「人に変身願望がある限り、ヴィジュアル系は求められ続ける」 冬将軍が語る、文化としてのヴィジュアル系

2

2022年10月21日 12:21  リアルサウンド

  • 限定公開( 2 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

写真

 日本独自のサブカルチャーの中でも、マンガ・アニメと並んで世界的人気を博している「ヴィジュアル系」。90年代後半から定着した「ヴィジュアル系」という用語だが、そのルーツは80年代のバンドブームに遡り、さらにゴスロリをはじめとするファッションやメイク、2.5次元カルチャーなど、さまざまな文脈が混ざり合いながら発展してきた。


参考:「ヴィジュアル系」とは何かーー気鋭の音楽ライター・冬将軍がその実像に迫った新刊『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』


 この深い森を照らす灯のような一冊が、音楽ライター・冬将軍による初の単著『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』である。音楽事務所で原盤制作、ライブ制作、A&R、アーティストマネジメント、音楽専門学校で新人開発というキャリアを経た著者は、ヴィジュアル系の黎明期から現在まで、音楽やファッション、ギターなど多角的な視点から掘り下げた。ヴィジュアル系の隆盛をリアルタイムで観察してきた著者ならではの視点は、シーンの深淵を知るための鍵となるはずだ。著者である冬将軍に、本書執筆の背景やヴィジュアル系の特殊性について話を聞いた。


■起点をBOØWYに設定した理由


――本書を読み、日本のポップミュージックの発展を理解するには、ヴィジュアル系への理解が不可欠だと改めて感じました。初の単著をこの形で著した経緯を教えてください。


冬将軍:星海社さんからの新書であること、いわゆる「音楽・芸能売場に置いてないヴィジュアル系の本」というのがいちばん大きかったんです。ヴィジュアル系の歴史を語る本は過去にもあったので、自分が書くなら「ヴィジュアル系から見た日本の音楽シーン」という内容にしようと。


 自分のロックの原体験が90年代のいわゆる「ヴィジュアル系」と呼ばれたバンドだったので、それを通して本を作ったら面白いと感じました。また、ヴィジュアル系と一口に言っても広範なので、どう書いても「あれが書いてない」という指摘はあるはずです。それなら振り切って自分の主観に特化しようと考えていました。本書を書くにあたって発売日や時系列などは改めて調べ直しましたが、基本的には自分が体験してきたシーンをもとに書いています。


――書いていく上で心掛けたことなどはありますか。


冬将軍:「音楽知識があまりない人が読んだ時にどう思うのか」は意識しました。私はコード進行や専門用語を並べるよりもニュアンスで伝えたいタイプ。「理論はわからない」といいつつも、何となく「このギターのフレーズいいな」、「音色がカッコいい」と思っているファンが言語化できない部分を、なるべく平易な言葉で説明したいんです。


 意識的にページを割いたのは、THE MAD CAPSULE MARKETSなどミクスチャーバンドの流れと、ギターにまつわる話ですね。特にギターは当時、人気ギタリストには必ずと言っていいくらいシグネチャーモデルが作られていたほど、シーンを語るうえで欠かせないものでした。弾く人も弾かない人もギター雑誌を買ってましたし、ギターに自分でペイントするのも90年代独特の文化でしたね。BUCK-TICKやGLAYのライブ会場に行くと、メンバーのコスプレをしてる人がギターを持参しているような、楽器でありながらファッションアイテムでもあったんです。


 市場が盛り上がっていて、フェルナンデスのカタログとか本当にすごかった。輸入車のカタログみたいに全カラーページで分厚くて、楽器屋さんでもらっては穴が開くくらい読んでました。あの頃はガンプラを集めていたヤツが中学生になって急にギターに目覚めるような感じで、男子が憧れるアイテムだったんです。日曜日は御茶ノ水の楽器屋街に友達とギターを眺めに行っていました。買うわけでも弾くわけでもなく、ただ見に行くんです(笑)。


――本書では「ヴィジュアル系っぽい音楽要素」を定義付けたり、自らヴィジュアル系ではないと語っていたL’Arc〜en〜Cielについても言及するなど、踏み込んで執筆している印象です。


冬将軍:いわゆるヴィジュアル系の枠外のアーティストも取り上げていますが、シーンの輪郭を描くために周縁を描くことも必要だと考えました。また、あくまで主観なので意義を唱えてもらって構わないと思っています。その流れでいえば、本著の起点をBOØWYに設定したことも特徴です。彼ら自身はヴィジュアル系とは捉えられていませんが、よく言及されるX JAPANからの系譜だけでは、BUCK-TICKの系譜が語れないんです。スタートをBOØWYにすれば、後継バンドであるBUCK-TICKに触れられるのはもちろん、ギターキッズの間ではHIDE派と布袋(寅泰)派がいたという流れも説明できて、X JAPANの位置付けもより明確になります。


 BOØWYだけではなく、X JAPANやBUCK-TICKしても、ヴィジュアル系を自称したわけではありません。後にヴィジュアル系という言葉ができてから、誰々がパイオニアだと言われているだけですから。昨今のバンドの音楽でも「BOØWYが最初にやっていたことだよね」と感じることがありますし、実際に基軸をBOØWYに設定すると見えてくる流れもあります。


――「BOØWYが最初にやっていたこと」とは具体的に何でしょう?


