アラン・マッギーが語る『クリエイション・ストーリーズ』。オアシスらによる音楽革命の裏側では何が?

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2022年10月21日 18:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 田中亮太

ある意味、ロックスターのように波乱に満ちたその半生……映画『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』(以下、『クリエイション・ストーリーズ』)は、世界一にまでのぼり詰めたインディーレーベル「Creation Records」とその共同創始者であるアラン・マッギーの狂騒の日々を描いた青春音楽映画だ。

「ほぼ実話」と謳うスリリングな脚本を編み上げたアーヴィン・ウェルシュ、製作総指揮を務めたダニー・ボイル、そしてアラン・マッギーを演じた主演のユエン・ブレムナーと、映画『トレインスポッティング』(1996年)のチームが集結したことでも本作は注目を集めている。

「正気を守るために」とでもいわんばかりにドラッグやアルコール、そして音楽に明け暮れ、栄光を掴もうとあがく若者たちーーその姿には、「ロックンロールバンドなんかに君の人生を委ねたりはしないでくれ」なんて声も聞こえてきそうなものだが、当の本人は『クリエイション・ストーリーズ』をどのように見たのだろうか。

アシッド・ハウスにまつわる体験、Primal ScreamやOasisへの想いなど数々の証言、そして日本の若者へのメッセージをアラン・マッギーからもらってきた。

アラン・マッギー
1960年9月29日生まれ、グラスゴー出身。「Creation Records」の共同創始者であり、アシッド・ハウス、ブリットポップ・ムーブメント全体の立役者であった。The Jesus and Mary Chain、My Bloody Valentine、そしてPrimal ScreamからOasisやThe Libertinesといったバンドまで、幅広く新しい音楽にキャリアをささげた。

―映画『クリエイション・ストーリーズ』、すごくよかったです。あなたが書かれた自伝『Creation Stories: Riots, Raves and Running a Label』(未邦訳、2013年)やパオロ・ヒューイットによる「Creation Records」の評伝『クリエイション・レコーズ物語』(太田出版、2003年)をすでに読んでいましたが、劇映画になったことで、音楽への情熱に突き動かされるままポップ産業に飛び込み、巨大な成功と挫折を経験した男の一代記がより普遍的な物語として語られている印象でした。まず、あなたの本作への感想を教えてください。

アラン:よかったと思うよ。ファンタスティックだった。アーヴィンのような天才が映画をつくってくれて光栄だね。

―ダニー・ボイルやアーヴィン・ウェルシュの手によってあなたの半生が映画化されると聞いたとき、どんなふうに思いましたか?

アラン:素晴らしいことだと思ったね。もっとも映画のなかには事実的には正確じゃないこともいくつかあるけど。

―冒頭で「ほぼ実話」と書いてあったんですが。

アラン:いかにもアーヴィンらしいね(笑)。

―(笑)。ユエン・ブレムナーがあなたを演じることについてはどうでしたか? 彼とあなたは似ていると思います?

アラン:俺たち2人ともブサイクだよね(笑)。というのは冗談で、彼も俺もいかにもスコットランド人といった風貌だよね。

アーヴィンは最初、ユアン・マクレガーをキャスティングしようとしたんだけど、彼はスウェーデン人みたいだよな。俺はファッキンなくらいスコットランド人に見えるからうまくいかないかもなと言った。アーヴィンが2時間後にまた連絡をくれて、「スパッド(※)はどうだ」と言ってきたんだ。そこで即決したよ。

ユエン・ブレムナーが演じたアラン・マッギー。『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』より © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED

―本作でのブレムナーの演技に点数をつけるとすれば?

アラン:100点満点だね。実際の俺より話し方が上品だと思ったけど、気になったのはそれくらい。

―映画で特に好きだなと思ったのはどのシーンですか?

