・)エルドアン、イギリスの(ボリス・)ジョンソン、ブラジルの(ジャイール・)ボルソナーロといった連中が「ああいう人々」――それはリベラル勢かもしれないし、メキシコ人、移民、ユダヤ人かもしれないが――「ああいう連中」が問題なのです、と。

この物言いは人間心理の非常に単純な感覚にアピールするものでね、要するにそれは人々に対して「我々はあるひとつの種族。我々は選ばれた人民です」と。「そんな我々は、我々以外のあらゆるものから攻撃を受けています」と。そして、「私の言うことを信じてください、我々は結束する必要があるのです」と。

ファシズムが生まれたのは、ここからだったわけだ。我々はいま、ある種の「前ファシスト時代」を生きている。というわけで……状況は暗い。

―暗いですね。でも、光もあります。京都で行われた展示『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』は大盛況でした。ぼくもゆっくりとした時間を過ごせましたが、あなたが1970年代に提唱した「アンビエント・ミュージック」はスローな生活のペースを促した面があると思います。現在は気候変動にしろ、人口増加にしろ、経済変化にしろ、なにもかも加速していますし、「ちょっとスローダウンしてみては?」と問うアンビエント・ミュージックは1970〜80年代の人々はあまり考えなかったことだったと思います。

イーノ:なるほど。

―で、あの展示を見ていて、「水」と「眠り」を題材にするアンビエント・ミュージックは多いのに「光」をテーマにする作家はあまりいないなと思いました。あなたが「光」に興味を持ちつづけ、探究しつづけるのはなぜですか?

イーノ:私はまず学校で音楽を勉強しなかったんだ。学んだのは絵画だった。だから、私はつねに視角芸術に興味を抱いてきたんだと思う。

アート・カレッジにいた頃、自分には新しい類いの絵画をつくれることを発見しはじめた。じつに新しい、「変化していく」類いの絵画を光を用いてつくれるぞ、と。それが自分にとっての大きな関心事になってね。というのも私はある意味、音楽のような絵画をつくりたかったし、同時に絵画に似た音楽をつくりたかったから(笑)。

だから、アンビエント・ミュージック初期の、発端のアイデアというのは本当に「部屋に鎮座する絵画のような音楽をどうやったらつくれるだろう?」だった。ほら、壁に絵画を飾ってあっても、一日中ずっとそれを凝視するということはないだろう(笑)?

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イーノ:「音楽もそうあって構わないじゃないか」と私は考えた。雰囲気を醸し出すだけ、そういう類いの音楽をつくってもいいではないかと。かつ、耳を澄ませてちゃんと聴きたいと思ったら、そうすることもできる。絵画でやるように、そのなかに深く入り込みたいと思えばそれも可能だし、好きなときに出て行くことも可能な音楽。

―出て行く(笑)。

イーノ:アンビエント・ミュージックの発想とは主にそういうものだったし、それと同時に私は、では、ゆっくり変化していく絵画はつくれないものだろうか? と考えてもいた。だから、見るたびにやや違っている、前に見たときとは完全に同じではない、そういう絵画を。

光を相手に作業をしはじめたところ――いや、だから、私の制作した光のピースの第一作、あれは1968年? いまから54年くらい前になるのかな……でもまあ、当時の私にとって、実際に光と戯れいじれるのは、最高にマジカルなことだったんだ。魅了されたし、以来、ずっと光を使いつづけている。

だから、私は音楽作品をつくるし、一般的にはそれでよく知られているとはいえ、アート・カレッジにいた頃から光と視覚芸術に取り組みつづけてきた。で、インスタレーションをつくるようになり、徐々にそのふたつがひとつになっていった。

イーノ:というわけで、私は「静物的な音楽」と「ゆっくり動く絵画」とをつくっていた。普通は音楽とは動くものであり、絵画は静止している。だが私は、動く絵画との静止した音楽をつくっていた。

そこに感じる魅力というのは、広告だの、スピーディーにカットされ編集のめまぐるしい映画やテレビなどで私の注意・関心をどんどん惹こうとするばかりの世界に自分がいたことに気づいたからだったんだじゃないかと思う。

あれはもうひたすら、(力強い声音でたたみかける)「こっちに注目しろ! ほらほら、これを聞け、あれを見ろ、見ろ、聞け! これをやれ、あれをやれ!」と言わんばかりだったし……で、私はそんな世界にはいたくない、ごめんだと思った。

『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』より『77 Million Paintings』 / Photo by So Hasegawa(関連記事を開く)

イーノ:カントリーサイドで、自然に囲まれて育った人間だし、自然というのは私が注意を傾けようが傾けなかろうが気にせずお構いなしだった。自然界に足を踏み入れると、注意を向ける対象を自分で選ばなくてはならない。「おや、あの音はなんだろう?」と思い、そのサウンドの正体を見つけよう、それに耳を傾けようとする。

しかしいまや、過去50年間ほどの商業的発展のおかげで、コマーシャルな観点から言えば、その人にある最大の価値は「アテンション(注目)」になっている。誰もがそれを求めているし、インターネットの存在は丸ごと、人の関心・注目を要求することで成り立っている。携帯にしても、こちらの気を惹くものであふれ返っている。

どうしてそうなのか? それは、君の注目には金銭的な価値があるからだ。君も資本主義のビッグ・マシーンの部位のひとつということだし、そのために向こうに提供できるのは君自身の注目だ、と。

で、私は人々が腰を下ろし、彼ら自身の注意力を好き放題にさまよわせることのできる、そういう「場」をつくりたいんだ。そこでは腰を下ろして、しばし思いに耽り、30分でも1時間でも自分の注意力を所有できる(苦笑)。そのあいだは、彼らの注意も始終あっちこっち引きずり回されずに済む、というね。

Photo by Cecily Eno ©
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