冬将軍:まずボーカル、ギター、ベース、ドラムという最小限の編成がそうだと思います。それまでのバンドは、ビートルズからのGS(グループサウンズ)のようにボーカルもギターを弾いていたり、キャロルにしてもRCサクセションにしても、ギター2本が多かったので、ギター1本で表現すること自体が新しかった。それに80年代といえばシンセサイザーが普及し始めた時代でしたがキーボードメンバーを入れず、ギター1本で様々な音色や多彩なフレーズを奏でるスタイルも多くのフォロワーを生み出しています。


 ボーカルがハンドマイクで歌うのも新鮮でした。それまではエルヴィス・プレスリーや矢沢永吉さんのようにマイクスタンドを振り回すイメージだったものを、手に持ってモニターに足を掛けて表現するのが新しいロックだと提示したんです。ハンドマイクはそれまで歌謡曲のイメージが強く、多くの歌手はマイクの柄を下げて持っていたんですが、氷室京介さんは柄をあげて持ったんです。柄の部分を挟むように小指で下から支える持ち方は「氷室持ち」と呼ばれました。サビに横文字を使ったのもBOØWYでした。今では当たり前すぎて意識されてないこと、「ロックバンドがカッコつける」ということを意識的に行ったパイオニアがBOØWYなので、そういう意味でもヴィジュアル系の原点のひとつだといえます。


■さまざまな角度からヴィジュアル系を考える


――BUCK-TICKのメジャーデビュー作品であるライブビデオ『バクチク現象 at THE LIVE INN』がビクターのVHSであることから、ベータマックス(ソニー)、8ミリビデオ(ソニー・松下)、レーザーディスク(パイオニア)、VHD(ビクター)が入り乱れる「ビデオ戦争」の話へと展開し、日本の音楽産業は実は電機メーカーが主導であったことを指摘していたのも目から鱗でした。


冬将軍:海外のレコード会社の場合、アーティストが主体になって作りあげてきましたが、日本の場合は電機メーカーがオーディオを売るためにレコード会社を作った流れがあります。VHSやCDなどの発展も、その視点から見ると理解がしやすいです。音楽ファンからするとロマンに欠ける話かもしれませんが(笑)。


――アンリミテッド・グループがGLAYの成功の後、SHAKALABBITS、175R、B-DASHを売り出して、青春パンクのムーブメントを作っていくという流れも驚きだったのですが。


冬将軍:本でも紹介したビクターのディレクター・関口明さんは、90年代にSOFT BALLETやLUNA SEA、THE MAD CAPSULE MARKETSなどを手がけて界隈では有名な方だったんですが、00年代はサカナクションなども手がけているんですよ。審美眼を持っている人は順応性を持っているんです。売る人からしたら、ヴィジュアル系とか青春パンクなどのジャンルではなく、ただ時代に合った「いいバンド」を世に出すだけですから。


――ところで髪を逆立てるのに使ったダイエースプレーにも言及されていましたね。ポマードからダイエースプレーへ、そしてムースの流行という整髪料の隆盛も興味深かったです。


冬将軍:髪を逆立てるのが当時のヤンキーのオシャレで、ヴィジュアル系のファッションとも無関係ではありません。「勉強も運動もできないけど、ギターを持てば無敵になれる」という変身願望の究極形がヴィジュアル系で、だからこそヤンキー文化とも親和性があったのだと思います。


 その意味で『今日から俺は!!』は象徴的なヤンキーマンガでしたね。それまでのヤンキーのイメージは『ビー・バップ・ハイスクール』や『湘南爆走族』のようなリーゼントスタイルでしたが、『今日から俺は!!』の三橋は金髪で、伊藤は髪をトゲトゲに逆立てています。あの不良スタイルのモデルとなったのはBUCK-TICKだろうなと、誰もが思っていたはずです。


――ファッションで言えば、裏原系として知られる藤原ヒロシのGOOD ENOUGH、NIGO®のA BATHING OF APE®、高橋盾のUNDECOVERなどのすぐ近くに、hideのLEMONed SHOPがあったことも忘れられがちなのかなと。


冬将軍:あの頃の裏原は面白かったですね。「ヴィジュアル系」という枠組みができてしまったので、よくも悪くもジャンルに垣根が出来てしまったと思いますが、当時は色々なジャンルに繋がりがありました。原宿には裏原系のストリートっぽい格好の若者もいれば、2041120のような尖ったファッションで固めた若者もいて、hideはどちらにもアクセスできるポジションにいたと思います。