アラン:クラブから出てきて洗い場に行くシーンだね。誰かが皿洗い機のスイッチを入れて、それにあわせて踊り出すんだ。あの部分がとても気に入っているよ。実生活でも起こったことだったからね。

エクスタシーを摂った状態でカフェに行って、そこでラジオの音楽がかかっていると、みんなで踊り出していたんだ。そういうことがよくあったよ。

若かりし頃のマッギーがはじめたインディーパーティー『The Living Room』でのTelevision Personalitiesの破天荒なライブ、もはや語り草となっているマッギーとOasisとの運命的な出会い(ノエルがまったく似ていないのはご愛嬌)など、音楽ファンなら微笑まずにいられないシーンを追体験できる『クリエイション・ストーリーズ』。

その一方で、マッギーのドラッグ体験が、幸福なものもバッドなものも含め強烈にサイケデリックな映像とともに描かれていることも印象深い。

『The Living Room』でTelevision Personalitiesがライブをするシーン。『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』より © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED

『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』でOasisを演じた5人 © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED

―あなたがはじめてエクスタシーを摂取するシーンは多幸感に溢れていて、本作のハイライトのひとつだと思います。前述の書籍を読むと、あなた自身はエクスタシーとアシッド・ハウスの化学反応を感じるのに少し時間がかかかったそうですね。1988年の12月、ハシエンダの下の階での体験が転機となったそうですが、その日のことは憶えていますか?

アラン:ああ、憶えているよ。最高だった。音楽を聴いていたら急にキたんだよね。というのもそれまでは音楽のほうを全然理解できていなかったんだ。なぜならアシッド・ハウスをエクスタシーを摂った状態で聴いたことがなかったから。

初めはブライトンの公園でエクスタシーを摂って、その状態でニック・ドレイクなんかを聴いていたんだ。それが16か月くらい続いた。そのあと、アシッド・ハウスのクラブにエクスタシーを摂った状態で行ってみたんだ。ハシエンダにね。突然チーン! と鳴った気がしてね。「ああ、これか。わかった」と思ったよ。

―ハシエンダは、New OrderやThe Durutti Columnらをリリースしていたマンチェスターのレーベル「Factory」が運営していた伝説的なクラブです。やはりあなたにとっても特別な場所だったんですか?

アラン:ああ、大好きだったよ。80年代にHappy Mondaysに出会ったのもハシエンダだったんだ。

―特に忘れられないハシエンダのエピソードは?

アラン:話していいものかどうか(苦笑)。

―オフレコですかね。

アラン:なかなか面白い話があって……ピーター・フック(ex.New Order、Joy Division)のことを憶えているよ。これはさっき思い出し笑いをしたのとは違う話だけど、ピーター・フックはThe Jesus and Mary Chainのライブでセキュリティをしたことがあったんだ。

その頃のメリー・チェインのライブではよく暴動が起きていたんだけど、その日もオーディエンスが暴れだした。でもピーターはメリー・チェインのやつらをボコボコにされるままにしておいたらしいよ(笑)。

―(笑)。あなたも含めて、1987〜88年頃に多くの英国人の若者がエクスタシーとアシッド・ハウスに出会ったそうですね。イビサでいちはやく体験したポール・オークンフォールドらがイギリスに輸入したと言われていますが、あなたにはどんなふうに伝わっていましたか?

アラン:ポールがもたらしたのはたしかだと思うよ。ポールとダニー・ランプリングがアシッド・ハウスをイギリスに持ってきたんだ。素晴らしいことだよ。アシッド・ハウスは大好きさ。俺は特にShoomとSpectrumに通っていた。Shoomはダニー・ランプリング、Spectrumはポール・オークンフォールドが回していたんだ。2人とも素晴らしかったよ。

―当時、特に「こいつこそが最高」だと思っていたDJは誰?

アラン:……ダニー・ランプリングだね。いまにしてみれば一番よかったDJはアンディ・ウェザーオール(※)だったと思うけど。

―以降、スタートさせた「Creation Records」のダンスミュージックラインのリリースには、Primal Screamのオフィシャル・フォトグラファーだったグラント・フレミングが貢献していたそうですね。彼は実際にどういう作業をしていたのでしょうか?

アラン:あいつはドラッグを売っていたんだ(笑)。

―ちなみに「Creation Records」の出したダンスミュージックのレコードで特にお気に入りのタイトルは?

アラン:Sheer Taft『Cascades』(1990年)だね。

『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』より © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED / Sheer Taft『Cascades』の詳細を見る(外部サイトを開く)

ここ日本において、2022年の夏は久しぶりにPrimal Screamへの関心と興奮が増した季節だった。昨年がリリース30周年だったことを受けて、『Screamadelica』再現セットで『SUMMER SONIC』への出演を含む来日公演を実施。

直前に、本国で高く評価されたボビー・ギレスピーの自伝『Tenement Kid』の邦訳版(『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』、イースト・プレス刊)が刊行されたこともあり、多くの音楽リスナーが彼らの「Screamadelica Era」とセカンド・サマー・オブ・ラブへの時代に目を向け、さまざまな角度からの再検証がなされた。

映画『クリエイション・ストーリーズ』の冒頭は、マッギーとボビーが出会うシーンであることからもわかるように、グラスゴーの悪友たちであり、「Creation Records」の栄枯盛衰をともにした2組(レーベルの最終カタログはPrimal Screamが2000年に発表した『XTRMNTR』)。いまのマッギーは、そんな盟友たちがレイヴカルチャーの精神性と快楽性を注ぎ込んだ名盤をどんなふうに見ているのだろう。

『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』より、Primal Screamがライブをするシーン © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED

―先週末(取材が行われたのは8月後半)にPrimal Screamが来日していたんです。ボビーやアンドリュー・イネスには現在もたまに会っているのでしょうか?

アラン:(Primal Screamの名前が出ると、手に持っていた缶を掲げて乾杯のポーズを取る)アンドリューとはしょっちゅう会っているよ。イングランドは8月になると湿気がすごいんだけど、天気がマシなときは彼とよく散歩に行くんだ。ロンドンを25マイル(約40km)は歩けるよ。

それからHappy Mondaysのショーン・ライダーにも最近会ったね。あいつがボビー・ギレスピーを連れて来てエクスタシーをやらせたんだ。この前、Happy MondaysがカーディフでPrimal Screamの前座をやったんだけど、最高だったよ。いまでも友達さ。というか、仲たがいしたことは一度もない。いつも仲がいいんだ。

少年時代のボビー・ギレスピーとアラン・マッギー © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED

―ロックバンドが過去の名盤を懐古することにはいろいろな意見があると思うのですが、Primal Screamが『Screamadelica』の再現セットをすることをどう感じていますか?

アラン:まあ、みんな食っていかないといけないからねえ(笑)。Primal Screamは素晴らしいよ。いまでもいい演奏をする。というか、彼らがいい演奏じゃなかったことなんかないけどね。

―Primal Screamとアンドリュー・ウェザオールが“Loaded”を完成させたとき、ボビーのボーカルが使われていなかったことに戸惑ったそうですね。

アラン:俺はあいつのボーカルが欲しかったんだ。最終的にはそれも入れたフルなトラックを出せたよ(※)。

―『Screamadelica』はセカンド・サマー・オブ・ラブの時代を象徴するレコードという評価が定着していますが、あなたもそれには同意見ですか?

アラン:そうだと思うよ。息の長いアルバムだったからね。みんなあのアルバムが大好きだし。いろんな音楽ジャンルをクロスオーバーしていたと思う。クラシックなロックンロールで、それでいてビート系でもあった。それがみんなに愛されたんだ。

「Creation Records」に最大の成功をもたらしたのがOasisであることはいうまでもない。マッギーの活動初期からの執着――パンクとサイケの融合――をかつてない規模のスケールで実現したバンドを、彼は「Oasisのネブワースこそがレーベルのピークだった。あそこで終わらせるべきだったのかもしれないな」とのちに語っている。

―90年代半ばに起こったブリットポップの盛り上がりについて、当時のあなたがあのムーブメントをどう見ていたのかを教えていただきたいです。

アラン:俺はブリットポップを音楽のジャンルだと思ったことはないんだ。ただいいバンドがいろいろいただけでね。ロックンロールバンドが再びトレンディーになったんだ。

―あなたの自伝のOasisに触れている章で「『Be Here Now』のキャンペーンはすべてが間違っていて、あらゆる人にとって後味が悪かった(The campaign for the album was all wrong and left a bad taste in everyone’s mouths)」と書かれています。なぜ、あのアルバムは間違ってしまったんでしょうか?