 音楽をやるためにメイクや衣装に行きついた世代と、ジャンルとして確立されてから「ヴィジュアル系」をやりたくて始める世代には、どちらが良いとかではなく、アティテュードに違いがあります。現在だとわかりにくい違いかもしれませんが、それもまたヴィジュアル系の複雑な面白さだと思ってもらえると嬉しいです。


■洋楽とヴィジュアル系


――hideについては「hideとはいったい何者だったのか」という1章を使って考察されていますね。彼から洋楽を学んだファンが多かったとか。


冬将軍:90年代には、アーティストが影響を受けた音楽を遡って聴くという文化が色濃くありました。hideはラジオをやっていて、ナイン・インチ・ネイルズやストーン・テンプル・パイロッツなどの自分の好きな音楽を必ずフルコーラスでかけていたんです。その影響から、洋楽にハマったのは私だけではないでしょう。


 hideは掘れば掘るほど面白い人です。マニアックな音楽が好きな割に、自分自身が「ザ・ベストテン」を見て育ったから、歌謡曲も好きで「売れる曲を書こう」という意識があった。そのアンビバレントな感覚が、「ピンク スパイダー」のような独創的なヒット曲を生み出すことに繋がったのだと思います。


――彼が亡くなる10カ月ほど前の1997年に開催されたオールナイトクラブイベント「MIX LEMONed JELLY」の話も興味深かったです。これについても改めて教えてください。


冬将軍:今でいうSpotify O-EASTやO-WESTなどでやるサーキットイベントの先駆けですよね。青山近郊の5会場にインターネットを繋ぎ、タイムテーブルも出さずに開催するという、当時としては非常に実験的な試みでした。どの会場に誰が出るかはわからない。渡された地図とインターネット中継を頼りにお客さんたちは移動するんです。会場に設置された17インチのモニター画面に100人くらいが集まって見ていました(笑)。


 当時のインターネット普及率は9%、中継もたった数秒とかの短い内容だったので、hideがなにをやりたかったのか、正確に理解していた人は少なかったと思います。インターネットの時代が来ることをかなり早くから予見していて、スタッフ間のやりとりにもメールを使っていたそうですが、時代がまだ追いついていませんでした。しかし、当時の事務所社長さんは、hideの「いずれインターネットや携帯電話で音楽を聴く世の中になる」という言葉に後押しされ、hideの死後にWeb事業に従事。音楽配信からアーティストやタレントのファンクラブサイト運営事業を展開する株式会社エムアップを設立しています。もしもhideが在命だったら、ITの世界でなにかを成し遂げていたかもしれません。


――ヴィジュアル系の未来はどうなっていくと思いますか?


冬将軍:ここまで定着すると、もう一過性のブームとして消えていくことはないと思います。単なる音楽ジャンルではなく複合的な文化なので、色々な可能性はあるはずです。「Myspace」が流行った頃、オーストリアの人に好きなバンドを聞いたら「リヒャルト・シュトラウスとDIR EN GREY」と言っていたのですが、その人にとってはロックの入り口がDIR EN GREYで、マリリン・マンソンやKORNまでヴィジュアル系だと捉えていました。実際、海外では日本的な文脈とはまた違った感覚でヴィジュアル系バンドを組んでいるケースもあります。


――海外では「Visual kei」と呼ばれているんですよね。


冬将軍:英語では訳すことのできないジャパンカルチャーとして認知されています。ご存知のように海外では日本のアニメが大人気で、アニメの主題歌としてヴィジュアル系バンドの楽曲が使われていたために、ひとつの文化として受け入れられたようです。アニメの世界観と、ヴィジュアル系のキャラクター性がうまくリンクしているんでしょうね。正義の味方にはなれないけど、ダークヒーローへ憧れるみたいな変身願望とも上手くハマっているように思います。考えてみれば、日本のヴィジュアル系発祥の礎となったイギリスのゴシック・ロック自体が、『ジキル博士とハイド氏』や『吸血鬼ドラキュラ』などのホラーSF小説から影響を受けているので、非日常世界観の極みとでも言いましょうか、アニメとヴィジュアル系の相性が良いのは当然と言えるかもしれません。


 DIR EN GREYはメイクを落として海外進出したものの、向こうでの受容のされ方を知り、再びメイクをするようになりました。彼らはヴィジュアル系と自称していませんし、スタイルも昔とは異なりますが、自分たちがなぜ海外で人気なのか、何を求められているのかを理解したからこそ、今の世界的な活躍があるのでしょう。人に変身願望がある限り、それを投影しているヴィジュアル系はこれからも求められ続けると思います。


    ニュース設定