アラン:思うに、あの時点で、Oasisのマネージメントはコーポレート化してしまったんじゃないかな。いろんなストーリーが新聞にすっぱ抜かれていたし、みんながパラノイド(被害妄想)に陥っていた。

―『Be Here Now』を経て、ボーンヘッドとギグジーが脱退した時点でOasisはそれまでとは別のバンドになってしまったように思います。あなたはどうお考えですか?

アラン:俺にとってはオリジナルラインナップがベストだと思う。でもそのあとも、あいつらはどんどんよくなっていったと思うよ。

『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』より © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED

マッギーは1999年に「Creation Records」を閉鎖。この映画ではその後の彼の活動は描かれていないが、すぐに新たなレーベル「Poptones」を創設し、2007年まで運営。

同レーベルは「Creation Records」ほどの存在感を示すことはできなかったが、知る人ぞ知る北欧のガレージバンドにすぎなかったThe Hivesを世界的にブレイクさせた功績は大きい。また、並行してもっとも破滅的だった時期のThe Libertinesにマネージメントとして関わったり、インディーパーティー「Death Disco」を立ち上げDJ活動にも精を出していた。

2008年にマッギーは音楽業界からの引退を決意し、ウェールズに移住。とはいえ2010年代の中頃からは旧知のバンドを手伝ったり、「Creation 23」という7インチ専門のレーベルをはじめたり、現在もシーンへと関わり続けている。この人の音楽への情熱と愛は、やはりそう簡単に消えるものではないのだろう。2015年のインタビューでこう語っている。

「俺はロックンロールバンドが大好きなんだ。本当に音楽に夢中なんだよね。働きながら死にたいし、やっぱりやめたくない。引退しようと思ったけど無理だったね」(※)。

最後にマッギーに近況を訊きつつ、いまの日本のユースカルチャーが1980年代終盤のイギリスのそれと似た雰囲気を持ちつつあることについても話してみた。

ニック・モラン監督とアラン・マッギー

―現在のあなたの仕事についても教えてください。いまはHappy MondaysやBlack Grapeのマネージャーをされていますよね。

アラン:他のバンドのマネージャーもしているよ。Cast、The View、ショーン・ライダー……いろいろとマネージメントしているんだ。

―Happy Mondaysといえば、先日ポール・ライダー(※)の訃報が届きました。日本のファンもみな悲しみにくれています。差支えない範囲で彼への想いを話していただきたいです。

アラン:あいつは心の美しい男だったよ。本当にいいやつだった。心を揺さぶるようなね。でも、人は死ぬものだから、受け容れるしかないんだ。みんな、ポール・ライダーが大好きだったよ。

―コロナ禍の反動もあってか、いま日本の若いリスナーの間ではダンスミュージックやレイヴへの関心が高まってきているようなんです。1988年のイギリスのような状況になるかは現時点ではわかりませんが、「自由を感じたい / ローデッドしたい」というプリミティブな感情のもと、自分たちでパーティーをつくろうとしている若者たちに対して、あなたからメッセージをいただけないでしょうか。

アラン:コンドームは着けるように(神妙な顔で言ってからにやっと笑う)。

―音楽的な話はいかがでしょう。

アラン:ドラッグでハイになって踊っているとき、何に気をつければいいかって話だと思ったよ(笑)。

―日本では基本的にドラッグは禁止されているので……(笑)。

アラン:まあでも、ドラッグはあまりやらないほうがいいよ。

―現在のあなたは完全にクリーンになったと聞いています。過去にドラッグをやったことへの後悔はありますか? それとも時間を巻き戻しても同じことをやりたいと思いますか?

アラン:(にやっと笑って)わからないな。後悔なんてできるものなのかな。いまを生きるだけだよ。

『クリエイション・ストーリーズ〜世界の音楽シーンを塗り替えた男〜』より © 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED / 関連記事:ジザメリ、オアシスらを輩出しUKロックの歴史を変えたCreation Records。曽我部恵一らとその軌跡を振り返る(記事を開く)
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